第5話 侍女たちの冒険

 カリンはサクラの額に手をあてた。

 熱はない。

 主が心配で昨夜は寝てないせいか、頭がおかしくなっただけらしい。


「サクラ、自分が何言ってるかわかってる? 始祖の森は皇族しか入れないのよ。見張りの魔物もいるから侵入できないし、入れたとしても級の高い魔物だらけで、私たちなんてすぐに天界行きよ」

「だけど、このまま待ってるだけなんてできない」

「陛下へ連絡すれば見つけてくださるわ」

「その連絡がつかないからアベリア様も困ってるんじゃない。できたとしても他国へ行かれているのよ。すぐには戻って来られない」

「それなら、ロウさんに相談してはいかがでしょう?」


 モモが二人の会話に口を挟む。しかし二人とも激しく首を横に振った。カリンに至っては正気なのアンタと顔を強張らせている。


「ロナロの子どもたちの保護をお願いしたばかりよ。あのときのロウさんの顔を忘れたの? 私はしばらく震えが止まらなかったわ」

「私も。本当に体を氷漬けにされるかと思った」


 数日前、綿伝を通じてトキツからロウと連絡を取りたいとお願いされたサクラたちは、初めてロウと直接会話した。初対面ではなかったが、いつもはツバキの後ろに控えていただけだ。


