第11話 水の精霊
浮遊する感覚があった。体に圧がかかり、ゆったり小さく揺らされている。
「………キ…………ツバキ」
ツバキはカオウの声でゆっくり目を開けた。
彼の肩に預けていた頭を上げると、いつになく厳しい表情のカオウに視線で前を向くよう促される。
その視線の先にいたのは、アフランの首の後ろをつかむ女性の形をした水の塊だった。
五メートルほど離れた場所にいるアフランは顔を強ばらせながら、周囲にいるたくさんの生き物たちに目を走らせている。
ゾワッと全身に鳥肌が立った。
ツバキたちを取り巻くように大勢の生物がいた。その生物たちは普通の魚ではなかった。目、鼻、口が点のような尾の長い魚や、翼の生えた鰻、手足が異様に長い山椒魚、全身が枝のような生き物もいる。
「なに…………?」
言葉を発したとき口から水泡が出た。驚いて、ここがどこか改めて見回す。
水の中だった。だが不思議なことに呼吸もできており、手足を動かさなくてもカオウに支えられずとも浮かんでいられる。
そして時間の感覚が正しければ十五時くらいのはずだが、闇夜のように光が届いていない。
暗くても周りが見えたのは、アフランを捕まえている水の塊が照明のように光り輝いているからだった。
塊から出る水泡も光の粒のように輝き、水面へ上っていく。
周囲に不気味な生き物がおらず、アフランが囚われていなければ、幻想的な光景だったに違いない。
しかしこの状況下では綺麗であればあるほど恐怖を掻き立てるだけだった。
「ここって……」
「イーヴィル湖の中です」
答えたのはアフラン。自身の首を掴む水の塊へ視線を投げかける。
「彼女はウォールス山に住む水の精霊です」
「水の精霊?エイラト州やサタール国に加護を与えているという水の精霊のこと?」
「はい。周囲にいる水属性の精霊たちを統括しています。アーギュストの子へ話があるそうです」
「私に?」
「はい。………え?それは……どういう……」
水の精霊の話を聞いていたアフランはたまらず後ろを振り返った。明らかに狼狽えている。
「どうしたの?」
「え……そんな……まさか」
アフランの顔がみるみる険しくなっていく。話し終えてこちらに向き直ったときには、戸惑いと疑念を抱いた表情をしていた。
「水の精霊はこう言ってます。”ロナロに誰もいなくなった”」
「誰もいない?」
「……ご存知ではないのですか?」
アフランは噂好きのお客さんの話を思い出した。
ロナロは現在封鎖されていると言っていた。そして国軍によって全員処刑されていると。それが本当だったら……。
皇族であるツバキへ疑いの目を向ける。皇女に国軍を動かす権限があるとは思えないが、何か知っているのではないか。
そんなアフランの視線を受けたツバキは何も知らないと首を振り、気まずそうに視線を外すトキツの腕を掴んだ。
「トキツさん、知ってるなら話して」
結局言う羽目になったか……とトキツは抗えない力のようなものを感じつつ、当惑して額を押さえる。
「確かに、村には誰もいない」
「保護されて違う場所にいるってこと?」
「そうじゃない。そうじゃなくて……」
「……はっきり言ってください」
なおも言い渋るトキツをアフランが問い詰める。
「精霊が、村の川に血が流れたと言っていましたが」
「血?……トキツさん、本当なの?」
トキツは不安げな表情のツバキを苦々しく見る。
「ああ。何者かに殺されていたって話だ」
「……殺された?」
「そう。全員。だからロナロ人はもう、アフランとルファしかいない」
本当だったと知ったアフランは打ちひしがれて今にも倒れそうなほど顔色が悪くなっていた。
バルカタル人の血を引くアフランたちは村人からあまりよく思われていなかったが、それでも知り合いが全員殺されて平気でいられるわけがない。
吐き気が込み上げてきた。
