第19話 秘密の花園

 切れ長の凛々しい瞳の中に自分の顔が映っている。

 長い指でそっと頬をなでられ、サクラの体がピクっと反応した。


「かわいいよ」

 

 形の良い唇から漏れる甘い声が耳をくすぐり、なでた頬に優しくキスされる。足の力が抜けてしまった体を抱き寄せて支えられた。指がそのまま顎を撫で、操られるように上を向く。相手の顔が近づき、唇と唇が……。


「私の侍女に何をしているの」


 はっとして振り返ると、扉を開けたツバキがじとっとした目でこちらを睨んでいた。サクラが離れようとしても、相手は腰に回した手を緩めてはくれない。


「いやあ、あまりにかわいいものだから」

 

 そう言ってサクラの頬にキスする。

 恥ずかしさが頂点に達したサクラは気を失った。


「ふふ。かわいい」

「かわいいじゃない! いや、かわいいけど!!」


 ツバキはとろけるような甘いマスクの相手にツカツカと近づき、侍女を奪い取る。


「もう。侍女をたぶらかすのはやめてって言っているでしょう」

「嫉妬はいけないよ、セイレティア」

 

 今度はツバキの唇に指をあてた。 

 ツバキは思いっきりその指を掴もうとしたが逃げられてしまう。


「部屋の前に他の侍女が倒れているのだけれど、それもあなたの仕業ね?」

「セイレティアの侍女はみんなうぶだね。主に似たのかな」

 

 くすくすと笑い、サクラを抱えて動きの鈍いツバキの頬にキスした。ツバキは嫌そうな顔をしながらもされるがままだ。


 彼はツバキの頬から唇を離すと満足げに微笑んで、倒れた侍女の介抱をする女官の頬にもキスをする。


「アベリアは年々色っぽくなっていくね」

 

(な……なんだこれは……!)


 トキツは唖然とその場に立ち尽くした。

 

 なぜこうなっているかと言えば。

 サタール国へ入る前にエイラト州へ立ち寄ることになったツバキと女官一名、トキツ含めた護衛三人の一行は、宿泊する宮殿の部屋の前で、主人を迎える準備をするため先に来ていた侍女二人が倒れているのを発見した。

 二人とも頬を紅潮させしどけない姿。

 女官が一人の身を起こすと「サクラが……」と色っぽい吐息とともに言い残し気を失ってしまった。

 思わず頬を染めながら何事かと護衛同士で顔を見合わせていると、悩まし気にツバキと女官がため息を吐き、そしてツバキが扉を開けて先ほどのような状況となったのだ。


 しかし、ツバキもアベリアも慌てることなく、むしろ慣れたように頬にキスされたのはどういうことだろう。

 相手は腰まで長い黒髪で、身長は男にしてはやや小さいけれどそれを補って余りあるほど中性的な顔立ちの美青年。

 彼はアベリアから顔を上げてトキツを見ると、ふっと凛々しく微笑する。

 男にしては色香が漂い、なぜかドキリと心を動かされた。


(お、落ち着け俺! 俺はそんな趣味はない!!)


 ドギマギしていると立ち上がった彼がトキツの肩に手を置いた。そして、


「君がセイレティアの私用護衛と話題の人だね。セイレティアをよろしくね」

 

