第4話 都市伝説

 学名 天から落ちた雲シュランルフォルファ

 通称は地域によって変わるが、多くは綿伝もしくは梵天と呼ばれている下級魔物。

 外見はたんぽぽの綿毛のような、耳かきについてるまさに梵天で、毟りたくなるが毛は意外としっかり体から生えており簡単には抜けない。

 離れた場所にいる仲間と意識が繋がっており、人の言葉は話せないが、聞いたことを繰り返すことができるため簡単な通話手段として飼われることがある。


 ツバキ・トキツ・サクラの三人が持っている綿伝は、先代皇帝ネルヴァトラスの授印だ。彼は五匹の綿伝を持っており、その内の三匹をジェラルドが借りて、三人に持たせている。


 三匹の呼び名を決めるときは一悶着あった。

 ツバキはランシェリン、アップルファイア、ミレーヌメールと、昔の偉人をもじったというよくわからない上に覚えにくい名前を上げ、カオウは面倒くさがってリェネルーサグルでいいと言い、お互いダメ出しをしてじゃれあいのような喧嘩が始まった。

 そこへ侍女三人が参戦し、あーでもないこーでもないと長時間の議論の末決まったのが、シュリ、キュリ、ピュリだった。真っ白でまん丸がシュリ、少し縦長がキュリ、毛先が少しピンクがかっているのがピュリだ。


 誰がどの綿伝を持つかは決めていなかったが、何ヵ月も経つとなんとなく決まってくるもので、サクラはピュリと一緒にいることが多かった。

 言葉はわからないが、ふわふわした毛をこしょこしょすると嬉しそうに身を震わせ、餌をあげるとキーキー鳴いて近寄ってきて、お腹がいっぱいになると髪に潜り込んで昼寝してくる。

 なんて愛らしいのかと目を潤ませずにはいられない。

 しかしサクラは今、ピュリをキリキリと睨んでいた。

 臆病な綿の魔物はいつもと違うサクラの様子に怯え、カリンの肩に避難する。


「ピュリを睨んだって仕方ないでしょ。かわいそうに」

「連絡がくるかもしれないじゃない。ピュリ、誰かそこにいますかってキュリたちにもう一度言って」


 言葉をかけられたピュリの毛が逆立つ。しかしすぐもとに戻り、体を跳ねさせながら左右を向いた。サクラの言葉は伝えたが、相手からの言葉はないということだ。


「返答なしか」


 カリンがため息混じりにつぶやくと、サクラが滝のような涙を流す。


「うっうっ。二日も連絡がないなんて、ツバキ様に何かあったんだ」


 ケデウム州の副長官を捕えたというトキツからの連絡を最後に、何の音沙汰もないまま二日経っていた。最後に訪れたとされるケデウム州城へ問い合わせたがすでに帰ったと言われ、その後の行方がわからない。事態を重く見た女官が遠方にいるジェラルドとなんとか連絡を取ろうとしているが、難航しているようだった。