しかし精霊が言ったことをすべて伝えるまでは、堪えなければならない。
一度深呼吸をして前を向く。
「いいえ、まだいます」
体は小刻みに震えていたが、声ははっきりと出た。
「精霊の一人がたまたま迷いこんだ先に、霊力のある人間がいたそうです。助けを求めていたって」
「どうしてロナロの人だってわかるの?」
「リタと名乗ったそうです。同じ名前のロナロ人を知っています」
「アフランのお友達?」
アフランはギュッと拳を握った。
「……村長の娘です」
村長と聞いて、ツバキはぎくりとした。
彼女の父親はツバキの父親を殺そうとした人だ。その人の娘……と思うと、胸にすっと冷たいものが流れ、同時に後ろめたさに近いものも感じる。
「その子が助けを求めているって?」
「リタは、”みんなを助けて”と言ったそうです」
「他にもいるの?」
「そのようです。水の精霊は、必ず助けろと言っています」
「ロナロにいないならどこにいるの?」
「それが……。水脈を辿っていたから地上から案内するのは難しいらしくて」
「それじゃあ助けられないじゃない。他に何かないの?エイラト州内にはいそう?」
「水の精霊の加護が届かない場所、としか」
「……違うってことね」
エイラト以外の州、もしくは他国という可能性もあり得る。
思わず苦笑が漏れた。
そしてどうやって探そうか考えあぐねていたとき。
突然、ブーンと重い耳鳴りがした。
咄嗟に耳を押さえて前方を見ると。
女性の形をしていた水の精霊が直径一メートルほどの巨大な円柱に変化した。
上へ上へ伸びて十メートルほどの高さになると、上辺がホースのようにツバキたちに向き……突如襲いかかった。絶対に受け止めきれない水量と水圧で猛スピードで迫ってくる。
──―逃げられない。
反射的に頭を庇う。
円柱がツバキに直撃する寸前、カオウの右腕と水の精霊がぶつかった。
爆発したような衝撃が湖を揺らす。
腕に当たった水の精は飛び散り、周囲にいた魚のような精霊たちが吹き飛ばされる。トキツとアフランもそのうねりに飲み込まれた。
カオウの体に守られたツバキは激しい水圧を感じるだけだった。
飛び散って拳大になった水の精霊の欠片は再び集まりながらカオウの腕に激突する。
今度は飛び散らず、力比べをするようにカオウの腕を押しのけようとしていた。カオウも必死に押し返す。霊力の塊である水の精霊を撥ねのけるには腕力だけでは足りず、ありったけの魔力を込める。
だが相手は湖の水を飲み込むように肥大していき、勢いが衰える気配はない。
ツバキは拮抗する力に弾き飛ばされないようにカオウにしがみついていた。
(これじゃあ終わらない。だけどどうしていきなり襲ってきたの?)
助けを求めてきたと思ったら、恐怖を煽るようにアフランを操り、穏やかに話していたと思ったら急に襲ってくる。水中にいるなら溺れさせればすむのに、わざわざこんな方法で。
本当に殺す気はなく、力を見せつけて、ツバキたちを弄んでいるかのようだ。
「ツバキ。魔力足りない」
カオウの顔が険しくなっている。
少しずつカオウとツバキは後ろへ押されていた。カオウの力が無くなれば水圧に押しつぶされてしまいそうだ。
(そういえば……シルヴァン様が、水の精は気難しいっておっしゃっていたような)
まさか試されているのでは、と直感に近い考えが浮かぶ。
(確証はない……けど……。カオウに魔力あげなくちゃ)
ツバキは腰に回されていたカオウの左手をとって、自分の右肩にある印に触れさせる。
そして思いっきり魔力を放出した。
金色の光が溢れ、カオウの体を通り水の精霊とぶつかる。
先ほどの爆発よりも大きな轟音が響いた。
ツバキの魔力に触れた水の精霊は、一瞬にして霧散した。
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