 と言って耳に息を吹きかけられた。


「…………!!!」


 心臓がこれでもかというほど跳ね上がり頭がのぼせていく。

 こ、これは未知の世界へ片足突っ込んでしまうかもしれない。


「トキツさんしっかりして!!」

「はっ! お……おれは、今……?」


 ツバキに大きく揺すられ、我に返った。ツバキが目の前で手を振って「見えてる?」と聞いてくる。

 それにコクコク頷いた。


「よかった。もう! オスカー!」

「フフフ」


 オスカーは侍女たちをベッドやソファへ寝かせると、慣れ慣れしくツバキの肩を抱き寄せた。


「相変わらず綺麗だね」

「はいはい、もういいから。トキツさんたちがびっくりしてる。皆、こちらはオスカー。大公のご令嬢でエレノイア姉様の恋人よ」

「ご、ご令嬢?」


 つまりオスカーは男装をしている女性だ。未知の世界じゃなくてよかったとトキツは安堵する。

 ちなみにエレノイアとはエイラト州長官でツバキの異母姉。女性同士だが恋人と公表している。


「そして、魅了の魔法を使うリスの授印がいるの。だから、気を付けてね」


 魅了の授印? と聞いてギジーがどこにいるか探せば、ちゃっかりそのリスに腰砕けになっていた。顔をたたいて正気に戻す。


「ごめんなさい、先に言っておけばよかったのだけど。まさかこんなに早くオスカーに会うなんて思わなかったものだから」


 ツバキがトキツたち護衛に向かって手を合わせた。


「セイレティアがエイラトへ遊びに来ると聞いて、居ても立ってもいられなくてね。会いたかったよハニー」

「はいはい。お姉さまもいらっしゃっているの?」

「もちろんだよ」


 今日の夜はこの街の侯爵主催の晩餐会へ呼ばれている。皇女二人が揃う滅多にない機会とあって張り切っているらしい。


「そうだ、この宮殿の大浴場は温泉になっている。今日は移動で疲れただろう、入ってくるといいよ」

「温泉?」

「美肌効果があるんだよ。そのあとはエステの手配もしているから楽しみにしていてね」

「エ、エステ?」

「フフフ。今よりもっと綺麗にしてあげるよ」


 もう一度ツバキの頬にキスをして、オスカーは去って行った。

 するとちょうど気絶していた侍女たちが起き上がる。


「え……? 私、何を?」


 侍女たちはまだ夢と現のはざまにいるようで、ぼんやりしている。

 女官が目を吊り上げてパンッと手をたたき、目覚めさせた。


「皆、さっさと仕事を始める! サクラ、セイレティア様のベッドにいつまでも寝ていない!」

「はい! すみません!」


 しゃきっとした侍女と護衛たちはそそくさと仕事を始め、ようやく通常に戻る。

 女官はツバキに向き直った。


「セイレティア様。オスカー様がおっしゃっていた温泉に入られますか?」

「そうねえ。せっかくだし入ろうかしら」

「でしたら案内の者を呼んでまいります」

 

 しばらくしてサクラとともに大浴場へ足を踏み入れたツバキは、感嘆の声を上げた。

 通常の大きな風呂だけでなく、泡風呂、バラ風呂、寝て入るらしき風呂、そして露天風呂などなど、実に十種類の風呂が満喫できる造りとなっていた。

 待機していた侍女たちに体を洗われる。ツバキは城でもそうなので慣れたものだが、今日はオスカーが指示したのかサクラも同じように洗われて真っ赤になっていた。

 それがかわいらしくて、ついサクラの体を見つめてしまう。特に胸を。


「ねえサクラ。また大きくなった?」

「い、いえ。そんなことはありません」

「いいなあ」

「何をおっしゃいます!」


 サクラはまじまじと体を見られ顔をさらに赤くした。


「ツバキ様こそ足が長くてうらやましいです」

「でももう少し……」


 ふとアモルで出会った男性のことを思い出す。ブルブルと頭を振った。


「ツバキ様?」

「なんでもないわ。それより、ちょっと触らせてくれない?」

「ひゃ!? ダメです」

「いいじゃない」

「いや……あっ……キャー!」


 触り方はご想像にお任せするとして。


「おや。わたくしも混ぜてもらおうかの」


 鈴を転がすような美声が聞こえ、二人はばっと振り返る。ツバキたちしか入らないと聞いていたのに。

 赤金色の髪をした、高貴な雰囲気が全身から漂う美女が無表情な顔でこちらを見ていた。

 ツバキはほっと胸をなでおろす。


「エレノイア姉様、テス」

「お久しぶり、セイレティア」

「こんにちは」


 隣にはストレートの黒髪の大人しそうな美少女が寄り添っていた。少し恥ずかしそうにタオルで前を隠している。

 人そのものの姿の彼女は金華魚という金魚の魔物だ。見た目は幼いが優に二百歳を越えており、皇子女の授印の中でクダラに次ぐ魔力を持っている。

 

