第18話 皇帝の憂鬱再び

 人と授印の絆は強い。

 魔物は印を授けた人の魔力をもらうことができ、印を授けるのも消すのも魔物次第だが、誰とでも契約するわけではない。契約すると自分の特別な力を人に貸すだけでなく、それまでの生活を捨て人と共に生きることになるため、好意を持つかあるいは己に利があると思わなければ行わない。生まれたころから人に飼いならされた魔物でさえそうなのだから、野生はさらにその傾向が強くなる。


 対して人も日常的に魔物へ魔力を与え、世話することになるので自然と愛着が湧いてくる。

 思念で会話でき、なんとなくいつも居場所がわかるという他にはない絆も相まって、過ごす年月が長ければ長いほど、結びつきはより強くなっていく。


 しかしながら。


 所詮、人と魔物は種族が違う。どれだけ好意を持ち、大切に思っていても、それは仲間意識や家族愛のようなものであって、例え異性間で契約したとしても恋愛に発展することはない。恋人や夫婦に選ぶのはやはり同じ種族になる。


 それが普通、常識であり、世の理。





 

 調査の報告を終えて雑談をしていた三人の元に、森へ行っていた授印たちが帰ってきた。ギジーは神聖な森へ入って崇高な感に満ちた表情をしており、コハクは訓練所で戦えなかった鬱憤を晴らせたのかはつらつとしている。

 ジェラルドは喜び勇んでじゃれてきたリハルの耳の裏をかいてやった。


「カオウの様子はどうだ?」

『えっとぉ。脱皮はだいぶ終わっていました。順調らしいですぅ』

『もう一週間ほどで終わるでしょう』

「それならちょうど、セイレティアがサタールから帰ってくるころだな」


 明日からサタールへ向けて出発し、建国記念式典に参列する予定だった。そこでも次の縁談相手がいる。


「あの、ちょっと聞いてもいいですか」


 トキツがおずおずと手をあげた。ジェラルドが頷いてから言いにくそうに口を開く。


「いつかはツバキちゃ……いや、ツバキ様もどなたかとご結婚されるんですよね?」

「ああ」

「結婚してもカオウはツバキ様に着いていくんですよね?」 

「何が言いたい?」

「……大丈夫ですかね?今でもあんな……嫉妬がすごいのに。たぶんあれ、普通の授印が人を想う気持ちじゃないですよ」


 ジェラルドの顔が引きつった。

 彼も勘づいていたことだ。クダラが言うには、元々龍は独占欲が強い生き物らしく、カオウの父親も始祖にいつもまとわりつき、恋人にケチをつけたり二人の仲を邪魔するなどして困らせていたらしい。だがそのおかげで大層立派な女性と結婚できたのだと面白おかしく話してくれた。


 同性でさえそうなのだから、異性となるともっとひどいかもしれないと懸念はしていた。しかしセイレティアの恋人選びが難航することは予想していたものの、魔物が人に異性として特別な感情を抱くなどありえないと思っていた。というより、そんな可能性など考えたこともなかったと言った方が正しい。どれだけ難航しようとも、カオウが一目置くほどの人間の男性が現れたら認めるだろうと考えていた。


 カオウのセイレティアを見る目が昔と違うとジェラルドが気づいたのは一年ほど前だろうか。その疑いがトキツを護衛にしてからより強くなり、極めつけは先日のカオウの述懐。衝撃を受け心臓が止まるかと思った。護衛は女性にすべきだったかもしれないと後悔しても後の祭りだ。

 

 その後悔の塊、トキツが言葉を続ける。

 

「この前、ブレスレットをプレゼントしてましたよ」

「……マジか?」

「マジっす」


 それではまるで人間の男そのものではないか。ジェラルドは深刻な重いため息を吐いた。


『あのぉ、それはどういう意味ですかぁ?』


 リハルが気が抜ける声を上げる。

 まだ幼稚な彼になんと説明しようか躊躇っていると、兄貴風を吹かしたコハクがにやりとした。


『カオウはツバキのことを雌として好きってことだ』

『ええー!あんなツルツルの人間を?』

「つ、つるつる?」


 ジェラルドの肘が机からガクっと落ちた。


『僕、セイレティアは人間にしたら可愛い方だと思うけど、恋愛するなら毛並みのいい鳥がいいですぅ』


 リハルが将来の恋人を想像して夢見がちな顔になった。

 ふと気になり授印たちに問いかける。


「クダラは?お前の妻も虎豹だよな」

『はい。九頭中一頭は虎ですが』

「九?増えてないか?」

『ほっほっほ』

 

 一夫多妻制のクダラはまだまだ元気そうだ。老いぼれだからもう一頭授印を持てと迫ったのは何だったんだ。


「ギジーは?」

『もちろん同じエンコウがいいよぅ。できれば赤毛のセキエンコウで、かわいくて、笑いのツボが同じやつ』


 絶賛募集中らしい。


「コハクは?恋人がいたよな?」

『もちろん豹だ。あ、でも人に転化してツバキと一夜の過ちくらいな……って冗談冗談」

  

 ジェラルドの表情を見てフフフと笑うコハク。


 とにかく、皆やはり同族か似た種族がいいらしい。


「で、どうされるんです?」


 トキツに改めて問われ、ジェラルドは咳払いした。 


「カオウがどう思おうが、やつの寿命からしたら人の一生など一瞬の出来事だ。その一瞬のためにセイレティアの人生を台無しにするわけにいかない。カオウには諦めてもらう」

「簡単に諦めるでしょうか」

「簡単にはいかないだろうな。カオウが認めるくらいの男がいればいいんだが」


 つい最近、政治的な事情でツバキの相手は他国の人物が候補に挙がった。ジェラルドは阻止したいし代替案もあるのだが、そうなると別の問題が浮上するので、断るには相当の理由がいる。

