第7話 初恋

「なあ。またあいつんとこ行くのか?」


 胡坐の上に頬杖をついた格好で宙に浮きながら、カオウは文句を口走る。

 眼下には出来立てのクッキーを上機嫌で冷ましているツバキがいた。香ばしい匂いが立ち上り、カオウの鼻をくすぐる。


「当たり前でしょ。せっかく学園がお休みなんだもの」

「もうすぐ初等部のそつぎょーしけんってのがあるんだろ。勉強しなくていいのか?」

「普段から勉強してるから大丈夫よ」

「じゃあさ、今日は森へ行こうぜ。羅兎の子ども生まれたってさ」

「えっ。ほんと!?」


 羅兎とは始祖の森に住む兎の魔物だ。体は動物の兎と変わりなく、庇護欲を掻き立てるほど非常に可愛らしい容姿をしているが、獲物が近づくと口から象を包めるほど大きな袋を出して捕らえ、一瞬で消化し体内に取り込むという非常に獰猛な魔物だった。さらに、捕食した魔物の能力を一定時間使えるようになるという特異能力を持ち、十二神の種族でもある。


 その羅兎の一羽が妊娠中と知ってから、ツバキは誕生を心待ちにしていた。生まれたとなれば今すぐにでも会いに行きたがるだろう。そう思って教えたというのに、なぜかツバキは乗り気ではなさそうだった。


「でも、やっと上手にクッキーが焼けたのよ。ロウへ届けに行きたいなあ」


 ツバキの頬がポッと赤く染まり、カオウの頬がプクッと膨れた。


 一ヶ月前にロウという男と出会ってから、ツバキは時間があるとすぐ彼に会いたがるようになった。

 他の場所へも遊びに行きたいカオウはつまらなく、嬉々としてロウと話すツバキを見るのもなんだか面白くない。


 腹いせに焼きたてのクッキーを一つつまんだが、熱くてすぐさま手を離した。


「熱っ」

「あっ。これはロウのだからダメ。あの篭に入ってるのなら食べていいよ」


 篭の中には、ロウ率いる自警団の他の団員への差し入れ用に焼いたクッキーが山盛りになっていた。ただ、あちらは単色、焼き立てのこちらはココアを使い模様をつけている。歴然とした差にカオウは顔をしかめ、熱さを我慢して一枚頬張りむしゃむしゃ食べた。


「ああー! それ、一番きれいに焼けてたやつなのに!」

「もっと甘い方がいいよ」

「ロウのだから、甘さ控えめなの」


 ツバキは口を尖らせていたが、ややあって上目遣いでカオウの表情を探る。


「……おいしい?」

「まずい!」

「ええー。嘘ぉ」


 半信半疑のツバキは端の方が少し焦げたクッキーを試食すると、カオウを非難めいた目で見上げた。


「美味しいじゃない」

「だからおれは、もっと甘い方がいいんだよ」

 

 カオウは言いながら、またロウ用のクッキーを一枚盗む。二番目にきれいに焼けていたそれを盗られ、ツバキは憤慨した。


「もうっ。食べるならあっちって言ってるでしょ」

「うるさいなあ。もう送ってやらないぞ」

「それは困る……」


 カオウがいなければ、こっそり森を抜けることも、帝都の辺境にあるロウの村へもたどり着けない。

 ツバキは仕方ないとため息混じりに呟いて、自らもう一枚だけカオウの口へ入れた。




 それからいつものようにこっそりと城を抜け出してロウがいる村へ到着した。山裾にある小さな村だが、主要道路にかかる高い通行税から逃れるための裏道が近くにあるので、荷を狙う盗賊の一部が時折村を襲うことがある。また、冬には腹を空かせた上級の魔物が山から降りてくることもあった。

