第4章

第1話 カルバル女王

 カルバル国特有の乾燥した気候は暑くてもカラッとしており、さほど不快ではなかった。


 けれども暑いものは暑いと、ジェラルドは服の襟をパタパタと何度も引っ張り首周りに風を送り込む。

 従者も大きな団扇であおいでくれるが、どちらも生暖かな空気で涼しくはない。

 上衣の裾を出して中を扇子であおぐと、老翁の長い眉毛が困ったように下がる。


「お行儀悪いですぞ、ジェラルド」

「今だけだ。それよりなんだ、その顎髭は」

「リハルに編まれました」

「あいつは帝都で留守番してるはずだろう」

「昨夜こっそり来てこっそり帰りました」


 人に転化したクダラの顎からぶら下がる三つ編みが、ほっほっほと笑う動きに合わせて揺れた。



 ジェラルドたちはカルバル国にいた。バルカタルとは海を隔てた南にある友好国で、乾燥地帯だが、南北に流れる大河が実りを与えており、金をはじめ珍しい金属や石などが採れる豊富な鉱脈があるので、貴重な交易相手だった。


「それで、ジェラルド。いつ降りるのですかな?」

「まもなくだ」


 口元を歪める皇帝を老翁はやれやれといった表情で見上げる。


 今はまだ飛馬車の中だ。

 昨日バルカタル帝国を出発し、サイロス州で一泊した後、カルバル国の女王がいる神殿についたところ。

 すぐにでも降りて行けるのだが、なぜかジェラルドは渋って動かない。

 扉の向こうで皇帝を待つ側近の額から、暑さからではない汗が流れ始めた。

 渋る理由を知る授印は、正面に座る皇帝へ思念を送る。


<早くしなされ>

<わかっておる>

<あんまり駄々をこねると、お尻ぺんぺんですぞ>


 からかう老翁へじとっとした眼を向けたジェラルドは、観念して大げさなため息をついた。そして爽やかかつ凛々しい皇帝の表情へ変えてから、優美な動作で飛馬車を降りる。


 外にはカルバルの者たちが、飛馬車から神殿の扉へ道を作るようにずらっと二列に並んで片膝をついていた。彼らの肌は赤褐色で、髪は黒か茶が多い。たまに黄色や赤色を見かけるのは、サイロス州の血が入っているのだろう。


 上質な麻製の腰巻きをした、強靭な肉体の宰相に案内されながら神殿へ向かう。神殿といっても神を祀っているのではなく、ここは王の住居だ。カルバルでは王族は太陽神の血をひく者とされ、神に等しい存在なので神殿と呼ばれていた。


 木材が貴重なこの国の建築資材は煉瓦や石が主で、この神殿も石灰岩で建てられており、地面から神殿の上部へ届くほど巨大な女王と王の像は何度訪れても毎回圧倒される。王が変われば魔法で勝手に変わるらしい。


 しばらくして入った神殿内には、これまた巨大な円柱が等間隔に並んでいた。

 最近就任した壮年の宰相が、この柱に一本一本描かれている神話を簡潔に説明してくれる。前任者からも幾度と聞かされたそれに適当に相打ちを打ちながら進み、ついに女王が待つ謁見の間に到着すると、宰相は仰々しくジェラルドの訪れを告げる。


 扉を前にし、ジェラルドは心の中でまた渋った。宰相と扉を開ける係の者がいる手前、爽やかな笑みは崩さないまま。崩さないから無情にも扉はすんなり開かれてしまい、仕方なく堂々と一歩踏み出す。

 すると、部屋の奥の玉座に座っていた女性が立ち上がり、こちらに近づいてきた。濃赤色の絨毯の、ちょうど中央で両者とも止まる。

 先に頭を下げたのは、カルバル国の女王だった。


「遠路遥々ようこそお越し下さいました、クダラ様」


 落ち着いた女性のはっきりとした声が石造りの部屋に響く。


「頭を上げてくだされ、ハトシェプトゥラ様。こんな老いぼれに勿体ない」

「何をおっしゃいます。バルカタルの英雄神の授印様以上に尊いお方など、この世におりますまい」


 顔を上げたハトシェプトゥラ女王は、憧れの男性を前にしたような熱い視線を老翁へ向ける。女王は他国の男性の王にも引けを取らない勝気さと聡明さ、そして赤褐色の肌と漆黒の髪、瑠璃色の瞳を持つ三十過ぎの美女だった。


