第24話  一緒にいる意味

 なぜか急に帰りたくなった。

 数百年前に住んでいた、始祖の森と呼ばれる場所へ。


 カオウが空間を割るように飛び出した先に、幼い少女がいた。

 五歳くらいの少女は目を見開いて、宙に浮かぶカオウを見上げている。彼女の目からは、何もない空間から突然少年が現れたように見えただろう。


 龍の子が見える人間がいるなんて思いもしなかった。

 だから最初は、カオウの後ろにいる鳥か何かを見ているのだろうと思っていた。

 けれどそれにしては、長らく自分と目が合っている。

 なんとなく先に逸らした方が負けのような気がして、カオウも逸らせなかった。

 

「……あなた、にんげん? まもの?」

 

 少女が怯えながら問いかける。怖いのに、好奇心に抗えないという感じで。


「魔物」

「にんげんの姿をしたまものなの?」

「人に変身できるんだよ」

「とてもきれいな髪とおめめね」


 きらきらとした純粋な瞳が、カオウの自尊心をくすぐった。

 空高く舞い上がり、大蛇の魔物の姿へ変わる。

 金色の鱗が太陽の光を反射して輝く。

 あまりの大きさに少女が驚いてしりもちをついた。

 それをくすりと笑ってから、カオウは蛇の顔を少女へ近づける。

 

「とっても大きくて、きれいな蛇なのね!!」


 少女は興奮して満面の笑みを浮かべた。

 それがとてもうれしくて、カオウはまた人の姿へ変わり、少女の前へ降りる。


「一緒に遊ぶ?」

「いいの!?」


 少女は飛び跳ねて喜んだ。

 

 しかし突然、城から大勢の兵士が押し寄せてきたので、少女はカオウの背に隠れた。


「な、なに?」

「あーそうか。結界があったの忘れてた」


 能力を使って城へ出入りすると結界に感知されてしまう。

 カオウは怯えて涙目になる少女の手を握ってやった。


「おれのことは黙っておいて」

「どうして?」

「多分他の人におれは見えていないから」

「そうなの?」

 

 少女は震える手でカオウの手を握り返す。

 大勢の兵士の中で、他とは違うオーラを纏う人間が二人、少女の元へ走ってきた。


「おとうさま……。おにいさま……」

「何か見なかったか?」


 ふるふると首を振る少女。 

 父親と思われる男は「そうか」と言うと、あっちを探せと兵士へ命じて去る。

 ただ、一緒にいた兄らしき少年は、目を凝らすようにカオウの方を睨んでいた。


(見えてる……? いや、気配だけか?)


「お前、何と一緒にいる?」

「な、なにも」

 

 少女は両手でカオウの手を握る。怒られると思っているのか、嘘が苦手なのか、がたがた震えて今にも泣きだしそうだった。

 カオウはここから離れようとそっと少女に耳打ちし、さり気なく手を引っ張りその場を離れた。



 

 その後少女の部屋でしばらく身を隠すことにした。

 座り心地のよさそうなソファにどさりと座り、いまだ怯える少女を膝の上に乗せてやる。


「お前、皇女だろ。名前は?」

「セイレティア」

「長いな。副名は?」

「ツバキ」

「そっちで呼んでいい?」

「うん」

「まだ怖い?」

「……少し」


 カオウは少女の頭を撫でてやる。

 少女はじっとカオウを見つめ、恐る恐る顔に触れた。


「きれいなおめめ」


 澄んだ碧色の瞳が柔らかいものになる。

 

