第20話 3回まわって?

 とろりとした液体を背中に垂らし、両手を滑らせて揉みこむように広げていく。掌で圧をかけながら押し上げられると、思わず声が漏れそうになった。


「ひゃあ!あっ。はう!うあっ」


 サクラが体に触れられるたび矯声を上げる。


「サクラ静かにして」

「だってツバキさ……ま。あっ。くすぐったくて、ダメですこれ」


 ただのエステだ。

 血行をよくし肌を滑らかにする成分が入った特製のオイルでマッサージされている。部屋の中で上半身裸でうつ伏せの状態なので恥ずかしいが、お風呂の延長と思えば我慢できた。一時間ほど経った今ではすっかりリラックスして眠くなってきたほど。

 他の二人の侍女はすっかりくつろいで、うち一人はすでに爆睡している。この二人はアベリアが厳選したツバキと同年代の侍女だ。ツバキは与り知らぬことだが五歳のときにいた女官と侍女はアベリア以外全員解雇されている。


 ツバキと侍女が並んで施術される中、アベリアだけここにはいない。「大人の女性はこちらへ」と一人だけ違う場所へ連れていかれてしまった。うぶな主と侍女はいったいどんな内容なのかと顔を赤くして年頃の想像力を働かせた。

 

 そして足・顔・髪とマッサージしていき、化粧もされ、流行最先端のドレスも着せられる。影武者をしているサクラ以外の侍女たちは生まれて初めての経験に魔法でもかけられたような心地になっていた。

 ここまで磨かれる理由は、ツバキが晩餐会へ行っている間、エレノイアとセイレティアの女官と侍女だけのささやかな宴が開かれるためらしい。男子禁制の花園なのだとオスカーが目を妖しく光らせていた。


 そのためツバキには別に用意された女官がついた。彼女に案内されて、晩餐会が開かれる屋敷に用意された部屋へ行くと、扉の前にはトキツが一人で立っていた。

 彼はイリウムでツバキを見つけて帰ってきてから、公式の護衛から一目置かれるようになったらしく、今では良好な関係を築いている。しかしその二人が今はいないので尋ねると、晩餐会の警備の打ち合わせへ行っているとのこと。 


 トキツしかいないならちょうどいいとツバキはにんまりした。

 部屋であれこれ支度をしてくれた女官を下がらせて、ツバキは扉の前を護衛していたトキツを手招きする。


「ねえトキツさん。部屋の中へ入らない?誰もいないの」


 トキツはとんでもないと首を振った。皇女と部屋で二人きりなんてなれるわけがない。

 するとツバキは怪訝な顔。


「ギジーを貸してくれればいいから」


 トキツの膝が少しガクッとなる。


『ん?おいら?』

「そう。ちょっと試したいことがあって」

「試したいこと?」


 トキツとギジーを部屋へ招き入れると、ギジーを自分に向き合うように立たせる。

 そして手を擦り合わせてから、唇の前で祈るように手を合わせた。


「ギジー、笑って」

『お?おう』

 

 にやりと笑う。突然のツバキの要求に戸惑っているのか、ぎこちない笑顔は口の端がぴくぴくしている。

 ツバキは不満気に口をとがらせる。


「じゃあ、ジャンプして」

『いくぞ?』


 高く飛んで宙返りをし、天井を蹴って戻ってきた。これでいいか?と問うような目を向ける。

 しかしツバキは首をひねる。


「なんか違うなあ。……お手」

『ほい』


 差し出された手の上に素直に乗せる。 


「三回回って?」

『おう』


 二本足で立って三回回る。


「わ……」

『言わねーぞ!』

 

 おいらは犬じゃねーといきり立つ。

 ツバキは明らかにがっかりした様子で肩を落とした。


「何がしたいの?」


 見かねたトキツが口を挟むと、ツバキは目を閉じて少し考えてから、口を開く。


「アモルで、狼の魔物を操ったらしいってことは話したでしょ?」


 頷くトキツ。それでレオという男に能力を知られてしまった。ツバキを攫いに来ると宣言していたから外へ出る時は警戒しなければならない。


「でもどうやったのかわからないから、ギジーで試してみようと思ったの」


 というわけでとりあえずお祈りポーズをしてみた。

 

「ただ願うだけじゃだめなのかしら。トキツさんはギジーの能力を使うときどうやっているの?」

「形容しがたいけど……。やりたいことをイメージして魔力を放出させる感じ、かな。あ、クディルを操るような感覚と近いかもしれない」

「うーん?」


 とりあえずギジーをクディルと思って手をかざしてみるも、何も起こらない。次は手じゃなくて体の内側から魔力を放出するように気を集中させてみる。


「ギジー、眠りなさい」


 するとギジーは糸が切れた人形のように床に倒れ、寝息を立て始めた。


「……え?」

「で、できた?」


 わざとかと思いトキツがギジーをつついても、彼はむにゃむにゃと口を動かすだけ。

 二人は口をあんぐりあけて、信じられないと見開いた目を無言で合わせた。



  

