第25話  変な気って?

  隣国のリロイがウイディラに負けた、という衝撃が帝国中を駆け巡ったのは昨日。

 今後の方針について有識者との話し合いを終えたジェラルドは、私室で物思いにふけっていた。


 リロイは魔力の平均値が高い国だ。十年前の戦ではバルカタル帝国との魔力差を武器で埋めようとして失敗したが、それでも他の国と比べれば高い。魔力のある人の方が少ないウイディラからするともう一つの隣国であるサタールの方が明らかに攻めやすいはずだ。


 それなのに、ウイディラはリロイに戦を仕掛け、勝った。

 勝因は対魔法の武器。結界がことごとく破られ、攻撃魔法も無効化され、できた隙に大砲や銃などの武器で攻められた。リロイにも狙撃兵はいたが、銃と兵の両方の質に歴然とした差があったという。

 

 それでも帝国の敵ではないと高を括る大臣の声に賛同する者は多数。

 相変わらず危機感がないと内心呆れながら、ジェラルドは国軍大将へ国境の守りを固めることと、対魔法の武器についての情報を集めること等を命じた。

 

 ここでジェラルドが気になったのは、なぜウイディラは狙いやすいサタールではなくリロイを先にしたかということだった。ちょうど秘密裏に進めていた同盟が締結されようとしている最中。その情報が漏れていたと勘ぐるのは考えすぎだろうか。

 

 ケデウムで怪しい動きをしている連中がウイディラの者と繋がっていることはわかっており、今は明確な証拠を探している。そんな中で起こったリロイとウイディラの戦、祝賀パレードで張っていた結界を破った赤い石の存在、それに似た石もまたケデウムで見つかっている。


 対してこちらはウイディラに関する情報が少ない。雲を突き抜けるほど高い山々が連なるダブロン山脈の反対側にあり、国交がないからだ。かろうじて王位継承権を巡る争いが絶えないらしいという噂を知っている程度。

 早急にサタールの第一王子から情報を得なければならない。サタールは小国ながら大国と渡り合っているだけあって、情報収集能力が高い。他国の内情に驚くほど精通している。ウイディラについてもよく知っているだろう。


 それから、同盟の証として迫られている婚姻問題も頭痛の種だった。

 周囲はセイレティアとシルヴァンの婚姻を進めたがっているが、カオウがいる以上すんなりとはいかない。 

 もしカオウがこのまま戻らなかったら。そんな考えが頭をよぎる。

 もしそうなれば、ジェラルドは迷うことなくセイレティアへ嫁げと命じるだろう。同盟が上手く行く上に、セイレティアもシルヴァンとなら人並みの幸せが得られる。魔物を操る力は未知数だが、この国に悪い事には使わないはず。たとえ龍が国内からいなくなったとしても、他国の手にも渡らないのなら利点の方が多いのではないか。


「印と同時に情も消えていれば都合がいいんだがな」

 

 そう独りごちたとき、いつものクッションの上でうつらうつらしていたクダラが目を覚ました。

 じっと一点を見つめている。ジェラルドもそこへ……窓の外へ視線を動かすと。


「……カオウか?」


 朱色が物悲しい薄紫色へと移りゆく空に、金髪金眼の青年が浮かんでいた。

 青年の体は透けて見え、心をざわつかせる逢魔が時の景色に妙に馴染んでいる。

 彼の腕の中には栗色の髪の少女が眠っていた。

 顔は見えなかったが、この青年があの少年ならば、愛おしそうに抱かれる少女はこの世でただ一人しかいない。


「まさか、セイレティアか?」


 慌てて窓を開けると青年がふわりと降り立つ。


「背、伸びたな」


 カオウの背はジェラルドと変わらないくらいまで伸びていた。


「ふうん。まだ俺の姿見えるんだ。さすがだね」


 カオウの体が濃くなり、完全に姿を現す。


「かろうじて、だがな」


 ジェラルドはカオウの頭から足先までをまじまじ観察した。金の髪は肩まで伸びており、幼かった顔立ちは精悍なものに変わっている。肩幅は広く、セイレティアを抱きしめる腕には無駄のないしなやかな筋肉がついていた。


