第1話 光の豹と影の豹

 レイシィア(平民の街)の一つ、キエラのとある料亭の前に、闇夜に溶け込む一台の簡素な飛馬車が停まった。

 鑑識眼のある者が見れば希少で高級な材料で作られたとわかるそれから降りてきたのは、上質な服に身を包んだ端正な顔立ちの男性。

 店の女主人に甘い笑みで久方ぶりの来店を詫び、二階にあるいつもの部屋へ入った。


「遅かったな。先に始めてるぞ」

 

 先客は女給に注がれた酒を男に掲げ、一気に飲み干す。

 男が彼の対面に座ると、女給はお酌をした後男が何を言うまでもなく退席した。

 相変わらずあの女主人は気が利く、と男は微笑する。

 高級店にも劣らない美味しい料理と丁寧なおもてなし、何より余計な詮索をしない接客態度が気に入り、この先客と会うときは必ずここを利用している。


「久しぶりだな、シュン」


 先客は男をそう呼んだ。

 ジェラルド=シュン・モルヴィアン・ト・バルカタル。三か月ほど前に即位したばかりの若きバルカタル帝国皇帝。


 皇族は貴族以上しか呼べない主名”ジェラルド”と、平民でも呼べる副名”シュン”と、身分により呼称が変わる。そして、皇族の副名は平民が自分の子につけたがるので、今日のように身元を明かしたくないとき名乗るのに都合がよい。


「もうそんなに経ったのか。いや、まだそれだけか」

「濃い毎日を送っているようで」


 先客にそう揶揄され、机に肘をつきだらけた姿勢で酒を仰ぐ。

 皇帝らしからぬふるまいに文句を言う者はここにはいない。


「まったく、毎日目まぐるしい。主要な式は終わったが細かい儀式やら行事はまだ残っているし、その間も政務は休めない。人事も刷新せねばならんし。おまけに厄介な案件の後始末が残っている」


 厄介な案件と聞いて、先客の男、中央警察署署長ロウの手が止まった。


「……ロナロ人の死刑執行日が決まったらしいな」 


 皇帝即位の祝賀パレードで皇帝暗殺未遂事件が起こった。

 首謀者はロナロという村の村長と村人数名。動機は過去バルカタル帝国がロナロにした恨みを晴らすため。

 大逆を犯した彼らの死刑執行は決まっていたが、慶事の最中に穢れは縁起が悪いとして執行日は保留となっていた。


「二ヶ月後だ。だがその前に村長だけは保たないかもしれない」

「どういうことだ」

「捕えてからずっと飲食を断っている」


 ロウの眉間にしわが刻まれる。


「理由は?」

 

 問われたシュンはすでに用意されていた刺身をつまみ、ゆっくり咀嚼した。

 

「もったいぶるな」

  

 ロウはねめつけて続きを促す。もしここに女給が残っていたら泡を吹いて気絶しただろう。


「出たね、どんな極悪非道な男も赤子に返ると言われる睨み」


 怖い怖い、と愉快そうに笑う。もし女給が残っていたら気絶してしまいそうな極上の笑み。

 もちろんロウが気絶などするはずなく、苛立たし気につまみの豆を投げつけた。

 軽く笑った後、シュンは真面目な顔に戻り短く息を吐く。


「ロナロがどうなったか知っているか」

「彼らの境遇を慮り、処刑は免れたと聞いたが」


 大逆の処罰は一族まで科すのが通例だ。閉ざされたロナロなら村人のほとんどが縁者になる。

 しかし今は侵略を続けた時代とは違う。かつてロナロを迫害し、その事実さえ忘れ去っていたのに、さらに村人すべてを処刑しては、侵略をやめて盤石な国づくりを進める道に反することになる。

 国の管理下に置き監視しつつも彼らに必要な支援を行うべきと判断した。


「そのつもりで、すぐ村の状況を知るため兵を送ったのだが……」


 シュンがちらりと入り口を見ると、察したロウが立ち上がり、外に誰もいないことを確認した。

 彼は皇帝に対して平気で不遜な態度をとる男だが有能だ。この店で密かに会う時も毎回先に来て上座を空けておくという妙に義理堅いところもある。


 聞き耳を立てる者がいないと知ってから、シュンはようやく続きを言った。


「村人は全員死んでいた」


 ロウが目を見開く。

 

「随分と凄惨な現場だったそうだ。殺されたのはパレードの翌日らしい。

 それを聞いた村長は憤怒し、興奮して暴れまわり己の体を痛めつけ始めた。数人がかりで押さえつけ、以降自害しないよう鎖で縛りつけている。だが何も食べなくなり、魔法をかけてなんとか生きながらえているという状況だ」

「村長に協力していた者の仕業か」

「おそらく。証拠は何も出ていない」

「村長は協力者を知っていただろう」

「その協力者は捕まえたんだが、ただの仲介役で黒幕までたどり着けなかった」

「襲撃に使用された銃に手がかりは?」


 ぴくりとシュンの眉が動いた。


「製造元しか割り出せていない。ウイディラ製とリロイ製が半々だった」


 現在銃の製造国は北東にあるリロイとウイディラが主流だ。

 リロイとは長年敵対関係にあった国で、シュンの父親である先代皇帝が和平を結んでまだ十年ほどしか経っていない。

 ウイディラは国軍が有する魔物でも越えられないほど高い山脈を挟んでいるので、あまり国交はなかった。

 

「しかし久しぶりに銃を見て驚いたよ」


 バルカタルで銃の存在を知る者はごく少数だが、戦経験のあるシュンは見たことがある。

 当時はおもちゃのような作りで飛距離もなく殺傷能力も弱く、弾の充填にさえ手間取っていたから魔法に勝てるはずもなく、興味すらわかなかった。

 おかげで圧勝し好条件で和平を結べたのでこちらとしてはむしろ礼を言いたくなったほど。

 しかし、現在はかなり進歩したらしい。パレードで使用された銃は精巧なつくりをしていた。

 

「あれだけの銃と人を用意するにはかなりの資金が必要だ。大きな組織が絡んでいることは間違いない。そこで、だ」


 シュンはすっと姿勢を正し、不敵な笑みでロウをまっすぐ見る。

 ロウの眉間のしわが深くなった。


「なんだか見覚えのある表情だな。お前のじゃじゃ馬な妹が面倒な頼み事をしてくる時とまったく同じ」


 苦笑するシュン。


「警察署長殿にお願いがある。銃の出どころを探ってほしい」

「それは、皇帝陛下の命令か?」

「いや、”お願い”だ。国軍はどうにも頭が固い。お前なら別の視点で調査できるだろ」

 

 国軍の上層部は貴族が多く、よくも悪くも調査は正攻法。

 だがロウにはいろいろと伝手があった。中にはあまり素行の良くない連中も。


「表立っては言えない方法を使えということか」

「聞こえないなあ」


 聖人君主のような笑顔で、シュンはロウの睨みをはねのける。

 皇帝がお願いと言ってもそれは命令と同義だ。

 明らかに不承不承という顔で、ロウは頭を下げる。


「仰せのままに」


 頭を上げたロウはにやりと悪い顔をしていた。

 店の品書きから一番高い酒の名前をトントンと指でたたく。

 シュンは一瞬呆れた顔をし、渋々頷いた。

 

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