 それらから村を守っていたのがロウで、やがて仲間が集まり、周辺の村まで守備範囲を拡げる際に発足されたのが自警団だった。


 とはいえあまり素行の良くない連中がロウを慕っているだけだ。彼らの中には定職に就いていない者もおり、暇なときは大抵ロウの村に集まって、鍛練をしたり畑仕事を手伝ったり、今のようにただダラダラ喋っていることすらある。


 ツバキは小分けにしたクッキーを配り終えると、軽やかな足取りでロウの所へ駆け寄っていった。


 その後ろ姿を、カオウは他の団員たちと共に見送る。ツバキについて一月も足繁く通ったおかげで、カオウも彼らと打ち解けていた。


 黒ブチ眼鏡をかけた青い髪の副団長は、小動物を眺めているかのように微笑する。


「あんなにはしゃいじゃって、可愛いねえ」

「かわいくねーよ」


 カオウが不貞腐れると、周りから笑い声が起こる。笑われる理由がわからないカオウは頬を膨らませる。


「なんだよ」

「なんでもないよ」


 軽く笑った副団長は、クッキーを包んでいた黄緑の布と、ロウと嬉しそうに話しているツバキを交互に見て、細い目をさらに細めた。


「あの子って、何者?」

「どういう意味?」

「平民のフリしてるようだけど、こんな上等な布をすぐ捨てちまうようなクッキーの包みに使うなんて、商家の娘でもしないよ。仕草も品があるし、もっと上の人間だろ。そんな子が不躾なお前と友達ってのも違和感あるけど、こんな頻繁に平民の村まで来て、父親は何も言わないのかなって不思議に思ったのさ」

「………………」


 カオウの表情が険しくなった。二人が無断で契約したと知ったツバキの父親は怒り狂い、ツバキを一ヶ月間軟禁した。いつもの女官も謹慎処分となり、初見の女官が四六時中見張っていたためカオウもおいそれと近づけず、ツバキはまた独りぼっちになってしまった。

 カオウが何度抗議しても父親は取り合わず、むしろ印を消せと命じてくる始末。


 姿を消したカオウが見えない人間のくせに、天に近い魔物である龍の行動を制限するなど、傲慢以外の何物でもない。ツバキの父親でなければとっくに捻り潰している。


(あんなやつよりおれの方が、ツバキを守ってやれる)


