第3話 地の精霊
カルバルでは貴重な木材をふんだんに使った船が止まり、ジェラルドたちは黄色い砂の上へ降りたった。
ここからは駱駝に乗って地の精霊の遺跡を目指すのだという。
日よけに植物の葉を模した幾何学模様の色鮮やかな布をかぶり、各々用意された駱駝の背に乗る。
飛馬と同じくこの駱駝たちは動物だ。
ジェラルドとクダラは何度も乗ったことがあるが、シルヴァンは初めてだった。
跨ると愛くるしい大きな瞳でじっと熱い目を向けられ、長いまつ毛をパチパチとされる。手を伸ばして鞍がかかっていない部分を撫でると、鼻から息を出し満足げに首を上下に振られた。
「気にいられたようだよ」とハトシェプトゥラがころころと笑う。
遺跡の場所を秘匿するため、美女や召使たちは船上に残るらしい。
代わりに駱駝をひくのは目と耳を薄い布で覆った男たちだった。
彼らはカルバルの王族に生涯忠誠を誓い、秘密の多い王族と深く関わることを許された側仕たちだ。
生まれながらにして目あるいは耳がなく、決して喋らない無音の誓いをたてている。
後天的に体をなくした場合は高度な魔法を使えばもとに戻すことは可能だが、先天的な場合は治せない。
バルカタルやサタールがある大陸では奇異の目で見られる彼らも、カルバルを含めた南の大陸では神に貰われた者として重宝され、王族の側仕の他には神官になる者が多かった。辺境では崇められることもあるという。
布で目を隠されているにも関わらず、少しも迷わず歩く彼らに手綱をひかれ、一行は砂漠を進んだ。
一面の黄色い砂と青空の二色は美しかったが、変わり映えしない景色は三十分もするとさすがに飽きてきた。
ジェラルドが上空を見上げると、上半身はコブラで下半身は蠍の魔物がニョロニョロと空を泳いでおり、他にもうっすらと雲ではない何かの存在を感じる。
あのじゃじゃ馬な妹ならあれもはっきり見えるだろうかとぼんやり考えていたとき、ハトシェプトゥラの駱駝が隣についた。
「さすがバルカタルの皇帝。空の魔物が見えるのか。私は気配を感じるので精一杯だ」
「私も似たようなものだ」
「謙遜するなど珍しい。私は多くの国の王を
「世界は広いぞ。……いや、狭いのかな」
ジェラルドが自嘲気味につぶやき、ハトシェプトゥラは興味深そうに目を細める。
「なあに、心配せずともそなたは後世に名を残す皇帝となろう」
「その点は心配などしていない」
「ははっ。そなたはそうでなくてはな。この後も期待しているぞ」
「この後?」
ジェラルドが聞いても女王は不敵な笑みを浮かべただけだったが、答えはすぐにわかった。
一行を先導していた側仕が何も無い砂漠の真ん中で止まって振り返り、女王へ恭しく頭を下げる。頷き返したハトシェプトゥラはジェラルドたちを見回した。
「ここに地の精霊の遺跡がある」
「ここに? 砂漠しかないが」
「魔物に守らせている。呼べば現れるが、誰かと印を結んでいるわけではないから、入るには対価が必要だ」
「魔力を与えるということか?」
「相当な量のね。毎年祈りのために開けてもらうが、王族と神官を三十人は用意する。それでも数年に一度は死者が出る。ある年は罪人を百人用意したが、質が悪かったらしく全員死亡し、自らの魔力を捧げなかった卑しい王は砂にのまれたきり戻らなかったという」
「…………」
ごくり、とジェラルドとシルヴァンの喉がなった。毎年三十人用意するというのに、この場にはジェラルドたち四人と五人の側仕しかいない。
「バルカタルの皇帝の力、頼りにしている」
駱駝から降りた女王は砂の上に両膝をつき、ジェラルドたちにも同じようにするよう命じた。
「クダラ様はもう本来の姿に戻ってもよろしいですよ」
「それはありがたい」