 しかもトキツがロウへ依頼したのは、衰弱した子どもたちをしばらく預かってほしい、だが誰にも知られるなという内容だった。

 話を聞いていたロウの眉間の皺がみるみる深くなっていく様を、サクラとカリンはガクブルしながら見ていた。

 巷では機嫌を損ねたら氷漬けにされるとか、睨まれたら寿命が十年は縮むとか、恐ろしい噂が絶えないあの警察署長。

 主からそんなことはないと聞いてはいたものの、それは主が皇女だからかもしれないのだ。


 結局無事城へ帰れたが、もう二度と会いたくない……そう思っていたというのに。


 カリンは思い出して身震いする。


「ツバキ様の初恋がロウさんって本当なのかしら。しかも十歳の頃なんでしょ。私だったら顔を見ただけで失神する」

「でも顔はすごく整ってますよね。笑えばとっても素敵ですよ、きっと」

「何言ってるの。あの人が声を上げて笑ったら世界が破滅するという噂もあるのよ」

「そんなことあるわけないじゃないですか。大げさですよカリンさん」


 呆れた顔で指摘されたカリンは、都市伝説好きが偉そうにとモモを睨めつけた。


「とにかく!」


 窓にいたピュリを手に乗せたサクラが声を荒げる。


「ロウさんはツバキ様たちが行方不明ってことさえ知らないのよ。ピュリの母親へ会いに行けば状況はわかるはずなんだから、私は絶対に始祖の森へ行く!」


 そう力強く決意したサクラが着の身着のままで外へ出ようとしたので、慌ててカリンが止めた。


「だから!! 行ったところで入れないし、入っても死んじゃうんだってば」

「じゃあどうすれば入れるのよ!?」


 サクラの目がまた潤み始めた。

 モモはこういうときは甘いものでも食べればいい考えが浮かぶと言って、またクリームブリュレを一口食べる。


「そうですねえ。始祖の森に詳しくて、私たちをこっそり森へ入れられて、守ってくれる人がいればいいんですけどねえ」

「そんな人がいるわけ……」

『それ、僕じゃだめかなあ?』


 突然聞き覚えのない声が響き、ビクッと体を震わせる三人。

 侍女が始祖の森へ行こうとするなど、考えただけで懲罰ものだ。


「だ、だれ!?」


 サクラがあたりをきょろきょろしながら叫ぶと、部屋の中に茶色の羽毛に包まれた人の姿に近い鳥の魔物が突然現れた。ぎょっとしたカリンが尻餅をつく。


「リ……リ…リハル様!?」


 ジェラルドの授印である隠鳥のリハルだった。侍女と皇族の授印では授印の方が確実に位が高い。

 侍女三人はすぐさま床に手をつき、代表して年長者のカリンが問いかける。


「リハル様が、なぜここに」

『カオウたちと遊ぼうと思ったんだけどぉ、まだ帰って来てないみたいだったし、みんなの様子がおかしかったから、ちょっと聞いてたんだ。面白かったあ』


 堂々と覗き報告かよ、と三人は心の中でツッコむ。

 リハルは羽を一度だけ軽く羽ばたかせ、部屋の隅から中央付近にいるカリンの前へ移動した。


『母綿伝に会えばいいんだよねえ?』

「ご存知ですか?」

『うん、知ってる。ふわふわもふもふだよぉ』

「案内していただけませんか!!」


 サクラが横から割って入った。


「ツバキ様が大変なんです! ツバキ様に何かあったら……私……私……」

「サクラ! それは無理だって言ってるでしょ」

『僕はいいよお』


 リハルは平然といってのけ、羽繕いし始める。

 サクラは目を輝かせた。


「いいんですか!?」

「だめよ。侍女が入るなんて畏れ多い。それにもし見つかったら……」

「見つからなければいいんですよ」


 青ざめるカリンの肩にそっと手を置いたモモが、優等生を悪の道へ誘い込むように囁く。


「ツバキ様のためです。こうして迷っている間にも助けを求めているかもしれませんよ。カリン助けてって泣いていらっしゃるかも」

「ツバキ様……」


 カリンの脳裏に、暗闇の中一人で泣いている主の姿が浮かぶ。

 助けられるなら、今すぐにでも助けに行きたい。しかし規則を破ることなどできない。年長者として後輩を守る責任もある。


 しかし迷っている間にもサクラとモモはリハルが広げた翼の前に立ち、行こうとしていた。


「カリンさんはどうします?」


 女官が戻ってくるかもしれないのだから、誰か一人は残っているべきかもしれない。しかし危なっかしい後輩と、面白そうな方へあえて行きたがる後輩二人に任せてはおけない。


「行く! 行くわよ!」


 カリンは拳を握りしめ、温かい翼の中へ飛び込んでいった。





 人間が始祖の森へ入るには、本来は皇帝か宰相の許可が必要だ。

 城の庭と森の境には半人半獣の見張り番がおり、運悪く好戦的な見張り番に見つかると問答無用で殺される可能性もある。


 ツバキが入れるのはなぜか見張り番全員に好かれているからだ。

 それは今思えばツバキの特殊な能力が関係しているのではないかと、サクラはリハルの翼に包まれながら考えた。


『一応姿は消しておくけど、声は聞こえちゃうから叫ばないようにねえ』


 三人を包んでいて空を飛べないリハルは、何度も跳躍しながら庭を駆け抜け、森へと入っていく。飛んではいないが猛スピードだ。半人半馬の魔物の横を一瞬にして通り過ぎる。


 森の中は想像以上に魔物の巣窟だった。

 本でしか見たことがない種族がうじゃうじゃおり、大きさも街で見かける魔物と桁違い。ゴリラと思ったら猫だったなんてことは序の口で、大きな岩の裂け目かと思ったらモグラの口だったこともある。

 危険にも満ち溢れており、くしゃみをした兎の口から火が飛び出して近くにいた牛が黒焦げになった瞬間も見た。


『あ、いたよぉ』


 十メートルは越える巨大な蜘蛛が何匹もぶら下がる中を通り抜け三人が戦慄したあと、リハルが速度を緩めた。


 見えてきたのは、七色の山だった。いや、山にしてはふわふわもふもふしている。よく見るとそれは大きな白い綿の塊で、色とりどりの小さな綿の塊がくっついていた。


『あれが母親だよ』


 リハルが立ち止まると、それまでさくらの髪に潜っていたピュリが飛び出し、喜び勇んで母綿伝の体にくっついた。他の綿伝たちに紛れてしまい、もうどれがピュリだかわからなくなる。

