第12話 丸飲み

 耳を塞いで目を瞑り、音と衝撃波が鎮まるのを待って、ツバキは恐る恐る目を開けた。

 

 守ってくれたカオウの腕の中からプハっと顔を出す。

 まだ水の中だった。照明代わりだった水の精霊がいなくなったため薄気味悪いほどの闇。

 周囲に生き物の気配はない。

 不思議と息もできるので、水の精霊の領域テリトリー内ではあるらしいが。


 しんと静まりかえる水中は不気味で、いつ息ができなくなるかという不安に飲み込まれそうだった。泳げないのに水の中にいるというありえない状況に、今更ながら恐怖を覚える。


「ツバキ」


 ツバキを抱きしめていたカオウの腕に力が入る。


「ちょっと震えてる。怖い?寒い?」

「何にも見えないから、ちょっと怖い」

「空間の中に懐中灯入ってたかも。ちょっと離れて」


 言われて左手だけ繋いで離れる。

 暗くてツバキには見えていないが、今カオウは顔と右腕だけ空間の中に入っていた。最近入れた物なら手探りで取り出せるが、昔の物は顔も突っ込まないと探しだせない。何百年と貯め込んだ雑多な物をかきのける。


「あった」


 懐中灯は魔力を当てると光る、もしくは燃える鉱石を筒状の透明な容器に入れたものだ。この鉱石は淡いオレンジ色の光だった。灯すとちょうど二人の胸から上が見えるほどの明るさになったので、手放して水中にゆらゆら浮かべる。


 カオウの顔が見えて、ツバキは心底ほっとした。


「トキツさんとアフランは無事かしら」

「さあな。ツバキ、全力出しすぎ」


 苦笑され、しょうがないでしょと頬を膨らませる。


「試されてると思ったから、加減なんてできないわ。こうなるなんて思いもしなかったし」

「試されてた?」

「たぶん。カンだったけど、まだ息ができるってことは正解ってことかな。それよりカオウは怪我ない?」


 ツバキは身を呈して守ってくれた彼に怪我がないか確かめ、背中を見て慌てた。

 

「服がボロボロじゃない!血もついてる!!大丈夫!?」

「衝撃でちょっと切っただけ。ツバキが魔力くれたからすぐ治った。むしろくれすぎて絶好調」


 そう言って機嫌よくツバキの頭にキスを落とした。


「…………」


 ツバキは頬を染め少し非難めいた上目遣いでその箇所を撫でる。

 予想外に照れられて面食らい、照れが伝染するカオウ。赤面しつつ口を尖らせる。


「な、なんだよ。それくらいなら昔からやってただろ」

「昔"は"でしょ。もっと小さいころ」

「昔でもなんでも、してたんだからいいじゃん」

「良くない!」

「なんで」


 カオウはツバキの頬に手を添えて、意地悪い笑みを浮かべた。

 

「ドキドキするから?」

「……違うから!」


 ツバキは再びカオウの腕の中に隠れるように顔を伏せた。

  

(本当に、困る)


 ツバキはいつも通り接していきたいのに、カオウはそれを許してくれない。

 わざと心をざわつかせる。

 ツバキに寄り添って、包んで、時々乱して、自分の気持ちに手繰り寄せそうとする。 

 そうされても、応えられないのに。

 かといって、はっきり拒絶することもできないでいる。


(私は……ずるい)


 カオウがまっすく想いを伝えてくれるほど、自分が穢れていく気がした。


「ツバキ?まだ怖いの?」


 背中をさすってくれる大きな手。

 昔はなんの躊躇もなく抱き着いていたのに、今は体の横より後ろには両手を伸ばせなかった。


 


 カオウは黙り込んでしまったツバキの頭を撫でる。

 

「大丈夫?」

「……うん」


 何かを耐えているようなツバキの声。

 カオウはツバキを少し抱き上げて、頭を撫でながら再び髪に口づけた。

 次は額に、続いてこめかみに。

 ツバキの体が緊張で強張る。


「カ、カオウ。それ……やめて」

「瞬間移動しちゃだめだよ。今されたら見つけられない」

「それなら、やめてよ」

「やめない。好きなだけドキドキしてて。そうしたら恐怖なんて感じないだろ」


 固く目を閉じるツバキの瞼に、頬に、耳に、肩に。

 優しく触れるだけのキスの雨。

 

 心もとないオレンジ色の光の中にいる二人以外、何も、誰も見えない空間はカオウにとって心地いい以外の何物でもなかった。

 こんなに二人きりになれたのは何日ぶりだろう。

 途方もなく長い人生の中で、ツバキといた幸福な時間があった証をもっともっと記憶に刻みたかった。

  


 しかしそれも、やっぱり長くは続かない。

 カオウは内心舌打ちしながらキスをやめ、前方を冷たく見据える。


「ツバキ、来たよ。本物が」

「本物?」


 カオウの想いに耐えていたツバキが顔を上げる。冷たい水が火照った顔を冷やした。


「さっきの白い光のやつは、水の精霊じゃない」

「え?」

「アフランを操ってたのは、あいつ」


 紺に近い青い光が近づいていた。

 大量の精霊を従えて。

 次は何をされるのかゾッとしたが、よくよく見ると大群の中にトキツとアフランもいた。

 精霊に捕まっているというより支えられて泳いでくる二人は見る限り大きな怪我もなさそうだった。ほっと胸をなでおろす。

 

