第6話 侍女たちの沈黙
無心になるにはどうしたらいいのだろう。
呼吸に意識を集中させる。
真っ白な紙を思い浮かべる。
聖書の覚えている一節をひたすら繰り返す。
無心にならずとも、こうして関係のないことを考え続けるのも、効果的かもしれない。
この身も凍るほどの恐怖に耐えられるのなら。
「……………………………」
サクラは今、主の部屋の隅で正座していた。
左にはカリンとモモ。同じく正座している。
「……………………………」
静寂。
「……………………………」
静寂。
「……………………………」
ピリピリした空気が痛い。
「……………………………」
サクラは左をちらりと目だけで見る。
「……………………………」
「……………………………申し訳ありません」
沈黙に耐えきれなくなったカリンが土下座し、サクラとモモもそれに習う。
三人を静かに見下ろしているのは一人の女性。
幼少の頃から決まっていた婚約を一方的に破棄し、初の女性侍従長になるという出世の道も断り、セイレティアに生涯尽くすことを誓った女官、アベリア・ランカスターである。
「謝罪ではなく、なぜ貴女たちがリハル様と一緒に庭から現れたのか説明してくれるかしら」
冷たく重い雰囲気に、三人の額からだらだら冷や汗が流れる。
始祖の森から帰った三人、否、一人爆睡していたので二人は、部屋の人影に気づき愕然とした。
慌ててサクラを叩き起こし、部屋に入るなり正座、互いに何も言わず今に至る。
ちなみにリハルはアベリアから漂う不穏な空気を察しそそくさと消えた。
一向に説明しない侍女たちを見て、女官は落胆のため息を漏らす。
「随分大胆なことをしたようね」
「な、なんのことでしょう」
カリンの上擦った声に眉をピクリと動かした女官は、ツカツカと靴音を鳴らしてサクラの前に立ち、ぐいっと左腕を掴んだ。
その手首には、知られたくない授印の証。
「これは何かしら」
(ソッコーでバレたああああ!!)
侍女三人が心の中で意図せずハモる。
女官は額を押さえ、重い、重い、重いため息を吐いた。
「いくら影武者だからって、こんなところまでセイレティア様に似なくてもいいのよ」
「申し訳ありません」
「謝罪ではなくて、説明を求めているの」
「う…………はい。ゴセツメイイタシマス」
サクラは冷ややかな女官の視線を浴びながら、かくかくしかじかとこうなった経緯を説明した。
今更ながら、自分のしたことがどのような結果をもたらすのか認識し体が震え始める。どんな理由があろうと、皇族以外入ってはならない森へ入り、魔物と印を結ぶなど解雇だけでは済まない。
女官は時折眉をピクピクさせながらそれを聞き、終わると片手で目元を隠した。
さすがに侍女がこんな大それたことをしでかしたら、女官も上へ報告しなければならないだろう。
(で、でも。ツバキ様のためだもの。私がどうなっても、ツバキ様が見つかるならそれでいい)
サクラはぐっと涙を堪えて、女官の返答を待つ。
「それで?」
「はい?」
なんてことをしでかしたのかとコンコンと説教されると思っていたサクラは目をパチパチさせた。
目元から手を離した女官はまったく怒っていなかった。
「あ……あの…………」
「何かわかったんでしょうね?」
「え?」
「セイレティア様の行方」
「怒らないんですか?」
「私は説明して欲しかっただけよ。セイレティア様の安否が分かるなら、責任はすべて私が持ちます」
侍女三人の目がウルウルしだした。
アベリア様素敵! 男前! と抱き着きたくなる衝動に駆られて立ち上がろうとしたが、すぐさま再び凍り付く。
女官の目がまた冷ややかなものに変わったからだ。苛立ちも加わっている。
「何がわかったのか早く教えなさい」
「は、はい。ですが……そのう……印を結んだときに寝てしまって……まだ何も話を聞けていません」
サクラがもごもご言うと、女官の眉がピクピクピクッと動いた。
「それなら早く聞きなさい!!」
「はい!!!!!」
結局怒られた……とサクラは心の中で泣きながら目を閉じる。
印を結ぶなど初めてだ。平民の学校で魔力操作の方法は習ったが、果たして本当にできるのだろうかと不安になる。
前からのプレッシャーもえげつない。
雑念が入り集中できず、どうしたらいいのかパニックになるばかりで焦りだけが募っていく。
すると、ちょこんと何かがサクラの膝に乗った。
頭の中に意識が流れ込んでくる。言葉ではなく、直感で理解する。
”大丈夫。落ち着いて”
<ピュリ?>
薄目を開けると、膝上にピュリがいた。
ピュリの意識がサクラを導くように流れ、遠くにいるはずのキュリの意識とつながる。何があったのか、キュリが感じたもの、聞いた音が言葉ではなく感覚で頭の中に浸透していく。