 

 気持ちよさそうに眠ってしまったギジーをトキツに任せて、ツバキは晩餐会の会場で食事に舌鼓を打っていた。エイラト州はサタール国の隣にあるからか、サタール国の料理もある。建国記念式典という堅苦しい行事に参加しなければならないし、お見合いもあるのでげんなりしていたが、料理だけは期待できそうだ。


「そういえばセイレティアの授印は脱皮中らしいね」


 パートナーのいないツバキのために付き添ってくれたオスカーは、新たに取り分けてくれた料理の皿をツバキに渡す。


「さみしいだろう。僕もロッテが冬眠するときはとてもさみしくて、ついエレノイアのベッドへ忍び込んでしまうんだよ。どうだいセイレティア、今夜は一緒に寝てあげようか?」


 ロッテとはオスカーの授印であるリスの名だ。聞くところによると二・三年に一度冬眠をするらしい。

  

「……遠慮しておきます」


 ツバキはいつの間にか肩に回されたオスカーの手を下ろした。じとっとした目をオスカーへ向ける。


「そんなことを言って、エレノイア姉様が怒っても知らないわよ」


 本気でないとはいえ、恋人が他の女性を口説くのをよく思わないだろう。


「私の侍女にちょっかいをかけたって告げ口しておいたからね。お仕置きするって言っていたわよ」

 

 牽制のために言ったつもりなのに、なぜかオスカーは「お仕置きね。フフフ」と恍惚とした。

 まさかわざと「お仕置き」をされるためにしているのだろうか。お仕置きって何だろうと考えて、子供の頃アベリアによくされたこと……嫌いな食べ物を食べさせられるとか、くすぐりの刑くらいしか思いつかないツバキは純情だ。 


「おや、あそこに初めて見るお嬢さんが。挨拶をしてくるよ」

「ほどほどにね」


 反省の色がまったく見えないオスカーは、男連れの女性を見つけて軽やかな足取りで去っていった。おそらく魅了の魔法を最大限使ってあの人たちを揶揄うのだろう。


 一人になったツバキは、喉が渇いたのでジュースを取りに行くことにした。近くの給仕係は皆お酒しか持っておらず、キョロキョロしていると。


「セイレティア様、飲み物をお探しですか?」


 若い男がピンク色の液体が入ったグラスを持ってきた。髪はゆるくパーマをかけていて、顔に自信があるのかちょっと気取った笑顔を貼り付けている。明らかにチャラそうな男。

 彼はランス公爵家の第一子エドワードと名乗った。ランス家といえば代々ケデウム州の副長官を務めている名家だ。


「よろしければこちらをどうぞ」

「ありがとうございます。あの、こちらはお酒ですか?私、お酒はあまり飲めなくて」

「……ジュースですよ」

 

 エドワードの目がぎらついたように見えたが、一瞬のことだったので気のせいと思い、ツバキはそれを受け取った。一口飲むと確かに甘いジュースだったのでほっとする。


「以前ケデウムのヒエラへ行きました。とても芸術的で美しい街ですね。劇も素敵で感動いたしました」

「それはよかった。ケデウムはヒエラ以外にも美しい建物が多いですよ。僕が所有している城も厳かな雰囲気で見ると圧倒されます」


(な、なんかこの人、ちょっと近い……)


 初対面なのに、肩がぶつかるほど近くに立っている。さり気なく半歩横にずれると相手も近づいた。さらにツバキが話していると顔も寄せてきて、耳が悪いのかなと思い少し大きな声を出すが変わらない。会話の内容もだんだん自分の自慢話になってきたので、これはきっと皇女に自分をアピールしているのだなと悟る。


(離れよう)


 新しい飲み物をもらいに行くという口実を作って離れようとし、ジュースを一気にあおった。

 すると、急に目が回りよろける。


「大丈夫ですか?……一気に飲むからいけないんですよ」

 

 エドワードに支えられるが、体に力が入らない。頭がグラグラとして、気持ちも悪い。


「これ……ジュースじゃ……」

「ええ、ジュースですよ。少し薬を混ぜましたけどね」


 ぼそっと耳元でささやかれる。掴まれた腕を振りほどこうとするが、うまく動かせなかった。なんとかしなきゃと思っても、頭が働かない。


「外へ行きましょう」


 エドワードはツバキの体を抱き寄せて裏庭へ通じる扉を開けた。はたから見たら、酔った女性を介抱しているように見えたに違いない。すれ違う人々は特に疑いもせず二人を素通りさせる。

 外には護衛が一人立っていたが、すでに買収してあった。人目が気にならない場所で一度止まり、その護衛以外誰も見ていないことを確かめてからツバキを抱きかかえ、さらに会場から離れていく。


 ツバキにはもう叫ぶ力もなかった。恐怖心も焦燥もない。誰かに運ばれているとぼんやり認識できるだけ。

 髪に隠れていた綿伝がそろりと飛び降り、どこかへ飛び跳ねていく後ろ姿を視界に入れても、何の感情も湧かなかった。

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