 サクラたちもリハルの翼から離れた。


 しばらくして、母綿伝がもそもそと動く。


『ワタシのコ カラ ハナシ アル』


 たどたどしい言葉が頭上から聞こえた。女性らしい柔らかい声だった。


「私の子?」


 サクラが聞き返すと、母綿伝のくりくりとした黒い目が開く。


『ピュリ ナマエモラッタ イッテル』

「ピュリから話があるってこと?」

『ソウ。 シュリ ツバキと キエタ』

「シュリとツバキ様!?消えたってどこに?」

『ワカラナイ コエ キコエナイ』

「声が聞こえない? どうして?」

『ワカラナイ』


 サクラはカリンたちと顔を見合わせた。


「声が聞こえないって……。それってまさか……」


 侍女たちの頭の中に最悪の結末が思い浮かび、顔面蒼白になる。

 サクラは信じたくないと首を振った。


「最後にいたのはどこかわかる?」

『ケデウムの シロ』

「州の城? どういうこと? 州城からは帰ったって言われたのに」


 混乱して呆然とするサクラ。

 険しい顔をしたままだったカリンがおもむろに口を開く。


「……トキツさんは? 彼とギジーとキュリはどこにいるの?」

『キュリ イッテル トキツと ハグレタ』

「キュリの声は聞こえるのね? 州の城で何があったかキュリから話は聞ける?」


 母綿伝はしばらく無言になった。

 キュリの声を聞いているからなのか、ふわふわしていた毛の一部が静電気を受けたかのようにピンと張っている。


『キュリの コエ ツタエル』


 侍女たちはドキドキしながら話を待つ。

 しかし、母綿伝は話そうとしない。一分ほど経過し、業を煮やしたカリンがガンを飛ばす。


「どうしたの? キュリが何か言っていたんじゃないの?」

『……ヒトの コトバ ムツカシイ』

「は?」


 突然母綿伝の体がブルブルッと震えた。体にくっついていた無数の子綿伝たちがぶわっと宙を舞う。

 子どもたちがいなくなり身軽になった巨大な白い綿がのっそり動いた。足がどこにあるのかまったくわからないが前へ進み、前かがみになって黒い目がとある一点を凝視した。


「な……なに?」


 その視線の先にいたのはサクラだった。じーっとサクラだけを見つめている。


『イン ムスブ』

「ふぇ!?」

『ワタシに サワル』

「ほえ!?」


 また戻ってきたピュイがサクラの肩に止まった。キーキー鳴いて訴えている。

 サクラはどうしたらいいのかとカリンとモモを交互に見た。


「ど、どうしよう……」

「どうしようって、だめに決まってるでしょう。侍女は印を結んじゃいけないのよ」


 仕事で魔力を使うこともある侍女は、消費を抑えるため魔物と契約することを禁止されている。知られたら解雇されてしまう。解雇どころか、始祖の森に住む魔物と契約したと知られたら厳罰に処される。


 しかしふわふわもふもふした体は見るからに気持ちよさそうだ。この綿の中に潜り込んで昼寝したい、そんな欲求に引き寄せられそうになる。


 母綿伝はさらにサクラに近づく。 


『イン ムスブ ハナシ ワカル』

「……印を結べば、キュリの言葉が分かるって本当?」

『ワカル』

「じゃ、じゃあ……やる」

「サクラ!! あなたの魔力で大丈夫なのかわからないのよ!」


 一歩前に出ようとしたサクラの腕をカリンが掴んで引き留めた。


 魔力差がある魔物と契約すれば死ぬこともある。

 サクラは下の上くらいの魔力だと認識しており、普通の綿伝であればなんともないだろうが、この母綿伝がどれくらいなのかは見当がつかない。


 それにしても、なぜ指名してきたのかとサクラは母綿伝を見上げた。

 

『サツキ』

「え?」

『サツキと ニオイ オナジ』

「え? え?」


 サツキは主の母親だ。

 どうやら主と顔が似ているから選ばれたようだ。しかしまったくの別人。皇女と間違えられたまま契約なんてできないと訂正しようとしたが……。


 ばふっ


「…………!」


 気づいたら綿の中にいた。もふもふ感は想像以上。

 あ、これ即寝できるやつ……と瞼が自然と閉じていく。


 そのまま寝た。

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