「トキツさん、アフラン。怪我はない?」

「大したことない。ツバキちゃんたちは?」

「大丈夫。それより……本物の水の精霊……なの?」


 青い光を放っていたのはバスケットボールくらいの大きさの球体だった。周囲に漂うスライムのような塊がいくつもくっついたり離れたりしている。


 球体はツバキの目の前に来るなり、ニ歳くらいの小さな女の子の姿に変わった。形だけでなく、本物の人間そのもの……肩までの長さのふんわりした髪形に、まん丸の瞳、にこやかな笑顔のかわいらしい幼女。

 

「こういう姿を想像していたのだろう?……と、この方が」


 アフランが通訳する。人間が好みそうな姿に変身したようだ。


「この方が本物の水の精霊らしいです。先ほどはツバキ様の力を試すための偽物……別の精霊だと」

「なぜそんなことをしたの?」

「霊力を貸すに値する力があるか確かめるため、と」

「…………え?」


 ツバキは聞き間違えたかと思い、眉根を寄せた。

 

「霊力と聞こえたけれど」

「はい、霊力です。精霊の声が聞こえるようになればリタを探せるからと言っています」

「だ、だけど。霊力と魔力は別物でしょう?」

「普通は無理ですけど、ツバキ様ほどの力があれば大丈夫だそうです」


 幼女がうんうんっとかわいらしく首を縦に振っている。


「え……。大丈夫なの?」


 不安になりカオウを見上げると、彼は疑いの眼で水の精霊を睨んでいた。


「危険だろ。そんなの」

「霊力を受け取るときは死ぬほど苦しいそうです。でもツバキ様なら死なないから大丈夫だと……」

「ええ……?」


 突然そう言われても、心の準備などできるはずがない。

 だがリタを助けるため精霊に居場所を教えてもらわなければならないのも確かだ。

 アフランが慌てて付け加える。


「そんなことをしなくても、一緒に連れて行ってくだされば、僕が通訳します」


 ツバキは考え込んだ。

 苦しい思いをしなくても、精霊の言葉を聞くだけならアフランがいれば事足りる。

 だが。


「アフランは連れていけない」

「なぜです?同郷の者が攫われたなら、僕も行くべきです」

「だけど、場所がまだわかっていない。あなたはエイラト州から出られないでしょう?それに、もしあなたに何かあったらルファが一人になってしまう。危険な目に合わせるわけにいかないわ」


 水の精霊は再びうんうんっと可愛く頷き、よくできましたとでも言うようにパチパチパチと手を叩いた。


「ツバキちゃんだって同じだろ」


 今度はトキツが口を挟む。


「だからさ、どうしてツバキちゃんが首を突っ込む。リタという子を助けるなら陛下へ頼んで軍を動かせばいい。アフランを守りながら探してもらえる」

「軍を動かすには、相応の理由がいるわ。でも貴族が精霊の言葉を信じるとも思えない。アフランがロナロ人だって知られるのも、よくないことだと思うの。パレード襲撃犯の処刑が終わったばかりの今なら、なおさら」

「時間がかかっても、軍に任せた方がいい。アフランのことは伏せて対応だってできるだろ」

「ロナロの村が襲われたのはいつの話?」

「パレードの翌日らしいけど」

「それならもう半年も前になる。これ以上時間を無駄にしたくない。私が行くのが最善よ」

「だけど……皇女がそんなことしなくても」


 ツバキはきょとんとした。


「皇女だからでしょ?リタはバルカタルの国民だもの。皇族が国民を助けるのは当たり前のことじゃない」

 

 次はトキツがきょとんとした。平然と公務をさぼり、皇女の威厳も考えず行動する子が、そんな考えを持っていると思っていなかったからだ。


「責務で言ってるのか?」

「そんな堅苦しくないわ。困っている人がいて、私に力があるなら助けたいってだけ。もちろん私一人じゃ無理だから、カオウとトキツさんには一緒に来てもらいたいけど」

「危険とわかっていても?」

「諦めろ、トキツ」 


 なおも引き留めようとするトキツを、カオウが制止した。カオウも納得していないが、どうしようもない。


「ツバキは俺より頑固だ。こうなったら梃子でも動かない」

「カオウは平気なのか?霊力を持つって大事おおごとだぞ」

「俺だって嫌だよ。本当にそんなことができるのか怪しいし。なあ、俺がその霊力持ったらだめ?ツバキより耐えられると思うけど」


 挑むように言うと、可愛らしくにこにこしていた水の精霊の目が鬼のように釣り上がり、口が顔半分まで大きく切り裂かれたようにおぞましく開いた。


 アフランがその形相に怯えながら意味を伝える。


「………アーギュストの子が務めを果すべきだ。ゲンオウの子では意味がない」

「ゲンオウ?」

「俺の親父だ」


 ツバキが問うと、カオウは忌々しそうな顔になった。カオウの父親は始祖の授印だ。


 水の精霊が左手をブチッブチッと引っ張り始めた。容易く千切れた左手は青く丸い塊に変わる。


「これを丸飲みすればよいそうです。死ぬほど苦しいが害はない。それから………よく自ら決断した。しなければ全員殺していた………だそうです」


 キャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャ!