キュリが理解できないことは伝わらないので所々わからないことがあったものの、なんとなく状況を把握することはできた。
それによれば。
カオウとトキツが喧嘩し、カオウはどこかへ消えた。
ツバキとトキツとギジーは大きな建物(おそらく州城)へ行ったが、ツバキだけ綺麗な部屋へ通され、女の人(おそらく侍女)に世話をされていた。その間ツバキはずっと眠っていた。
トキツとギジーはしばらく質素な部屋で待たされていたが、突然怖い人たち(おそらく城の兵士)がやってきて武器を全て取られて捕まった。キュリも殺されそうになったので怖くなって逃げ出し、トキツたちとはぐれた。
目が覚めたツバキは男の人に会いに行き、その直後から一緒についていったはずのシュリの声が聞こえなくなってしまった。
サクラはここまで理解して、隣で正座していたカリンの膝にふらりと倒れた。慣れない魔力の使い方をして疲れてしまったようだ。
「キュリは今もトキツさんたちを探して、城の中を歩き回っているみたいです」
カリンに膝枕してもらったまま報告を続ける。
「捕まっているのだとしたら牢屋かもしれないので、地下を見てほしいとお願いしました。以上が今わかっている全てです」
しん、と部屋が静まり返る。
結局主の居場所は不明のまま。トキツが捕まってしまった理由も皆目見当がつかない。
しばらくして、女官が口を開いた。
「先ほど、ようやく陛下の側近と連絡がついて話をしたの。ちょうどケデウムから副長官が見つかったという報告があったそうなのだけど……」
一度言葉を切る。
副長官を捕まえたのは主とトキツで、そのまま軍へ引き渡すと言っていたが。
「殺されていたそうよ」
「え?」
カリンとモモが顔を見合わせ、サクラへ視線を落とす。
サクラは首を振った。
「そんなはずありません。城に着くまで、副長官は生きてたはずです」
「副長官はどうでもいいけど」
「どうでもいいんですか?」
「どうでもいいけれど、ケデウムの城からの報告は嘘だらけということね。サクラ、城で何が起こっているのか、もう少しわからない?」
サクラは目を閉じてキュリへ呼びかける。
キュリは城の地下へ続く階段を懸命に降りていた。
周囲の音へ耳を澄ますように告げるが、人がまったくいないのか何も聞こえてこない。
階段を降りて地下へ到着、飛び跳ねながらしばらく進んで曲がり角を曲がろうとしたとき、何やら男性の怒鳴り声が聞こえた。
キュリによると、同じ格好をした男性が二人いるらしい。
見つからないようにその人物たちのそばへいくよう頼む。
『どこの隊の者かと聞いている!』
『…………』
『おい! 聞いてるのか!』
『…………』
『ケデウムの兵士じゃないな! 顔を見せろ!』
『…………』
『………………まさかお前……ウイディ……ぐっ!』
ドサッと何かが倒れる音がして、何かを引きずる音と靴音が一つ、ゆっくり遠ざかっていった。
血がある、とキュリが伝える。
(…………え………何…………?)
サクラは震えながら今聞こえた会話を女官たちに伝えた。
女官の顔に焦燥が色濃く現れる。
「ウイディラの者が……城にいるというの?」
「それって、ケデウムでもう戦が始まったということですか!?」
カリンの唇が震えていた。
戦が始まればすぐさま帝都にも連絡が来るはずだが、まだその知らせはない。しかしどういうわけか兵がすでにケデウムの城に潜伏している可能性がある。
男の言葉だけでそうと決まったわけではないが、安全であるはずの城の中で人が殺されたのは明らかだ。
「ツバキ様は? ツバキ様は無事なんでしょうか。シュリの声はまったく聞こえませんっ」
カリンの膝から起きあがったサクラが涙目で訴える。
カリンは親指の爪をガリッと噛んだ。
「こんなときに、カオウったら何やってるのよ」
「でもお、カオウがツバキ様と離れるなんて、絶対ないと思うんです。気配で居場所もわかるんですから、今は一緒にいるかもしれませんよ」
モモは明るい声で皆を励ました。
カオウなら、捕らえられたらしいトキツたちも難なく助け出せるはずだ。
しかしそんな楽観的なモモの考えはサクラの言葉であっけなく崩れ去る。
「それが……。カオウは消える前、ツバキ様に言ったそうなの。さよならって」
「…………!」
モモは驚いて口を手で覆った。
「な、何があったんですか?」
「わからない。キュリも内容が難しくて覚えてないみたい」
全員無言になり、緊迫した空気が流れる。
主、トキツとギジー、カオウは現在バラバラになってしまっている。
一体、彼らに何があったのか。
どうしたら主を探し出せるのか。
女官と侍女たちはただ茫然とするばかりだった。
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