「無断外泊なんてこれまでなかったのに。きっとカオウが無理矢理ツバキ様を連れて行ったのよ」

「それならトキツさんから連絡が来るはず。彼からもないなんて、事態はもっと深刻だと思う」


 焦りの表情を浮かべたカリンが親指の爪を噛むと、サクラの涙の量が増える。


「……もっと深刻って……まさか……まさか……ツバキ様はもう……」

「ばっばかサクラ! そんなことあるわけないでしょう!!」

「カリンが言ったんじゃない……うう……うわあああん」

「泣くんじゃない!」


 声をあげて泣くサクラの胸倉をつかんで揺するカリン。

 そこへ現れたのはモモだった。クリームブリュレをお盆に乗せたまま、騒々しい二人の間に割って入る。


「まあまあ二人とも。これでも食べて落ち着きましょう」

「モモ! あんたは落ち着きすぎよ! ツバキ様たちと連絡が取れないっていうのに、呑気にデザートを食べてる場合じゃないでしょう!」

「ええ~。だって消費期限今日までなんですもん。それにモモたちが慌てたところで、何もできませんし」

「だからってデザートはないわ。せめて掃除してお帰りを待つとか……」

「もう掃除する場所残ってませんけど」


 モモはツバキの部屋を見回して、肩をすくめた。

 ツバキの帰りを待つ間丁寧に丁寧に…大掃除かというくらい隅々まで掃除して部屋中ぴかぴかである。もちろんこの部屋だけでなく、寝室も、風呂もトイレも、カオウの部屋も。


「じゃ……じゃあ、塔の他のところを……」

「他の侍女たちも同じように一心不乱に掃除し続けているので、ツバキ様の塔内はどこもかしこも塵一つありません」


 ツバキが住んでいる塔にはアベリアやサクラたち三人の侍女以外にも数名の使用人がいる。

 ツバキがちょくちょく城を抜け出していることは何も知らないが、今回はセイレティアがお忍び旅行をしていることになっており、二日も連絡がないという情報も伝わっていた。


「何もやれることはないんですから、どっしり構えて待っていましょうよ。アベリア様も一見冷静なようでいて、一番動揺されているんですから、私たちがしっかりしないと」


 モモはクリームブリュレを一さじすくい、ぱくっと頬張る。


「はあ~。美味しい」

「美味しいじゃない! まったくあんたは、どういう神経してるのよ。サクラもいつまでも泣いてないでしゃきっとしなさい!」

「うっうっ……ツバキさまあ……」

「泣かないでください、サクラさん。はい、あーん」


 見かねたモモが、床に伏せて泣いているサクラの口元へクリームブリュレが乗ったスプーンを持っていく。

 サクラは泣きながらそれを口に入れた。食べるんかい! というツッコみが近くから聞こえる。


「……お……おいひい……」

「落ち着きました?」


 こくんと頷くサクラ。


「では、ピュリに優しく聞いてみましょうか」

「聞くって何を? ピュリはしゃべれないのよ」

「まあ見ててください。……ピュリ、ツバキ様が無事かはわかる?」


 ピュリは跳ねずにじっとその場に佇む。


「わからないんですね。じゃあ、トキツさんとギジーは?」


 跳ねずにじっとその場に佇む。


「それなら、カオウは?」


 跳ねずにじっとその場に佇む。


「わからない…と」

「全然ダメじゃない」

「じゃああと一つだけ。カオウとツバキ様は一緒にいるの?」


 跳ねながら体を左右へ向けた。


「えっ?」


 サクラとカリンが同時に驚きの声を発する。続きを言ったのはサクラだった。


「カオウがツバキ様と一緒にいないって、どういうこと? そんなことありえる?」

「温泉宿でカオウを怒らせたから帰れなくなったってトキツさんから連絡あったんでしょ?」

「それも信じられないよ。ケンカすることはあるけど、カオウがツバキ様を怒るなんて今までなかったのに。一体何があったんだろう」


 カリンはうーんと眉間にシワを寄せ、肩に乗っていたピュリを手に乗せた。

 しかし怯えるピュリを見て自分の目付きの悪さに気づき、ぎこちない笑顔を作る。


「ケデウムの州城へは行ったんだよね」

 

 ピュリが跳び跳ねながら上下に回転した。


「じゃあ、出るときはみんな一緒だった?」


 キーキー! と叫びながら体を左右に激しく振る。


「違うの?」


 ピュリはキーキューキキーと鳴き、戸惑う侍女三人の肩に順に飛び乗って何かを訴え始めた。

 それでも侍女がそろって同じ方向へ首をかしげるので、サクラの肩から降りて庭へ続く窓へ突進した。

 ガンッガンッと窓が割れそうなくらい強く何度もぶつかる。


「な、なに?」


 突然の異常行動に顔をひきつらせるカリン。


「もしかして、始祖の森へ行きたいの?」


 サクラの言葉でピュリが止まった。

 まさか、と顔を見合わせる三人。


「始祖の森に何かあるのかな」


 サクラの問いかけに、モモが「もしかして」と呟く。


「森には帝都にいる全ての綿伝の母親がいるって聞いたことがあります」

「帝都にいる全て?」

「はい。綿伝の意識が繋がっているのは同じ母親から生まれた子同士だけなんですけど、母綿伝は何百匹もの子を生めるそうで、帝都にいる綿伝は始祖の森に住む綿伝の子らしいです。それから、これは都市伝説なんですけど……」


 声を潜めたモモの目が妖しく光る。こんなときにそんな話を……と思いつつ、ごくりと唾を飲み込むサクラ。


「帝都と五つの州には母親が一匹ずついて、その六匹の綿伝と印を結んだ人がいるそうなんです」

「母綿伝と印を結ぶとどうなるの?」

「綿伝は下級なので人の言葉は話せませんが、母親はカタコトですけど話せるそうなんです。しかも、各地に散らばっている子綿伝たちとも意識がつながるので、綿伝の周囲にいる人間の言葉が聞こえるようになるらしいです」

「国中の人の会話が筒抜けってこと!?」


 サクラが驚いて目を見開くと、モモが満足げにニヤリとする。


「綿伝を持つ人の内緒話だけでなく、こっそり髪や服に忍ばせて盗聴することも可能です」

「それってとんでもないことじゃない! その印を結んだという人はどこにいるの!?」


 期待通りの反応をするサクラの純粋さに、モモはゾクゾクした高揚を隠して続ける。


「この城の、地下です」

「な、なんですって!」

「地下に監禁して国中の会話から情報収集し、反逆者がいれば密かに始末してるとか」

「そんな恐ろしい話が……。でも都市伝説なのよね?」

「信じるか信じないかは、あなた次第です」


 キメ顔で言った。


「本当にそんな人が城にいるのかしら」


 神妙な面持ちで呟いたサクラの背後から、微妙な面持ちで二人のやりとりを眺めていたカリンの声がかかる。


「"いる"じゃなくて"いた"。過去形」

「カリン知ってるの!?」

「祖母はその方に長年仕えていたから知ってる。監禁なんてされてなかったけどね」


 カリンの祖母は長らく城で侍女として働いていた。

 誰なの? とサクラとモモが無言で訴える。


「ツバキ様のお母様よ」

「サツキ様!? で、でもサツキ様は平民出身でしょう?」

「魔力自体はあまり高くないけれど、量が尋常じゃなかったらしいわ」


 呆気にとられて言葉が出ない二人だったが、暫くしてサクラがはっと気づく。


「ピュリのお母さんが始祖の森にいるっていうのは本当なのね? カタコトでも話せるっていうのも?」


 興奮した口調のサクラに肩を揺すられたカリンは嫌な予感がして狼狽える。


「ちょ……ちょっとサクラ、まさかとは思うけど変なこと考えてないよね?」

「ピュリのお母さんに会いに行こう!ツバキ様の居場所がわかるかもしれない!」


 大変なことだった……とカリンは青ざめた。

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