第3話 ケデウム州

 バルカタルには帝都を囲うように北にイリウム・北東にケデウム・南東にエイラト・南西にサイロス・北西にセイフォンの五つの州がある。

 その内ケデウム州は、約十年前まで隣国リロイと戦をしていた。

 だからだろうか、平和を祈るように芸術方面に特化しており、主要都市に再建された家や店は外観も内装もすべて洗練された造りで、まるで街全体が美術館のよう。音楽や演劇も盛んで公園や道端などいたるところで大道芸も見られる。


 ケデウムで一番大きく華美な劇場では、帝都でも有名な交響楽団による演奏会が開かれていた。

 古典音楽を様々な楽器で奏で、魔法による幻想的な演出が観客の心を満たす。

 二階正面の特別席でやんごとなき方が鑑賞しているため、今日は特に気合が入っているようだ。


 同じく二階だがやや左側の特別席に座っていた伯爵夫人は、そのやんごとなき方と、彼女をちらちら見上げる平民たちを交互に見て明らかに厭うようなため息を吐いた。


「ジェラルド皇帝がいらっしゃると聞いたから大枚をはたいてこの席にしたのに」

「仕方ないじゃないか、ご事情がおありだろう。それに皇妹のセイレティア様も美しい。眼福眼福」


 でっぷりとした頬を緩ませて、ほくほくするのは彼女の夫。夫人は彼のつま先を踏みつけた。


「痛いじゃないか。なあ、やっぱりセイレティア様をうちの息子のお相手に……痛い、痛いよ」

「何言ってるの、彼女は魔力が低いのよ。いくら皇帝の御令妹でも、魔力は高くなくっちゃ」

「でも最近授印ができたと発表があっただろう。レイブン侯爵は身上書を送ったそうだよ」


 何かと張り合っている侯爵の名前に眉を動かしたが、ぶんぶんと首を振った。


「でも見たところ、今日もお一人じゃない。一緒にいるのが当然なのに、いまだにご公務で姿を拝見した人はいないのよ。どうせ大したことない魔物なんでしょう」

「不敬だよ」

「それに、なんだかセイレティア様もお元気がないご様子。やっぱり体が弱いのよ。もっと魔力が高くて元気な嫁を貰って将来有望な孫を得なきゃ。そして必ず侯爵家の位を掴んでみせるわ」


 鼻息荒く宣言する夫人。

 夫はやれやれと肩をすくめて優雅な曲の調べに耳を傾けた。




 そんな会話がなされているとはつゆ知らず。

 白銀色の髪の皇妹は必死に眠気と戦っていた。


(庶民の私には高尚すぎてついていけません、ツバキ様……!)


 勝手に下がる瞼を懸命に堪える姿は、周囲にはさぞ儚げに見えたことだろう。

 セイレティアに扮した影武者のサクラは、扇子で口元を隠し小さくあくびした。





 本物のセイレティアはといえば。

 栗色の髪のカツラをかぶり平民の娘ツバキとして、小さな劇場が並ぶ通りをキョロキョロ興味深く見回していた。

 このヒエラという街はレイシィア(平民の街)だが、モルビシィア(貴族の街)と言われても違和感がないほど美しい建築物が多い。建物だけではなく道行く人も皆おしゃれだ。さすが流行の最先端の街と言われるだけある。