 カオウは冷めた目を閉じ、胸中を落ち着かせてからゆっくり開いた。


「おれが保護者代わりだからいいんだよ」


 本気でそう言ったのだが、周りからどっと笑いが起きる。「お前だってガキじゃねえか」「保護者の意味知ってるか?」と野次が飛ぶ。


 うるせーと応戦するカオウの肩に、右目に眼帯をして見るからにガラの悪い男が腕を回した。


「カオウちゃんは保護者でいいわけぇ?」

「はあ?」


 馴れ馴れしい物言いに顔をしかめるが、男は構わず続ける。


「保護者じゃあ、あんなことやこんなこと出来ないぜ?」

「あんなこと?」

「そりゃ今はガキンチョだけどよ、あんだけ器量良しだ。あと七、八年すりゃあ実るとこも実って……キヒヒ」

「おい、その辺にしとけ」


 下卑た薄ら笑いを浮かべる男を副団長が嗜めた。

 カオウは男の喋り方を不快に感じて腕を払いのけたが、意味がわからず首を傾げる。


「何が実るんだ?」


 周りがぽかんとし、ひと呼吸置いて笑い声が盛大に響いた。

 変なことを口走ってしまったのかと気恥ずかしくなったカオウの肩を、今度は副団長がお腹を抱えて笑いなから叩く。


「お……お前、どんだけ純粋なんだよ。ホントに男か?」

「そんなに変なこと言った?」

「いや、お前くらいの年齢だったら、もっと女子に興味持つだろ。ツバキちゃんのことなんとも思ってないわけ?」

「なんだよそれ。さっきから何言ってるのか全然わかんねー」


 バカにされっぱなしで段々腹立たしくなってきたカオウが口をへの字にすると、眼帯の男が口を窄めるように突き出し、自分の体を抱きしめてくねくねし始めた。


「だからあ、チューしたいとかあ、抱きしめたいとかあ、思わないわけえ?」


 そこまで言われて漸く彼らの言わんとしていることに気づく。


 しかし、カオウは人間の美醜というものがよく分からない。

 これまで様々な国や世界を放浪して多くの人間を見てきたが、その場所によって基準が違うのだ。濃い顔がいいという国もあれば、あっさりした顔を美人とする国もある。痩せている方が好かれることも、ふくよかな方が良いという所もある。顔ではなく首の長さや、ピアスのように体に直接身につける装飾品の多さで判断されることも、体の刺青のセンスの良さがモテる要素だったこともあった。


 ではバルカタルではどうかと言うと、皇族は軒並み整った顔立ちをしているのだと、周りの評判からそう認識してはいる。

 カオウの感覚でもツバキは可愛いと思わないでもないが、それは授印になったからそう思うのかもしれず、幼子のときから一緒にいるから愛着のような意味合いも含まれているだろう。


 そもそも龍であるカオウにしてみれば、人間は形が違いすぎ、鱗がないという時点でそういう対象にはなり得ない。しいて言えば、龍はより魔力の高い龍を伴侶に求める傾向にはあるが。



 なかなか自分たちの望む反応を見せないカオウに飽きた細身の男が、服についたクッキーの食べかすを払いながら立ち上がる。


「外見もそうだけどさ、中身も大したものだと思うよ、ツバキチャンは」


 カオウは訝しげに男を一瞥した。

 男はふわあと大あくびをしながら両手を上げて体を伸ばす。


「団長に盗賊から助けてもらったとき、お礼言ったんだって?」

「別に礼くらい誰でも言うだろ」

「いんや。団長に助けられた奴等は、大抵悲鳴上げて逃げていくよ。団長が怖すぎるから」


 シシシ、と細見の男は歯を見せて笑う。


「大人の男でもそうなのに、たった十歳の女の子が怖がらず礼を言えるってのは、すごいことだよ。きっと冷静に物事が見える子なんだろうね。団長も今はツバキチャンのことガキ扱いしてるけど、彼女が成人するころには、お似合いの二人になってるかもしれないよ」


 カオウは口を引き結んでうつむき、ツバキが成人する八年後を想像した。


 ツバキはきっと皆が言うように綺麗な女性になるのだろう。けれどもカオウは今の少年の姿から変化していない可能性がある。


 カオウはもう自分の年齢を覚えていないが、昔は壮年だったクダラが高年になるほどの年月が経っているならば、本当ならカオウは龍へ変わる年齢……人間で言えば三十歳前後の姿になっていてもおかしくはなかった。


 少年のまま姿が変わらないのは、しばらく自分の空間に閉じこもっていた時期があることと、違う世界で遊んでいたことが原因だと思っている。


 今の世界へ戻れば、時間が突然動き出したようにすぐに脱皮が始まるかと思っていたのだが、五年経った今もその兆候は見られない。

 このままツバキがどんどん成長していく姿を、カオウだけ変わらない姿で見続けることになるのかもしれない。

 いつか誰かと結婚するツバキを、少年のまま…………。


 そう考えたら、なぜか胸のあたりが苦しくなった。

 人間と魔物の寿命は違うのだから、それが当たり前だとわかりきっているはずなのに。


「なんか……やだな、それ」


 ぽつり呟くと、周囲の男たちが一斉にニヤリとした。眼帯の男がバシバシとカオウの背中を叩く。


「だろう? 好きな子が他の男にとられたら嫌だよな?あーよかった。カオウも人の子で」

「は? おれは別にツバキのこと好きじゃねーし。保護者だっつってんだろ」

「かー! まだ言うか! いーよいーよ、そういう気持ちは自分で気づくもんだ。あー、いいな青春。俺もこんな青春を謳歌したかった……よっ」


 わびしい青春時代だったらしい男は、妬みを込めた一撃をカオウの頬へ向けて放った。カオウは突然のパンチを難なく避け、男の腕を捻る。

 「いててて!」と悲鳴を上げる男。「そんなに揶揄うから」と周囲の男たちが笑う。


 眼帯の男は見た目も言動も野蛮だが、どこか憎めないところがあり、カオウは嫌いではない。その後もわいわいと何気ない会話を皆と交わしていたとき、「お、おい。あれ……」と誰かが村の入り口を指差した。