「なあ、服くれよ」


 カオウはどこから持ち出したのか白いバスタオルを下半身に巻いているだけで、上半身は裸だった。

 ジェラルドが適当な服を渡してやると、カオウは勝手に寝室へ入ってセイレティアを寝かせ、着替えて戻ってきた。


「あとさ、食いもんは?」

「いろいろ聞きたいことがあるんだが」

「腹減ったんだよ。何かくれ」


 外見は変わっても中身は変わっていないらしい。ジェラルドはむっとしながらも、外に控えていた従者へ言づけて軽食を持ってきてもらう。

 カオウはよほど空腹だったのか、次々口の中へ放りこむように食べ始めた。

 ジェラルドは彼の前に座って足と腕を組む。


「まず、脱皮が終わったってことでいいんだな?」

「ん」

「セイレティアがなぜいる。帰りは明日の夜のはずだが」

「んーんんんんんんん」

「…………食べ終わってからでいい」


 カオウは茶で口の中のものを飲み込んだ。


「そんなの知らない。今日の昼頃あいつから会いに来たんだ」


 ジェラルドはがっくりとうなだれた。つまりは公務を抜け出して帰ってきたと言うことだ。急いで側近を呼んで確認するが女官たちは帰って来ていないらしい。そして私用護衛が謁見を求めていると聞き、痛くなってきた頭を押さえながら護衛を迎える。

 護衛はものすごーく恐縮しきりという感じで入ってきて、部屋にカオウらしき青年の姿を見つけるとあんぐり口を開けた。


「お……おまえ……カオウ? デカくなったな」


 親戚のおじさんのようなトキツの驚き様に得意げな表情を浮かべるカオウ。

 ごほん、と皇帝の咳払いに慌てたトキツは平身低頭で許しを請う。


「申し訳ありませんっ」

「どうせセイレティアに懇願されたのだろう」


 怒鳴られると覚悟していたトキツは穏やかな声に安堵して顔を上げる。

 しかし眼前にあったのは、太陽の光を反射する清らかな川のごとくキラキラと輝く笑みの下に、猛毒を含んだ土が沈殿した川のごとく触れてはならない雰囲気を感じた。


「お・ま・え・の・しゅ・じ・ん・は・だ・れ・だ?」


 皇帝はトキツの前にしゃがみ、万年筆の天冠でトキツの額を一音ずつ小突く。


「あ、あなた様です」

「どういうことか説明しろ」


 トキツは、ツバキが空の魔物を通じてカオウの脱皮が終わったことを知り、その日の夜から飛馬車を乗り継いで不眠不休で一日半かけて帰ってきたこと、公務はサクラが代わったことを伝えた。