「あなたのお名前は?」

「カオウ」

「カオウ……」


 ツバキが嬉しそうに微笑んだ。


 怖がらなくなり安心したカオウは部屋を見回し、違和感に気づく。

 そういえば、皇女なのに部屋には女官や侍女が一人もいない。

 しんと静まり返る広い部屋には、書きかけの絵と絵具が散らかっていた。


「母親は?」


 表情が暗くなる。

 しまったと後悔したが遅かった。ぽろぽろと涙が落ちていく。


「いない。おねえさまも……この前死んじゃった」

「あーごめん! 泣くなよっ。な?」


 慌てたカオウはツバキの頭をわしゃわしゃとなでる。


「いたい」

「あっ。ごめんごめん」


 ぐちゃぐちゃの髪を整えてやる。


「カオウ、おかし食べる?」

「いいのか?」

「うん」


 ツバキはカオウの膝から降りると、机の上に山盛りになっていたお菓子を皿ごと持ってきた。

 おいしそうなクッキーやチョコをカオウに勧めて、ツバキもにこにこと笑顔で一緒に食べる。

 だが笑顔なのに目に涙が盛り上がっていた。

 

「ど、どうした? おれが今食べたやつが欲しかったのか?」


 ツバキは笑顔のまま首を振る。


「だれかと食べるとおいしいのね」


 ねえさまがいなくなってから、おかしがおいしくなくなったとツバキは言った。

 カオウは長くため息をつく。

 それを見たツバキは怒られると思ったのか、ビクッと体を震わせる。


「ああもう。泣くな」

「ごめんなさっ……」

「お前、さみしいのか?」

「…………」

「おれが一緒にいてやろうか?」

「……え?」

「さみしくないように、一緒にいてやる」

「ほんとう?」

「ああ」

「うれしい! やくそくよ!!」


 ツバキの顔がぱーっと明るくなり、カオウに抱き着いた。 

 カオウも微笑んで、頭を撫でた。



 それからは毎日一緒にいた。

 より少女が安心できるよう、約束の印まで授けて。

 三千年近く生きるうちの、ほんの数十年。

 一度くらい授印として人間の一生を見守るのも悪くないと思った。

 暇つぶしにちょうど良かった。

 ただそれだけ。


 それだけだったのに。


 



 カオウはゆっくり目を開けた。

 まだぼーっとしている。


(……懐かしい夢みたな)


 金色の長い首をもたげて上空を見ると、青い空の下で薄い雲が風に乗って流れていた。その間を泳ぐ空の魔物たちが、物珍し気に龍でもない蛇でもない魔物を見下ろしている。


 ずっと脱皮を手伝ってくれていた蛇や蛟たちが言うには、ついに尻尾の先まで完全に脱げたらしいが、まだ頭がぼんやりしている。力も出ない。

 ただ、気持ちは穏やかだった。

 脱皮に入る前は、頭や体の中に虫がいるんじゃないかと思うくらい身の内で暴れるものが抑えきれなかったのに、今は憑き物が落ちたように鎮まりかえっている。


(どれくらい大きくなったのかな)


 自分ではよくわからない。ただ、今までのっぺりとしていた顔にしっかり凹凸ができている気がした。手が小さく生えているような気もする、まだうまく動かせないが。髭は確認できないし、角は……と近くにいた蛇や蛟たちに問いかけると、一様に首を振られた。


 そして人の姿に転化したらどうなっているだろうと想像する。

 背は伸びているはずだ。顔はツバキの好きな感じになっているといい。

 今すぐ転化して確かめたかったが、まだ魔力が足りなかった。

 今はゼロに近く、人の言葉を話す力もない。


(吸い取るか)

 

 その辺の魔物の魔力を吸えば早く回復できる。自分より魔力の低い生き物と勝手に契約し魔力だけ吸い取ることは、弱肉強食社会の森ではさして珍しいことでもない。


 首を動かして、その辺の魔物に触れる。

 瞬時に印を与え、魔力を吸いつくす。吸われた魔物は干からびて風化し、消えた。

 

(まっずい)


 微量しかなかった上、すこぶる不味い。

 十年以上も極上の魔力を吸い続けていたので、舌が肥えすぎているらしい。


(早くあいつの魔力を吸いたい)