喜んで魔物の姿に戻ったクダラが体を震わせると、ボトリと布と首飾りが落ちた。尾に引っかかった服を側仕に手際よく取ってもらい、ジェラルドの隣で首を垂れる。
それを確認してから、ハトシェプトゥラは額に砂がつくギリギリまで頭を下げ、腹から明朗な声を張り上げた。
「偉大なるドゥアムテフよ、砂漠を守護する者。我は太陽神の娘。どうか祈りを地の精へ捧げる機会を与えたまえ」
ハトシェプトゥラの最後の言葉が砂へ吸い込まれた途端、目の前の砂漠が鈍い音をたてて揺れ始めた。地面が盛り上がっていき、砂が滝のように落ちて大量の砂ぼこりが舞う。
ジェラルドは咄嗟に頭から被っていた布で顔を覆った。
やがて振動が止んでジェラルドが顔を出すと、何もなかった砂漠から姿を現したのは、高さが二十メートルもある巨大な砂像のような犬だった。ハトシェプトゥラによるとジャッカルの魔物らしい。
『太陽の娘。まだ地鎮めの儀式には早いが』
凛々しい声が魔物から降り、ハトシェプトゥラは頭を上げて穏やかに微笑む。
「地の精と会いたいと申す者を連れて参りました。特別に許可していただきたい」
『儀式でなくとも対価はもらう』
「心得ております」
再度頭を下げたハトシェプトゥラに呼応するように、地についた足回りの砂が突出した。
全員の両手首にまとわりつき、人の手のように固くつかむ。
ふと、ジェラルドは駱駝をひいていた側仕の腕が震えていることに気づいた。布で目を隠されているので表情は読み取れないが、魔力を吸い取られて死ぬ恐怖に怯えているのだろう。通常三十人、しかも魔力の高い王族を含めての三十人で対処することをたった九人でやろうと言うのだから当然だ。
なぜハトシェプトゥラはそんな暴挙にでるのか。
そう疑問に思い前を見ると、頭を下げた状態でこちらを窺う女王と目が合った。なんだかにやにやしている。
(相変わらず人を試したがる義姉だ。……だが、面白い)
ジェラルドはハトシェプトゥラへ向かって涼しい顔で笑って見せた。そして砂像のジャッカルを見上げ、声を張り上げる。
「ドゥアムテフよ。対価は私だけで払おう」
『…………何者だ』
「バルカタルの帝位につく者。不足はあるまい」
『……よかろう』
他の者の手首から砂が落ちたと同時に、ジェラルドの手首に焼き付くような痛みが走る。
体の中で何かが這うような奇妙な感覚がした。
クダラやリハルへ毎日何回かに分けて与えている魔力の量を、一気に勢いよく吸い取られ、ぞくりとして力が抜ける。
倒れてなるものかとジェラルドは気を確かにもって耐え続けた。そっと隣に寄り添ったクダラの背へもたれ、遠くなりそうになる意識を必死に引き寄せる。
だが、足にも砂がまとわりつき、ぐい、と下へ引っ張られた。もがこうにも力が入らず、どんどん体が砂へ沈んでいく。
顎まで地に埋まったところで、ジェラルドは大きく息を吸い目を瞑った。
体への圧迫感がなくなり、目を開けると、そこは
洞窟の中のような空間は空いているが、前後左右どこにも道はない。しかし不思議と息苦しくはなく、さらに、洞窟の壁には所々自ら光る鉱石が埋まっており、日が入らないはずなのに辺りは明るかった。
「よくやったな、ジェラルド。自分の魔力だけ捧げようとするとは豪気な奴だ」
したり顔のハトシェプトゥラに肩をたたかれたジェラルドは、そう仕向けたのは誰だと心の中で悪態をつく。
「そなたの魔力は質が良いらしいぞ。さすが英雄神の子」
ハトシェプトゥラは素直に賛辞を贈ってから洞窟の奥へ進んだ。だが奥には小さな石ころがあるだけだった。手前で止まり、石ころに向かって一礼すると、聞いたことのない言葉を何やら唱える。
