第31話 追憶
帝都にある学園の授業を終えた七歳のツバキは、初等部の学舎から門までの道をしずしずと品よく歩いていた。
すれ違う生徒たちの挨拶に皇女らしい柔らかい笑みを返す。
愛らしい容姿で成績優秀、しかし体育や魔法の授業、魔物学の課外授業は必ず欠席する病弱な皇女。それが学園内での第三皇女セイレティアの評判だった。
そんなツバキの前に空からふわりと降り立ったのは十四歳くらいの金髪の少年。ツバキの目にはっきりと映る彼は、他の人の目には見えていない。
「おかえり」
優しく微笑むカオウに、ツバキはいつも通りの笑顔を貼り付けたつもりだった。
しかしカオウは瞬時に顔をしかめる。
「なんかあった?」
すぐに気づかれてしまったツバキはドキリとした。目が潤まないようになんとか堪えて「なにもないよ」とつぶやくと、カオウがむっとする。
「絶対なんかあった」
<なにもないわ>
人目があるので歩きながら思念で否定し、門の外に控えている飛馬車をまっすぐ目指す。
頬を膨らませつつツバキの歩調に合わせて隣を歩くカオウをちらりと見て、言おうか言うまいか悩んだ。迎えの飛馬車の中でいつも通り手を繋いで魔力をあげながら城へ帰り、自分の部屋に入るといつも通りアベリアが出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ、セイレティア様」
穏やかなアベリアの声に、また目が潤みそうになった。
「やっぱなんかあっただろ」
強めの口調のカオウに手を引っ張られて、ソファに座ったカオウの膝の上に座らされる。
「誰かにいじめられた?」
気遣わし気な顔で頭を撫でられ、ツバキの目から涙が盛り上がる。
「わっ。そうなのか!?誰だ?やっつけてやるから言ってみろ!」
おろおろと慌てるカオウの言葉に首を振ると、真珠のような清らかな涙がはらはらこぼれた。
「じゃあどうしたんだ?」
カオウに涙をぬぐわれたツバキは長いまつ毛を伏せる。何度も躊躇ってから、ようやく話す決心がついた。
「わたし、アベリアとカオウと一緒にいられないの?」
「は?なんで?」
「皇帝にも州長官にもなれなかった子は、十八歳になったら城を出ないといけないとお友達から聞いたの」
十六歳になる前に始祖の森へ入り魔物と契約するという禁忌を犯したツバキは授印の儀を禁じられた。
世間にそれは公表されていないが、父親が学園へセイレティアに魔力に関する授業はするな魔物にも触らせるなと命じたため、周囲が勝手に魔力が低いのだろう、魔物に触るのも怖いのだろうと噂していた。
その噂を信じている恋愛話好きの友人が「きっとセイレティアはどちらにもなれないから、十八になったら結婚するのよ。どんな男性がいいの?」と悪意もなく聞いてきたのだ。
結婚したら城を出ていくことになる。そうしたら始祖の森に住むカオウとも、城に仕えるアベリアとも別れなければならない。
そう思い込んだツバキは不安になってぐずぐずと悩んでいた。
「そりゃあ、いつかはツバキも結婚するだろ」
当然のように言われたツバキはさらに涙を溢れさせ、さらに慌てたカオウにごしごしと顔を拭われる。
ティーセットとおやつのマカロンを机へ用意したアベリアはカオウの手を払い、ツバキの前にしゃがんで涙をハンカチで押さえるように優しく拭いた。
「どこへ嫁がれるとしても、私はセイレティア様についていきますよ」
「ほんとう?」
「はい。私が仕えるのはセイレティア様だけです。ずっとおそばにおりますよ」
パアッとツバキの顔が輝いた。
アベリアにギュッと抱き着いて頬にチュッとする。
「ありがとうアベリア。大好きよ!」
「私もセイレティア様が大好きですよ」
にっこり微笑みあう二人を見て、カオウは口を尖らせた。ツバキの肩をちょいちょいとつつく。
「おれだってツバキについていくよ。授印だもん」
「でもお父さまは許してくださらないわ」
「今みたいに隠れてそばにいるよ」
「ほんとう?」
「うん」
「それなら今までと変わらないのね。よかった!」
満面の笑みを浮かべたツバキはカオウにも抱き着こうとして、途中で止まる。
「お相手はお父さまが決めるらしいの。怖い人だったらどうしよう」
「ツバキが選べないのか?」
カオウに問われたアベリアは、紅茶を注いでいたティーポットの注ぎ口を拭く。
言えないことでもあるのか、黙考してから顔を上げた。
「そのときの情勢にもよるでしょうけれど。今のところお相手は国内貴族の予定だから、セイレティア様のご意見も少しは聞いてくださるはずよ」
「それなら、ツバキを大事にしてくれるやつかどうか見極めてやるから安心しろ」
任せろとばかりに自分の胸を叩くカオウにツバキは微笑んだが、またすぐ不安そうな顔に戻る。
「もし勝手に決められてしまったら?」
「そしたら……」
途中で口を閉じてしまったカオウに首を傾げると、頭の中に声が響いた。
<……そしたら、おれが連れ出してやるよ>
<え?>
<結婚したくないならしなきゃいい。いつだって、ツバキの行きたいところへ連れてってやる>
<どこへでも?>
<ああ。今だってずっと城にいる必要もないんだぜ。ツバキは帝都のモルビシィアしか行ったことないだろ。レイシィアにはもっと面白いもんがたくさんある。他の州にだって、他の国にだって、違う世界にだって、ツバキが望むならどこへでも連れ出してやる>
<あ、危なくない?>
恐々言葉をこぼすツバキの目の奥に、キラキラとしたものがほんの少しだけ芽生えた。それに気づいたカオウはくしゃっと笑う。
<大丈夫だって、おれが守ってやるから。始祖の森で遊ぶときもそうだろ?>
<うん>
カオウに何度も何度も優しく頭を撫でられ、ツバキの不安がようやく溶けていく。
カオウといれば安心。何も怖いことなんてない。
ツバキはそう心から信じた。
カオウは、すぐに泣いてしまう弱弱しいツバキが笑顔になる瞬間が嬉しかった。この世界にある楽しいことをもっと教えてあげよう。カオウはそんな軽い気持ちでいた。
その後しばらくアベリアが難しい顔をしていた理由など、当時の二人は想像すらできなかった。
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