 しかし、奴が認めるとすれば最低でも自分より強い相手。本気を出したカオウには並みの男では太刀打ちできないだろう。国軍なら一体何人が勝てるだろうかと思考を巡らし、ふと目の前の二人の男を見る。


「私の義弟になるか、トキツ」

「ふえ!?お、俺はカオウに刺されたくありません」


 冗談なのに、血相を変えてぶんぶん首を振られる。ヘタレめ。

 

「お…………いや、いい」


 隣の男にお前はどうだと問おうとしてやめる。怖かった。


『ジェラルド様、それじゃあ、ツバキはカオウをどう思っているんですかぁ?』


 恋愛話に興味が芽生えるお年頃なのか、リハルがウキウキしている。

 ジェラルドは顔をしかめて考え込む。


「セイレティアはカオウをそういう目で見ていないと思う。カオウの気持ちにも気づいていないだろう。今後も、セイレティアから関係を壊すことはあるまい」

『どうしてですか?』

「カオウはあいつの心の拠り所だから」

『拠り所?』


 ジェラルドは口をつぐみ、部屋にいる面々を眺める。ロウはすでに知っているし、護衛のトキツには言ってもいいかもしれないが授印にまで言うことかと渋っていると、クダラが立ち上がった。


『お前たち。森でマリファネムネルダケを見つけたんだがどうだね』

『おっ。いいねえ』

 

 人には良くわからない魔物の大好物で釣って部屋を退出してくれた。さすができる授印は違う。

 思念で礼を言ってから、ジェラルドはトキツに話し始める。


「セイレティアの母親、第二皇后のことは知っているか」

「ええ。とても心優しく民に大変人気のある方でしたから」

「それなら、病気の原因も知っているだろう」


 トキツも母親たちが噂していたのを覚えている。

 第二皇后が病気になったのは、ツバキを身籠ったからだ。お腹が大きくなるにつれて体が弱っていき、出産時に生死をさまよい、その後もなんとか魔法で生命を維持していたが亡くなるまでの四年間目覚めることはなかった。


「皇后は城内でもとても慕われていた。だからと言って良くないことだが、皇后が病に倒れた原因であるセイレティアにはあまり質の良くない女官がつけられ、必要最低限の世話しかされていなかった。少しでもわがままを言えば激しく叱責され、泣いても放っておかれ、何か粗相をすると人格を否定されるほど笑われる。十歳上の姉は仲良くしてくれたが物心ついたころには彼女も病床に臥せるようになっていたし、父親は多忙で、私も……父のそばで学ぶのに忙しく、年に一・二度くらいしか会わなかった」


 ジェラルドは当時を思い出し暗い表情になった。あの数年は城全体が殺伐としていて、父親もジェラルドも、セイレティアがそんな状況下にいたことに気づいてやれなかった。幼い少女はさぞ孤独だっただろう。当時のあの子は始終ビクビクしているような子だった。


「同母の第三皇子様は?とても懐の広い方だと聞いていますが、仲良くなかったのでしょうか?」

「あいつは、セイレティアが生まれたときまだ三歳だった。甘えたい時期に母親が目覚めなくなり、周りの心無い大人が良くないことを吹き込むものだから……。四年後、ついに母親が亡くなったときセイレティアに言ってしまったんだよ。お前が母親を殺した、お前なんて生まれてこなければよかったと」

「…………!」


 トキツも思い出した。

 第一皇后の子アルベルトが生まれた時点ですでに皇帝の子は七人。セイレティアを妊娠して体が弱る皇后を案じ、巷でも議論が巻き起こっていた。命を懸けてまで、今お腹の中にいる子は必要なのか?と。


「そして翌年、唯一の味方だった姉も亡くなり、ついに孤独になってしまったときにカオウと出会って印を結んだ。それからずっと片時も離れず一緒にいる。正直、今カオウがいなくなって、セイレティアの精神はよく保っていると思う」

「だから、ややこしい感情で関係をだめにすることはしないと?」

「そうだ。しかも、カオウは出会ってから少しも姿が変わっていない。やつが成長して戻ってきたとき、その変化をセイレティアはどう捉えるのだろうな?すんなり受け入れるか、拒絶するか」


 どう転ぶか想像できず、部屋に沈黙が流れた。

 

 ただ、トキツはふと、あることに気づく。

 しかしこのしんみりした雰囲気の中言う勇気がない。ないけれど、とてつもなく気になる。皇帝は気づいているのだろうか。気づいていないなら、言わなければならない。

 逡巡したのち、再びおずおずと手を上げる。


「あの…………」

「なんだ」

「脱皮したら四・五年ほど成長するんでしたよね?次は十八・九歳くらいになりますか?」

「通常なら」

「んで、授印って人と同じ部屋で寝ますよね?」

「続き部屋だが、すぐ出入りできるな」

 

 そこまで言って、ジェラルドははっとする。確か二人は今まで同じベッドで寝ていたはず。


「その年頃の男が、好きな女性と同じ部屋で寝るって……やばくありません?」

「ぐぐ……!!」


 ジェラルドが頭を抱える。

 その表情は、先ほど謀反か戦かと懸念していたときよりも思い詰めていた。

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