するとぼこぼこと音を立てながら、石から石が生まれるように肥大し始めた。周囲に散らばっていた石くずが磁石のように引き寄せられ、さらに肥大する速度が増していく。
そして一メートルほど大きくなったところで止まった。いびつな長方形で、壁と同じく所々輝く石が埋まっている。
いびつな長方形はよく見ると顔のような凹凸があった。ジェラルドはクダラへ思念を送る。
<あれが地の精霊か?>
<おそらく。会うたびに形が変わるので、なんとも言えませんが>
ハトシェプトゥラがまたカルバル語ではない言葉を石に向かって唱え始めたとき、一歩後ろにいたシルヴァンが感嘆のような落胆のようなため息を漏らした。
「どうかしたのか」
「いえ……。サタールにいる水の精は、呼びかけても滅多に現れないのです。地の精は当然のように出てきてくださるのですね」
「ハトシェプトゥラが唱えているのは精霊の言葉か」
「祝詞のようなものですよ。正確な意味は知りませんが、精霊への感謝と祈りの言葉だと言われています」
唱え終えたハトシェプトゥラがこちらを振り返った。
「皆もこちらへ」
「精霊の言葉は話せんぞ」
「私も祝詞しか言えないよ。いいか、近づくのが肝心なんだ。”気”に触れることで、他の精霊を呼びやすくなるはずだ。水の精霊は大の人間嫌いだからお会いできる可能性は低いんだろう?」
シルヴァンが、はっきりと、やけに力強く頷くので、女王は苦笑する。
「水の精は気難しく、火の精は気性が荒く、風の精は気まぐれだ。地の精が最も人間に親しい」
少々頑固だが、とぼそりと付け足す。
促されたジェラルドが女王の前に出る。
地の精だという石は先ほどまで動いていたと思えないほど微動だにしなかった。当初からそこにあったかのように静止している。
頭を下げろとハトシェプトゥラに言われ、素直に礼をする。
何が起こるのかと、いつもよりほんの少しだけ心音が早く鳴っていたが、いつまでたっても何も起こらなかった。
「……………………」
特に何も起こらない。
薄目を開けて、ちらりと隣にいるクダラを見る。大人しく頭を下げていたので、ジェラルドも続ける。
「……………………」
何も起こらない。しんと辺りが静まり返っている。
実は意地悪な義姉は頭を下げる義弟が見たいだけなのではないかと思い始めた。
後ろにいるはずの義姉の顔を見てやろうとしたとき。
「よし、いいぞ」
「は?」
「終わった」
「何もなかったが」
「そんなものだよ」
「……必要だったか? これ」
「必要だ」
「頭を下げる
「半分くらいは」
「おい」
「冗談だよ」
ころころと鈴の音がなるような笑い声が上がる。
とにかくこれで精霊の気に触れたのだと、ハトシェプトゥラが再度前に出て別れの言葉を唱えようとしたときだった。
”チャ・オ・アーギュスト”
地の精である石の塊から声が聞こえ、ジェラルドが目を見開く。
「アーギュスト、と言ったか?」
「知っているのか?」
「………………」
ジェラルドが真剣な表情で地の精を凝視する。
”チャ・オ・アーギュスト”
もう一度声が聞こえ、今度は塊から輝く石がころりと落ちた。
”ティデェン・ロナロ”
ジェラルドの眉がピクリと動く。
ハトシェプトゥラは輝く石を拾い上げ、ジェラルドへ渡した。
「何か知っているようだな、ジェラルド」
「…………」
「まあいいさ。せっかくくださったんだ。しっかり持っていなよ」
ハトシェプトゥラが地の精に向き直り、また耳慣れない言葉を唱える。
すると石の塊が砂のように瓦解した。
ジェラルドたちがいた洞窟の岩壁も。
「!?」
「案ずるな。地上へ戻るだけだ」
岩壁が一気に砂へと化し、ジェラルドたちをのみこんだ。
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