 ハトシェプトゥラはもうニ、三クダラと言葉を交わした後、普通の、至って何の熱もない眼をジェラルドへ向けた。


「遠路ごくろう、我が義弟よ」

「クダラとの温度差は気にしないでおこう、カルバル女王」

「お姉様と呼べと毎回言っているだろう」

「ネフェルがよろしくと言っていたぞ、ハトシェプトゥラ」

「可愛くない義弟だね。ネフェルトゥラとは昨日交鏡で話をしたさ」


 ハトシェプトゥラは口では文句を言いつつ目の奥では楽しそうにジェラルドと対峙する。

 帝位を継いだばかりのジェラルドにとって、若干十五歳から二十年近く女王に君臨し続けるハトシェプトゥラは昔から頭が上がらない存在だったが、義姉となってから更にやりづらくなった。


「元気になったようで安心したが。ネフェルトゥラはここへ来たいと言っていたのに、お前が止めたそうじゃないか」

「まだ遠出するほどの体力はない。サイロスも完全に安全というわけではないし」

「過保護過ぎるんだよ。仲がいいのは良いことだけれど」


 ハトシェプトゥラの紅を差した唇が弧を描いた。

 ジェラルドはゴホンと咳払いする。


「それより、あの者もすでに到着しているそうだが」

「ああ、地下で待っているよ」


 あからさまに話をそらしたジェラルドを見て、ハトシェプトゥラはふふんと意地悪そうに笑った。





 神殿の地下は地上の日射からすると考えられないほどひんやりとしていた。

 目的の部屋へ続く壁には円柱と同じように様々な神話が描かれている。カルバルの歴史は古く、二千年前からその話が伝わっているという。バルカタルで伝え聞く神々とは違い、この国の神は人の体の一部が魔物となっていた。


「さあ、ついたよ」


 通常なら男性四人がかりで開ける重厚な石の両扉にハトシェプトゥラが軽く触れると、簡単に部屋の内側へ開く。彼女が身に着けている金の腕輪バングルは重い石扉をわずかな力で開けられる魔道具らしい。カルバルが長らく他の侵攻を許さないのも、神殿に何か所もある石扉が敵の侵入を阻むからという説がある。ここへ来るまでにもいくつもの石扉を通ってきたが、その最奥の扉の先にはハトシェプトゥラが言っていた通り先客……サタール国のシルヴァン王子がいた。


 長方形の机の末席に座っていたシルヴァンは、三人に気づくと立ち上がって最敬礼する。ハトシェプトゥラの許可を得て顔を上げると、ジェラルドの横にいた老翁を不思議そうに見た。