 夢で見た小さな少女を思い出す。

 ずっと一緒にいると約束したのに、離れてしまった。

 昔みたいに泣きじゃくっているだろうか、それとも怒っているだろうか。

 愛想をつかされてしまったかもしれない。

 離れている間に、誰かに言い寄られているかもしれない。


(それは嫌だな……)


 先ほど穏やかだと思ったのにむかむかしてきたので深呼吸をして落ち着かせる。


(だけど……いつか覚悟しないといけないよな)

 

 人は人を好きになる。

 龍は龍、もしくはそれに近しい種族を好きになる。

 まったく別の種族を好きになるなんて、ありえない。


(人に転化しすぎたのかな)


 人の姿でずっといたから、人に近い考えになってしまったのかもしれない。

 カオウは深くため息をついた。

 その息で目の前の木々が揺れ、いろんな魔物が吹き飛ばされる。

 

(どうしようかな)


 このまま離れていた方がお互いのためかもしれない。

 ツバキは人と結婚する予定がある。

 そもそも寿命も成長速度もまったく違うから、ずっと一緒にはいられない。

 それならいっそ、もう会わないほうがいい。

 気づいてはいけない気持ちに気づいてしまったし。

 元々我慢ができない性格だし。

 今度会ってしまったら、二度と手放したくなくなる。

 今ならまだ、心にぽっかり穴が開いた気持ちになる程度。

 苦しくてもまだ埋められる深さのはず。

 

(また違う世界へ遊びにでも行こうかな)


 はあ、と先ほどよりさらに深くため息をついた。

 長い息で木々がしなる。


 すると。


「きゃあ!! 何? 風?」


 ぴくっとカオウの耳が動いた。


(嘘だろ)


 金色の胴体が長く伸びる方向がなにやら騒がしい。

 近くの魔物が騒ぎ始める。

 こっちこっちと手招きしている。


「まだ胴体なの? いつになったら顔が見えるの?」

 

 聞き覚えのある声。

 ずっと聞きたかった声。

 

(いや……だめだろ。会ったら)


 せっかく諦めようとしていたのに。

 今ならまだ、引き返せるかもしれなかったのに。

 なのに。


(なんでこんなに嬉しいって思っちまうんだろう)

   

 ずっと会いたかった。

 感情が制御できなくて苦しかったときも。

 ずっと会いたくて、近くに置いておきたくて仕方なかった。


 あんな別れ方をして、何も言わずに去ってしまって、怒ってると思っていた。

 それなのに、会いに来てくれた。


(やばいだろ、そんなことされたら)


「え? この先にいるの?」


 声が近づいてくる。

 カオウは強く強く目を瞑った。

 覚悟を決めるしかない。すべてのことに。


「あ…………」


 声の主が歩を止めた。


「カオウ……?」

 

 おそらく今のツバキの位置からカオウの顔は見えていない。


「蠍。また飛んでくれる? ……うん……そう……ありがとう」


 しばらくして、顔のすぐそばに小さな気配を感じる。


「カオウ、聞こえてる? ……え? 話せないの? 魔力がないの?」


 とん、と顔の上に降りた感触があった。小鳥が止まるような些細な感触。

 

「ねえ、寝てるの? 魔力あげるから起きて」


 ぺちぺちと叩かれる。くすぐったい。


「もう」


 諦めたのか、ごろんと横になったらしい。顔に触れる面積が大きくなる。


「……会いたかった」

(…………!)

 

 思わず薄目を開けた。

 だが。


(寝てるー!?)


 顔の上ですやすや眠るツバキ。


(このタイミングで寝るか普通!?)

 

 ため息をつきかけたが、動くとツバキが落ちるかもしれないので耐える。

 とりあえず蛇たちにツバキをとぐろを巻いた胴体へ寝かせてもらう。


 やることは決まっていた。

 覚悟も、決めた。

 ツバキのカオウに対する想いと、カオウのツバキに対する想いが違うこともわかっている。

 でも。


(そっちから会いに来たのが悪いんだからな)


 カオウはツバキと再び、契約した。

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