第2話 老翁の懸念と皇帝の憂鬱

 ほろ酔いの皇帝、ジェラルドが湯あみを終えて寝室に帰ってきたのは夜遅く。

 彼の授印(人と契約した魔物)のクダラは、動きの鈍くなった重い体を起こして迎えた。


「まだ起きていたのか」

『年を取ると眠りが浅くていけませんな』


 バルカタルの建国当初から生きる魔物はしな垂れたヒゲを揺らす。


「土産だ」


 ジェラルドが酒の入った瓶を机上に置くと、クダラの黄色い目がキラリと光った。老いても鋭い眼光は健在だ。


「好きに飲むといい」

『おや、一人で飲ませる気とは』

 

 クダラは従者にゆったりした服を持ってこさせると、獣の姿からやや背中が曲がった人のよさそうな好々爺に変わった。

 かつて黄色と黒色のまだらだった髪には白がだいぶ混じり、首まで伸びた長いあご髭の先にはなぜか小さな青いリボンがついている。


「なんだそれは」


 ジェラルドの呆れ顔に目を細める。


「かわいいとリハルにつけられましてな」


 部屋の奥へと動かした視線の先には人型の鳥。授印となったばかりの若い魔物はすでに夢の中にいた。

 「つけられた」と言う割に取らないところを見ると、意外と気に入っているらしい。

 好々爺は椅子に座ってにっこり笑い、相手にも着席を促す。

 ジェラルドは陶器の器に酒を注いでクダラの前に置き、自分は従者に熱い茶を持ってこさせた。


「久々ですな、こうしてゆっくり二人で飲むのは」

「ようやく仕事が一段落したからな」

「せっかくの空き時間なのに外へ出ていかれて、リハルが拗ねてましたぞ」

「そういえば最近起きているときに顔を合わせてないな」

「たまには遊んでやってくだされ」


 どこかの子持ち夫婦みたいな会話をする二人。

 

「セイレティアとカオウが遊んでくれるだろう」

「公務を押し付けたのはどなたですか」

「……そうだった」


 学園を卒業した皇妹、セイレティア=ツバキは公務に励んでいる。今日もジェラルドの代理として国軍の記念行事に臨席しているはずだ。


「珍しく仮病も影武者も使わず真面目に勤めているとか。やっと皇族の自覚が芽生えたようですな。一体どんな魔法を?」

「さぼったら見合いをさせるぞと言っただけだ」

「考えましたな」


 クダラは目尻を下げて憐れむような面白がっているような表情をした。


 バルカタルは皇帝の子の中から魔力の高い魔物と契約した順に次期皇帝と五人の州長官が決まる。

 何の役職にも就けなかった場合、女性は十八歳で結婚するのが通例だった。

 そして今年の春、学園を卒業したツバキの元には結婚の申込みが殺到した。国内外問わず、年齢も下は同じ十六から上は四十までと幅広い。


「本人にその気はありませんか」

「覚悟はしているようだが。まあ、まだ無理だろうな」


 求婚の手紙はカオウに見つかると即ゴミ箱行きになり、ツバキも放っておくので、ジェラルドが預かっている。


「ジェラルドは誰を選ぶつもりです?」

「国外の連中には渡せない」

「おや、ずっと手元に置いておきたいと? シスコンですな」


 半眼になるジェラルド。


「わかっているだろう。あいつらを国外にはやれん」


 ツバキは授印がいなくても魔物を操る力がある。

 そしてカオウは、現在は金色の大蛇だが、本当は最強の魔物とされる龍だった。一匹で国を滅ぼすほどの力があるという。

 もしツバキが他国へ嫁げば印を消さない(契約を抹消しない)限りカオウもついていく。

 そうなれば、龍の力が他国へ渡ってしまう。それだけは避けねばならない。


「本当に、あいつにそんな力があるのか? ただのガキだぞ」

「お口が悪い」


 たしなめられてしまった。クソをつけないだけ良しとしてほしいとジェラルドは密かに思う。


「龍になれば、あるでしょうねぇ」

 

 クダラが遠い目をして酒をあおった。

 気づけば瓶が空っぽになっていた。だが、好々爺の顔色はまったく変わらない。

 いつものことなのでジェラルドは突っ込まず話を続ける。


「何か含みのある言い方だな」

「カオウがもうすぐ千歳になることは言いましたな。千歳になれば今の大蛇の姿から龍になるとも」

「ああ」

「実は人の姿で言うと三十歳に相当するのですが、カオウは子どもの姿のまま。成長が遅すぎるのです」

「原因に心当たりは?」

「セイレティアに会うまでの数百年間違うを行き来していたからじゃないか、と本人は言っているのですが」


 カオウは空間を操る能力を持っている。

 ジェラルドにはよく理解できないが、こことは違う世界があるらしい。


「しかし十年は経つのに一度も成長していないところを見ると……。まだ成獣すらしないのか、いきなり龍となってしまうのか、どうにも予測がつきません」

「もしカオウがいきなり龍になったら、妹の体は耐えられると思うか」


 許容量を超えた魔力を有すると死ぬこともある。

 龍となったときにカオウの魔力が増幅し、ツバキの魔力が連動せず許容量を越えたら、最悪の結果が待っている。


「カオウが大丈夫というなら大丈夫でしょう、としか。まあ、一瞬で龍になるわけではないですし、様子を見る時間はあるでしょう」


 ふむ、とジェラルドは押し黙る。

 詰まるところ情報が足りない。カオウと本気で話し合わないといけない案件だ。

 ああ、また面倒事が増えたと苦悶する。


「それより、セイレティアの結婚よりも、ジェラルドの方がせっつかれているのでは」


 ぎくりと身を強張らせた。面倒な案件の一つだ。


「皇后の容体はいかがですかな」

「もう歩けるようにはなった」

「それはようございました」 


 ジェラルドには一人だけ皇后がいるが、二人目の子を産んでから体を壊してしまった。

 出産時にそういうことは時折起きる。一説には出産時に子が母体の魔力を吸い取るためとか、胎児の時点で魔力が母体よりも高すぎるためと言われている。

 ツバキの母もツバキを出産してそうなり、四年後に崩御した。

 幸い皇后は回復しているが、後継ぎを考えると皇妃を迎えろと周りがうるさい。

 もし実子だけで皇帝と州長官を任命しようと思ったら、最低六人は揃えないといけないので大変だ。

 

「……今の州長官に長生きしてもらおう」


 もう考えたくないと頭を振ると、好々爺がほっほっほと笑う。


「しかし、思えば母君は五人もお子を産んでいるのに、いまだにピンピンしていますな。あなたを含めお子達の魔力は高いのに」

「言うな。あの人は規格外だ」


 好々爺がまたほっほっほと笑った。

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