 そこには、亜麻色の綺麗な髪をした若い女性がいた。こちらの基準で相当の美人の部類に入る容姿をしている。


「あちゃー。ついにご対面か」


 副団長の目に同情の色が浮かんだ。きょとんとするカオウに苦笑する。


「ロウの彼女だよ」

「えっ!? 彼女いたのか?」

「ああ。いつもはお前らが帰ったあとに来てるんだが、今日は仕事が早く終わったのかな」


 女性はまっすぐロウのもとへ向かう。隣に立ち、ツバキに話しかける。離れた場所にいるので内容は聞こえてこないが、自己紹介でもしているのだろう。明らかに動作がぎこちなくなったツバキも挨拶を返した。二人が並んでロウの家へ入っていく後ろ姿を茫然と見つめている。


 カオウは眼帯の男にせっつかれるより早く、常人離れした跳躍力でツバキへ駆け寄った。


 予想に反して、ツバキは泣いてはいなかった。

 必死でこらえていた。

 うつむいて、目を赤くして、下唇を噛んで。

 咄嗟に抱き抱え、団員たちに何も言わず村を去り、誰にも見られない場所で瞬間移動して、出てきたときと同じようにこっそり城へ帰る。


 その間もツバキはカオウの首に抱きついたまま、一言も発さなかった。

 ただ、一度だけ、鼻をすする音が耳に届く。

 

 部屋へ戻ると、ツバキは女官の姿を見るや否や声を上げて泣いた。落ち着いたあとも食事もせず寝室に籠る。

 カオウはそばに行こうとしたが、しばらく一人にした方がいいと女官に止められたので、しばらく他のことをして時間を潰した。



 夜になるころには、ツバキは泣きつかれて眠っていた。

 暗闇の中、カオウはベッドの上で胡座をかいてツバキを見下ろす。

 顔に涙の跡を見つけ、モヤモヤしている自分に気づいた。


 ツバキの授印となってから今まで、ツバキが笑顔になればカオウも嬉しくなり、ツバキが悲しめばカオウは憐れんだ。なのに今は、ツバキはつらいはずなのに、カオウは少し安堵している。

 なぜそんな気持ちが湧いてしまうのか、心に霧がかかったようにわからない。


 ツバキはあまりいい夢を見ていないらしく、苦しそうに顔を歪めた。涙が一滴目頭に浮かび、長い睫毛を濡らす。


「ロウ……」


 そう寝言を呟いたツバキの声が、カオウの心臓を衝いた。

 睫毛についた涙を指で拭う。

 そっと頬を撫で、その流れのままベッドに手をつく。

 ギシ、とベッドがきしむ。

 想い人の名を呼んだ唇に、自分の唇を重ねた。


(…………!!)


 バッと顔を上げて、手の甲で自分の口を押さえる。


(……おれ、何やった!?)


 ツバキが幼いころから一緒にいて、頬やおでこ、髪には何度かしたこともあるしされたこともある。

 それでも、その部分だけは決してしなかった。

 なぜそんなことをしてしまったのか、やはりカオウにはわからない。

 

(慰めただけだ)


 頭を撫でるのと同じ。いつもの延長線上。

 そう自分に言い聞かせて、ツバキと反対側のベッドの端で布団を頭からかぶる。

 

 心臓がバクバク音をたてている。


 ツバキが成人するころには、この霧は晴れるのか、さらに濃くなるのか。

 カオウにはまだ、わからなかった。

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