「なあツバキ、やっぱさ、あっちの劇がよくない?」


 金髪の少年、カオウは金眼を輝かせてツバキの袖を引っ張る。

 劇場の赤い横断幕には「冒険活劇・刀剣乱麻」と書いてあった。過去の有名な戦場での出来事を題材にし、派手な立ち回りが大人気らしい。


「えー。私はあっちがいいなあ」


 ツバキは道路の反対側にある劇場を指さす。白い横断幕には「世界の中心で愛を歌う」と書いてあった。


「恋愛ものなんてつまらないだろ」

「戦の話なんて見たくないわ」


 バチバチと二人の間に火花が散る。

 その間を一人の男が割って入った。


「まあまあ。両方とも始まるまで時間があるみたいだし、何処かで昼食をとりながらゆっくり決めたら?」


 耳周りをほんの少し刈り上げた短髪・垂れ目の青年が苦笑まじりに二人をなだめる。

 しかし二人にじとりとした目を向けられた。


「……な、なにか?」

「本当にトキツさん?」


 整った顔にじーっと見つめられ、トキツは思わず頬を染める。

 するとぐいーっと頬を思いっきりつねられた。


「いてーな! 何するんだよカオウ」

「ぼさぼさ頭に無精髭だったろ、おっさんは」

「おっさんじゃない」


 半眼でカオウを睨む。

 トキツは紆余曲折を経て今日から正式にツバキの護衛となっていた。雇用主はロウから皇帝に代わり、城への出入りも許可されている。

 さすがに短く髪を切り、髭も剃り、服も新調した。

 トキツはすうすうする顎をなでる。


「そんなに変か?」

「とってもいいと思うわ」


 ツバキがにっこり微笑むと、横からまたぐいーと頬をつねられた。


「だからやめろって」

「じゃああの店へ行こう」


 トキツの抗議を無視し、カオウはスタスタと近くの料理店へ向かう。

 店頭にあったメニューを見ると、どうやらパスタの専門店らしい。昼時より少し早い時間だったのでまだ混んでいない。ここにしようと足を進めると。


『待った!』


 トキツの授印でハクエンコウという猿の魔物であるギジーが、手のひらを前に突き出して呼び止めた。


『あれ見ろ、あれ』


 扉に張られた紙を指さす。

 そこには、「獣入店お断り」の文字。


『おいらも腹減ったから何か食べたい』

「仕方ないなあ」


 トキツは腰にかけていた布製のかばんから、丸められた服と帽子を取り出してギジーに渡した。受け取ったギジーは路地裏へ消え、すぐさま戻ってきたのは真っ白い髪をした猿顔の少年だった。


「まあ、かわいい」


 人へ転化したギジーを初めて見たツバキは目を輝かせる。


「まだまだだな」


 カオウが転化後の姿を評価する。

 確かに人に近くなったものの、目の縁は黒いままで、手足は通常より長く、尻尾は外套で隠している。さらに背中を丸めてがに股で歩く姿は異様だ。


「カオウが完璧すぎるんだ」


 ギジーが口をとがらせる。


「帽子を目深にかぶって、歩き方を気を付ければ大丈夫だ。行こう」


 トキツに手を引かれてぎこちなく歩くギジーの後ろ姿を微笑ましく見守りながら、ツバキは後に続いて入店した。

 店の柱頭一つ一つ凝った模様が彫られ、しみ一つない白塗りの壁が金の飾り縁を際立たせている。カイロにあったら高級店と間違われそうだが、ここではそれが普通だ。

 ツバキは案内された席に座ると、はあ、と感嘆の息を吐く。


「どこを見ても絵になる景色ばかりね。ほんの十年前に戦をしたとは思えない。ここは影響がなかったのかしら」

「十年前はリロイからの侵攻を防いだだけだから、国境沿いしか被害はなかったよ。でも先々代皇帝がリロイを攻めていた三十年ほど前は、徴兵やら重税やらで、レイシィアはどこも困窮していたはず。皇帝が変わってから、先代の州長官が短期間でここまで整えたんだ」

「話には聞いていたけれど、とても優秀だったのね、大叔父様は」


 先代の州長官は、ツバキの父親ネルヴァトラス先帝の叔父だ。


 元々ネルヴァトラスには八人の兄弟姉妹がいたが、先々代皇帝率いる領土拡大を目指す主戦派とネルヴァトラス率いる和平を望む反戦派の内戦により三人になってしまったため、同じく反戦派だった叔父がケデウムの州長官となった。

 大叔父の魔力はそこまで高くなかったが、知性と教養豊かな傑物で政治の手腕は見事だった。

 同時に芸術への造詣が深く、荒廃していたケデウムを芸術を中心に発展させて観光地化し収入源を得、ここまで栄えた都市にしたのだった。


「面白いお話をたくさん聞かせてくださる方だった。でもご病気でなくなられてから、もう二年になるのね」

「二年前? じゃああのバカ兄貴が州長官になるまで、誰がやってたんだ?」

「フレデリック兄さまよ、カオウ。確か副長官が代理をしていたと思うけれど。人となりはよく知らないわ。それより何頼む?」


 トマト系とクリーム系のどちらにしようかと悩むツバキ。

 トキツはメニューへ視線を落とした。


(知らないならその方がいいか)


 確証はないのだから、わざわざ言う必要はないだろう。

 先代州長官の本当の死因。それは病気ではなく、毒殺ではないかと噂されていることなど。

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