 女の金切り声がキーンと頭の奥に響く。すさまじい頭痛がして全員頭を押さえた。


(わざと怖がらせて楽しんでる)


 ツバキは段々悔しくなってきた。

 水の精霊に向かって手を差し出し、ニタニタと笑いながら渡してきた青い玉を奪い取る。

 限界まで口を開ければギリギリ入るほどの大きさ。気持ち悪いほどプニプニしている。これを、丸飲み。


 手が震えた。どれほどの苦しみなのか……。


 端を口に含む。ジュルと吸うと一気に玉は口の中へ入り、勝手に動いて喉の奥へ奥へと進み始めた。異物が喉を刺激し、えずきたくなるのを必死に堪え、涙目になりながら飲み込んでいく。


(苦しい……気持ち悪い…)


 しかし、必死になって嚥下を繰り返しても、玉は喉の粘膜にまとわりつきそれ以上落ちていかなかった。

 呼吸が止まる。

 喉を圧迫する異物は微動だにせず、固まっていく。苦しさが焦りを生み、焦りが苦しさを生んだ。


 カオウは自分が苦しんでいるかのような顔でツバキを見守っている。


<ツバキ、大丈夫か?>

<……喉が詰まって……息が……できない>

 

 このままでは窒息してしまう。死ぬことはないと言っていたが、死ぬほど苦しいという表現は文字通り一回死ぬことなのではないかと思えてきた。


 悔しい。

 ここまで翻弄されて、やられっぱなしなんて嫌だ。

 

 ツバキは苦痛で暴れたくなる体を無理やり押さえて、遠のきつつある意識を引き戻して、クディルを操作するように魔力で喉に張り付く異物を体の中へ押し込もうとした。


 カオウが水の精霊の偽物を力で押し返せたのなら、できるはず。


 ツバキはカオウと向かい合って、両手を彼の指に絡めてつないだ。ツバキがやろうとしていることを察したカオウは頷いて、力強く握り返す。


<落ち着いて。さっき俺に魔力をくれたみたいに、一点に集中させればいい>


 頭の中に響くカオウの声に導かれるように集中する。

 ズル、ズル、と喉に張り付く異物が粘膜を伝って降りていった。

 まだ呼吸ができなくて苦しい上に、喉をゆっくり通る感触が気持ち悪い。咳込みたくなる気持ちをどうにか押さえる。

 カオウの胸に頭を預けて、苦しみに耐え続けた。


<あと……ちょっと……>


 そのあと少しが長かった。

 苦しくて苦しくてたまらない。ビクビク体が痙攣するように勝手に動きたくなる。カオウの手の甲に爪が食い込むほど手を握り、頭を胸に押し付ける。苦しみに耐えるため噛んだ下唇から血の味がした。


(早く!!お願い!!)


 ズルンと異物がすべて喉を通った。

 その刹那、大量の酸素が体に入ってくる。ぼんやりした頭はそのままカオウに預けた。

 

”これでワタシの声が聞こえるだろう”

 

 耳から入るのは違う言葉だったが頭に意味が響いた。荒く息をしたまま水の精霊を横目で弱々しく睨む。


 水の精霊が変身した幼女はまた可愛らしい笑顔に戻り、可愛くパチパチと拍手していた。


”守護者を必ずロナロへ戻せ”

 

 一見愛くるしい瞳。しかし射抜くように鋭く、失敗は許さないと脅す目だった。


「守護者?そうしなければならない理由があるの?」


 水の精霊はツバキの問いを聞くや否やツバキの顔の前まで近づいた。そしてゆっくり九十度まで顔を傾け、にまあと薄気味悪く笑いながら百八十度まで……顔を回転させた。上下逆の頭が首の上に乗っている。


”アーギュストの子。神の依り代。歴史を忘れた愚か者。愚行を繰り返すな。責務を果たせ”


「……どういうこと?」


”お前にもう用はない。ああ、最後に一つだけ”


 水の精霊はツバキの耳元に口を近づけ、ボソッと告げる。


”しくじれば、殺すぞ”


「―――っ!!」


 心臓が握り潰されそうなほどの激痛が走った。


 キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!


 笑い声が頭の中でキーンと響く。


 ふっと水の精霊の青い光が消えた途端、湖全体がかき混ぜられたように動き出し、息ができなくなった。ただでさえ酸欠だった体は耐えられずゴボッと大量の水を飲む。


 突然の激流で離れてしまったカオウの手を掴もうと手を伸ばしたところで、ツバキは意識を失った。 

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