第12話 任命の儀
城から飛馬車で空を飛びニ十分あまり。政治の中心地ラミアノスという市に建てられた宮殿にふわりと降り立つ。皇族貴族の馬車は個人を特定できるほど飾り付けられているから、兄姉がいるかすぐに確認できた。全員すでに揃っているらしい。
同時刻に到着した大臣たち数名がツバキに気づき一礼していく。それによそ行きの顔で答えながら、女官について用意された部屋へ向かった。
「やあセイレティアじゃないか。久しぶりだね」
ちょうど部屋の前に着いたとき、隣から聞き覚えのある声に呼び止められた。黒みの金髪に垂れ目、左の泣きぼくろが印象的な男性。フレデリック=カイト・モルヴィアン・ト・バルカタル。この国の第二王子だ。横に双頭の狼の授印、後ろに五名の侍従を従えている。
「今頃到着かい?いいねえ、何の役職もない人は。僕は今日の儀式に緊張してしまって、つい一時間も早く来てしまったよ」
棘のある言葉をハッハッハという明朗な笑い声で隠す。相変わらずだと辟易した。
彼はツバキが授印の儀を禁止された理由を街の噂通り魔力が低いせいだと思い込んでいるらしく、自分が皇子女の数から確実に州長官になれるとわかった途端やたらと絡むようになった。最初はツバキの近況を訪ね、一言答えただけですぐさま自分のことを話す。州長官になるためにどんな勉強をしているだとか、もし州長官になるならどこの州がいいかとか。
そしてツバキを気遣うような言葉で優越感に浸るのだ。授印の儀はとても魔力を使うから禁止されてよかったよ。大抵年長者の順に魔力が強いというからたとえ低くても気にすることはないだとか。
ツバキにとって役職や魔力の強弱などどうでもいいことで、それについて何を言われても全く気にならないのだが、こうも会うたびに嫌味を言われるとさすがに気が滅入る。
なにより今は早く部屋に入りたかった。準備が残っているのはもちろん、主を侮辱された女官たちがツバキ以上にイライラしている空気が伝わってきたからだ。もちろん兄は全く察していないが。
軽くあしらうに限る。
ツバキは兄に体を向け微笑んだ。
「フレデリック兄様。ご無沙汰しております。ケデウム州長官ご就任おめでとうございます」
「いやあ、これから忙しくなるよ。代わりに君に他の公務を任せてしまって申し訳ないね。まあ、公務といっても州長官と違って簡単な仕事だ。案ずることはないよ」
「ケデウムの繁栄をお祈りしておりますわ」
幼いころから女官に叩き込まれた淑女の礼をする。首や腰の角度、指先の向き、表情、すべて気品ある皇女らしくたおやかに。その美しさに侍従の頬が赤く染まったことを目の端でとらえながら、そそくさと女官が開けた扉を通った。
扉を閉じて一呼吸後。サクラの肩が震える。
「あーもう。忌々しい」
キッと扉をにらみつける。
「ツバキ様が授印なさっていたら絶対州長官になっていたのに!」
「そんなのわからないじゃないの」
「いいえ、そうに決まっています。ご存知です?カイト様、州長官になれるギリギリの魔力だったらしいですよ」
「私だってギリギリかもしれないわ」
「いいえそんなことありえません!」
サクラは愛らしい顔をくしゃくしゃにして憤る。他の侍女もうんうんと頷いている。主思いなのはありがたいが、州長官になりたいわけではないツバキは困ったように苦笑し女官をちらりと見た。
「早く準備をなさい」
意をくんだ女官の一言で侍女たちは慌ただしく持ち場につく。さすがと女官に微笑むと女官はわずかに口角をあげ、「大変美しい礼でした」と侍女たちに聞こえないよう小声で告げた。
儀式が行われる剣の間には女神が兵士を率いていく絵や国旗を民衆が誇り高く掲げる絵など、戦への士気を鼓舞するような天井画が色彩豊かに描かれている。正面の壁一面には、始祖の授印と伝えられる獅子・虎豹・龍・羅兎などの魔物が天井画とは対照的に少ない色で一頭一頭浮き立つように描かれ、その迫力は見る者を飲み込むようだった。
部屋の中央よりやや手前に参列者(宰相や各省大臣など要職に就く面々)が整列し、ツバキはその最前列にいた。ツバキから見て左側から現州長官・現皇帝・次期皇帝・次期州長官が並ぶ。参列者はタキシードなどの正装だが、彼らは軍服に身を包んでいた。これは政よりも軍に重きを置いていた500年前からの風習だ。もちろん華美な装飾品が付けられ、実戦には不向きだが。