「ハトシェプトゥラ女王。ジェラルド様の隣にいらっしゃるのは……?」

「クダラ様だよ。人に転化したお姿は初めてのようだね、シルヴァン」


 シルヴァンは目を見開き膝をつく。


「こっ、これはクダラ様とは知らず、ご無礼を。何故人のお姿に?」

「私がお願い申し上げた。我が国はクダラ様を神格化しているから、魔物のお姿を拝謁したら感極まってむせび泣く者や気絶する者が現れる可能性があったからな」

「二人ともおやめくだされ。そう畏まられると、おじいちゃん恥ずかしいです」

「かまととぶるなクダラ」


 ぽっと頬を赤らめるクダラを半眼で見るジェラルドを、ハトシェプトゥラはキッと睨みつけた。


「無礼者! クダラ様にそのような口を利くとは何事か。まったく、バルカタルの皇帝が嘆かわしい」

「良いのですよハトシェプトゥラ様」


 クダラが宥めても、ハトシェプトゥラはぶつぶつと文句を言っていたが、召使がカルバル産のお茶を用意すると三人に着席をすすめ、しばらく他に誰も入らないよう人払いした。

 かわりに、いつの間にか入ってきた影がハトシェプトゥラの膝の上に座る。青みがかった灰色の短毛と、ハトシェプトゥラと同じく瑠璃色の瞳が美しい猫だった。


「さて。この三カ国が集まったということは、やっとサタールの協力が得られたのかな?」


 ハトシェプトゥラが猫の背を撫でながら問いかけると、ジェラルドとシルヴァンが視線を交わす。おもむろにシルヴァンが口を開いた。


「ええ。父上がようやく、水の精の遺跡へ入る許可をくださいました」

「よく説得できたねえ」

「戦となったら援軍を送ってくださるとジェラルド様が確約してくださったからです。サタールはウイディラだけでなく東の国からも狙われていますので」

「それだけじゃないだろう」


 苦々しい顔でジェラルドが口を挟んだ。


「シルヴァンと私の妹が結婚することになった」

「なに? まさか、エレノイアじゃあるまいな」

「下の妹だ。まったく、そんな条件までつけられるとは誤算だ」

「それほど嫌がるとは、お前に妹好きシスコンの気があるとは思わなかった」


 ジェラルドの顔が引きつり、ハトシェプトゥラがころころと笑う。


「エレノイアには会ったことはあるが、下の妹君は知らぬな。どんな女性だ?」


 答えに窮したジェラルドはシルヴァンに視線を投げかける。それを受けたシルヴァンは一瞬だけ戸惑ったが、セイレティアを思い出しながら言葉を紡いだ。


「とても美しく聡明な方です。建国記念式典に来ていただきましたが、おしとやかで慎ましい方だと他の国々からも大変評判で、両親がセイレティア様をぜひ私の王妃として迎えたいと……どうかされましたか? ジェラルド様」


 ジェラルドの口の端がピクピク動いており、シルヴァンは訝しむ。「何でもない」と言いながら誤魔化すようにお茶を口に運び、隣のクダラはほっほっほっと笑っていた。


 すると、ハトシェプトゥラもころころ笑う。


「シルヴァン、どうやらそなたの婚約者は裏があるようだよ」

「裏、ですか」

「私がやろうか? ジェラルドの妹なら、さぞ面白いものが視られるだろう」


 ハトシェプトゥラの瞳が瑠璃から漆黒へ色を変えた。能力を使い始めた証だ。膝の上にいる猫も同じように色を変えてシルヴァンの辺りを視ている。

 彼女の授印が真実を視る能力だという話を耳にしたことがある者なら、詳細を知らずとも狼狽えて顔を隠したがるが、シルヴァンは臆することなくにこやかに微笑んだ。


「少し謎めいた女性の方が魅力的でしょう」


 ハトシェプトゥラは室内に響くほどの笑い声をあげる。


「さすがサタールの王子だ。多少のことでは動じない。この中で一番食えないやつよ」

「何をおっしゃいますやら」

「穏やかなようでいて、したたかだ。欲しいものはすべて手に入れる。そう視えたが?」

「とんでもない。関税に関してはバルカタルの有利な条件になってしまいました」


 シルヴァンが柔和な笑みで女王の追及をかわすと、ハトシェプトゥラと猫は、まったく同じ角度に首を傾け、愉快そうに細めた目の色を元に戻した。


「おや、なかなかやるなジェラルド」

「水の精の遺跡へ案内してもらうためだけに、援軍と皇女をやるのだ。それくらい、どうってことなかろう。それよりカルバル女王。サタールの許可を得られたら貴国にある地の精の遺跡へ案内してくださるという約束、守っていただこう」


 改まったジェラルドがはっきり言葉にすると、ハトシェプトゥラの目の奥が光る。


「さてねえ。精霊の遺跡は国の宝。王族でもそう易々と入れるものではない。他国の者を入れるかは女王として慎重に判断せねば」


 焦らすようなハトシェプトゥラを睨めつけそうになるがなんとか耐え、悩ましげかつ憂いを帯びた顔で応戦する。


「ネフェルトゥラが、姉は約束を必ず守る誠実な女性と言っていたんだが、残念ながらそうではなかったと報告せねばならんようだ」


 男にしては色気のあるジェラルドの態度に目を丸くしたハトシェプトゥラは、すぐに破顔した。


「爽やかな顔をして、ますます意地悪くなったようだね。わかったよ。明日の予定はすべて中止し、地の精へ会いに行くとしよう」

 

 「食えない男たちに挟まれて可愛そうだな私は」と付け加えて、ジェラルドがこの世で最も敵に回したくない女性は耳に心地よい笑い声を響かせた。

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