「なぜ一日しか違わないのに待てないんだ。アベリアは知っているのか」

「はい」


 アベリアはセイレティアが五歳のとき一人で森へ入ってしまったことに責任を感じている。また一人で行ってしまうよりはきちんと護衛をつけた方がいいと考えたのだろうか。

 もう幼い子供ではないのに。

 あの女官は有能だが時折セイレティアに感情移入しすぎるきらいがある。


「それで、カオウ。セイレティアが眠ってるのは疲れているだけか?」

「んー。脱皮直後で魔力が足りなかったから吸い取った。一日か二日は寝てるかもね」

「もっと加減できんのか」

「うまかったぜ」


 ペロリと舌なめずりをするカオウ。どことなく卑猥な印象を受け、よからぬ想像が膨らむ。


「おっお前! まさか、セイレティアに何かしたのか!?」

「何かって何?」


 怪訝な顔で聞き返され、つい最近までお子ちゃまだったこの男の思考がどこまで変わったかわからないジェラルドは答えに窮した。

 きっと何もないと信じ、再び椅子に座る。トキツにはそのまま正座させておいた。


「ということは、また印を結んだんだな」

「ああ」

「もう消す気はないのか?」


 そう問うと、まだパンを食べていたカオウの手が止まる。ゆっくり顔を上げた彼の目は、蛇のような瞳孔に変わっていた。

 ゾクッとジェラルドの背筋が凍る。


「お前もあの親父と同じこと言うのか」


 親父とはセイレティアの父親のことだ。二人を離れさせようとした父はカオウに心底嫌われている。

 ジェラルドはカオウの睨みを正面から受け取めた。


「わかってると思うが、あいつは十八になったら結婚させるぞ」


 睨み返さず、淡々と事実を述べる。

 カオウの目が人のそれに戻った。


「わかってる。あいつが他の奴を選んだら諦める」


 聞いておいてなんだが、あまりに素直で面食らうジェラルド。

 こいつなりに色々と悩んでいたのかもしれないと感じた矢先、カオウは今度は挑発的な目で微笑した。


「だけど、あいつが俺を好きになったら、遠慮なくもらっていくからな」

「何!?」


 ジェラルドもさすがに堪忍袋の緒が切れた。机を叩いて勢いよく立ち上がり、冷えた目でカオウを見据える。


「お前、自分が何を言ってるかわかっているのか。セイレティアは皇女だぞ。あいつの人生を潰す気か!」


 するとカオウも立ち上がり、顎を上げて相手を見下ろすように尊大な態度で威圧する。


「そっちこそ何か勘違いしてない? 俺はいつだってツバキを連れて行ける。それをあいつの気持ち次第で諦めてやるって言ってんだ。かなり譲歩してると思うけどね」


 二人の間に火花が散る。


(な……なんか、前にも似たようなことがあったような)


 正座したままのトキツは冷や汗をダラダラ垂らす。この場を収められる人物へ必死に念を送った。いや、人ではなく魔物へ。

 今まで沈黙を貫いていたクダラがのっそり立ち上がる。


『二人とも。ここで睨み合っていても仕方ないでしょう。セイレティアを汚れた格好のまま寝かせておくのも良くない。カオウも今日はひとまず休んではどうだね』


 老翁の仲裁は無碍にできない。二人とも同時に舌打ちし、渋々気持ちを静めた。


 そして次の問題は誰がツバキの服を着替えさせるかということだった。

 とりあえず従者へ絹のローブと体を拭く湯を用意させたはいいが、いつもの女官と侍女はいない。

 微妙な沈黙が流れた後、おもむろにカオウが動き出した。焦ったジェラルドが制止する。


「いや、カオウ。お前はダメだ」

「なんでだよ。俺以外の男が触れるのは許さないからな」

「お前が一番危険だ」

「は? なんで? 着替えさせたことくらいあるし」

「あいつが小さい頃の話だろう。クダラ、お前がやってくれないか。リハルにも手伝ってもらえ」


 クダラとリハルなら、もしセイレティアがこのことを知っても怒らないだろう。

 承諾したクダラが寝室へ移動すると、カオウも着いて行こうとする。慌てて肩をつかんだ。


「だから、お前はだめだ」

「だからなんで」

「変な気を起こすだろう」

「なんだよ変な気って」


 首をかしげるカオウ。

 ジェラルドはじっとカオウの表情を観察した。邪な気持ちはなく、本当にただ着替えさせるだけのような印象を受ける。体は成長してもまだそういう欲求には目覚めないのだろうか。

 いや、それでもだめなものはだめだと、ジェラルドはがっしりカオウを捕まえておく。

 だが。


「あ!!」


 カオウの姿が消えた。行き先はわかりきっている。


「…………」


 追いかけたいが寝室に踏み込めない。兄だからそんな気は微塵も起きないが、セイレティアに知られたら一生罵られそうな気がする。

 ジェラルドはキッとトキツを睨んだ。もやもやする気持ちを全てぶつけた。


「セイレティアに万一のことがあったらただじゃおかないからな」

「なぜ俺を睨むんですか。クダラ様たちがいるから大丈夫ですって」

 

 正座したまま脂汗を流すトキツ。

 しかし一分も経たぬうちにカオウが寝室から飛び出してきた。

 扉を後ろ手で閉め、顔を真っ赤にしている。


「…………」


 ジェラルドとトキツは無言でカオウを注視する。

 数秒後、カオウは目を見開いたまま、赤い顔をジェラルドへ向けた。


「……変な気の意味がわかった」


 とりあえず、ジェラルドはトキツをグーで殴っておいた。

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