 エレノイアたちの視線から体を隠すように縮こまるサクラ。

 ツバキはちょうどいいとばかりに非難めいた目を姉へ向けた。


「お姉様、先ほどオスカーが私の侍女たちにちょっかいをかけたのよ」

「ほう、それは後でお仕置きをしなくては」


 無表情で口に手を当てる。傍目では何を考えているかわからないが、おそらく嬉々としているのだろうとツバキは経験から察する。

 これでもう侍女にちょっかいは出されないかなと安心していると、姉の白い手がツバキの体へ伸びてきた。

 咄嗟に胸を隠した手を掴まれる。もう片方の手がわさわさしていた。何かを揉むようなしぐさだった。


「お、お姉様?」

「良いではないか」

「嫌っ。エリー、そのエロ親父のような手と口調はやめて!!」


 授印のテスがエレノイアに縋りつく。


「あなたは気高い人でいてほしいのー!」


 人形のように美しい顔からは考えられないほどの力で、エレノイアはツバキの手を剥がしていく。


「ね、姉様やめて……サクラ、助け……って、あれ? サクラ?」


 いつの間にかサクラがいない。主を置いて帰ってしまったらしい。

 ついに手を剥がされた。


「ああっ。だめっ」

「形がよくちょうどいい大きさではないか。それに綺麗なち」

「やめてエリー!! 言わないでー!」  


 陶器人形のような美しい顔から聞きたくない言葉が出そうになり、テスは悲鳴を上げた。

 




 やっと解放してもらえたツバキは、一人で露天風呂に浸かることにした。

 宮殿の最上階にあるこの風呂からは眼下に広がる景色がよく見える。青い空と緑の山が心を落ち着かせてくれた。

 この街の半分を占めている大きな湖に何隻かの船が浮かんでいた。今回はゆっくり観光する時間はないが、いつか行ってみたいと思うほど綺麗な湖だった。

 

 湯を手ですくう。

 白濁したこの湯は美肌効果があるらしい。確かに少しねっとりとして肌に吸い付く気がした。

 体にもまとわりついている。

 意識し始めたからか、その粘りが強くなっている。


(気のせい……よね?) 


 しかし、徐々に足にまとわりつく湯が力を得たように固くなってきた。

 ぞくり、と背筋が凍る。

 

 グイッと左足を引っ張られた。


(え!?)


 頭まで引きずり込まれ、泳げないツバキはもがく。

 今まで座っていたはずの床がなくなっている。深く深く、体が沈んでいく。

 目を開けても何も見えず、何もつかめず、息もできない。


    ……デェン………


 水の中なのか頭の中なのか、声が響いた。


   ……ティ……シェ…… 


 鐘のように反響する。


   ティデェン…………

 

(ティデェン?)


   ンシェ…………


 息が続かず、口を開いてしまい水が大量に入ってくる。


(く、苦しい……助けて……)


 そこで何かに足がついたと思った刹那、下から一気に持ち上げられた。

 転がるように床に投げ出され、水を吐く。


『大丈夫?』


 助けてくれたのはテスだった。長く黒いヒレの金魚の姿で宙に浮いている。全長五十センチくらいの大きな金魚だ。

 表情の変わらない姉が侍女に持ってこさせたバスタオルをかけてくれた。


「どうしたのだ?」

「な、何かに引っ張られて」


 事情を説明するとエレノイアは普段から物憂げな目をさらに伏せる。

 お風呂で寝ぼけていただけだと一蹴されてもおかしくないが、信じてくれるらしい。


「ふむ。精霊に遊ばれたかの」

「精霊?」

「この地は水の精霊の加護が強いと伝えられている。魔力と霊力は違うが時折混じるという」


 よく意味が分からず首をかしげる。

 この世界には精霊がおり、霊力があれば見えるらしいが、現代で見える者はもういない。


「高すぎる魔力は霊力も少しは感じるのだろう」


 ツバキの目が揺らぐ。エレノイアはツバキの魔力のことは知らないはずだ。

 どういう意味かと問う前に、エレノイアはさらに驚くことを告げた。


「セイレティアはわたくしに見えない魔物も見えるのだろう?」

「え!?」

「幼いころそう言っていたと聞いた。高すぎるがゆえに父も隠しているのだと思っていたが」


 嘘と片付けられたはずだが、信じてくれていたのだろうか。


「とにかく気を付けることだな。水のある所には近づかぬよう」

『じゃあセイレティア、またね』


 エレノイアは表情の乏しい綺麗な顔で去っていく。

 やはりよくつかめない人だなあとツバキは呆れるやら感心するやら、見知らぬ侍女たちに世話をされながらぼんやり見つめるのだった。

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