ツバキは現皇帝である父親の後ろ姿をじっと見つめる。堂々たる体躯に相変わらずふさふさな髪。増えた白髪がまるで彼の授印のたてがみを見ているようだった。獅子の魔物で始祖の授印の子孫らしい。全身白い毛並は触ると意外ともふもふとして気持ち良く、小さい頃はよく触らせてもらっていたことを思い出す。
(最後にまともに会話したのはいつだったっけ)
挨拶程度なら何度か交わしている。「最近どうだ」「別に何も」「元気か」「元気よ」という類いの。しかしじっくり二人で話したのはもう何年も前のような気がした。そしてもう二度と昔のように無垢な笑顔を父親に向けることはないだろう。今も拒絶のような反応が心の中で燻っている。
父親との間に分厚い壁を作ったきっかけは、皇帝か州長官になる権利を剥奪されたからではない。五歳の子供に領地を治めることがどういうことかわかるわけもなく、長になりたいという欲求もならなければという責任感も皆無だったから。
あのときは母と姉を立て続けに病気で亡くし、兄とは仲が悪く、腹違いの兄姉たちとは会う機会も少なく、父は多忙で、毎日見かける同じ顔は女官だけ。とにかくさみしくてさみしくて、誰かとのつながりが欲しかった。
そんな時カオウと出会った。
すぐ意気投合した二人は毎日のように遊んだ。カオウの姿が他の誰にも見えないのをいいことに、こっそりおやつを盗み食いしたり、侍女たちの噂話に聞き耳を立てたり。
楽しい毎日だったけれど、それでも心の奥に開いた穴が塞がることはなかった。
母や姉の夢を見てはしくしく泣く。時には癇癪を起こして女官を困らせる。それで見かねたカオウがずっと一緒にいると約束して、印を結んでくれたのだ。
当時もいけないことだとはわかっていたから、魔物と契約したことはしばらく内緒にしていたけれど、ある日父親にばれてしまった。冷静沈着な父が今まで見たこともないほど怒り狂い、カオウの存在を否定し、城から追い出した。ツバキにも外へ出ることを禁止した。
正直に言うと、当時のことはあまり覚えていない。ただただ父が恐ろしく、カオウが離れてしまったことが悲しく、塞ぎ込んでいたことは覚えている。
しばらくして外出禁止は解かれ、事あるごとに父親に懇願したが、カオウを正式な授印とは認めてもらえなかった。
それから現在。父と顔を合わせるのは年に数回だけ。知識がついた今では確かに軽率だったと反省はしている。それでも他の皇子女が堂々と授印を連れ立っている中、自分だけ隣に誰もいないことがつらく、隠すように会っていることがカオウに申し訳なく、父の頑固さが許せなかった。
ただ、カオウの存在を認めてもらいたいだけなのに。
父の背中から視線をそらし、ケデウム州の新旧長官の名が呼ばれフレデリックが壇上に上がり現州長官から州の紋章と役職を示すバッチを受け取る姿を見守る。
早くカオウの元へ行きたいのに、一つ一つの動作がゆっくりで、何処へぶつけて良いか分からない苛立ちが湧き上がってきた。
そんな時。
<ツバキ>
頭の中でカオウの声が聞こえた。暗い心情を壊してくれた声に応えるため、気持ちを切り替えるようにふうと息を吐く。
<何かわかった?>
<例のズイニャ、ツバキの見立て通り市場で買ってた。店の人に話を聞いたら、持ち手付きの籠に入ったズイニャを買ったのは一組だけだったから覚えてるって>
<よかった!どんな人?>
<男の子二人組なんだけど、その……>
歯切れが悪くなるカオウ。
<どうしたの?>
<似顔絵を作成したんだけど、それが…>
<もったいぶってないで教えてよ>
<似てるんだ。チハヤの食堂で見かけた給仕係の子に>
ツバキは食堂で働く子たちの顔を思い浮かべた。
学園が休みで特に何もない日は食堂へ行っているから、大抵の子は知っている。
昨日見た子を除いては。
<……紺色の髪のアフランって男の子?>
<うん。トキツもそう言ってるから間違いないと思う>
<そう……>
ツバキは険しい表情で考え込んだ。
この思いつきが正しかったら…。
<ねえ。その子たちが見つかったらどうなるの?>
ロウに確認しているらしく、少しの間を置いてカオウが答える。
<真偽を確認したらすぐに軍に身柄を引き取ってもらうってさ>
<だめよ。ロウに伝えて。必ず二人の話を聞いてって>
先ほどより長い沈黙。
皇帝の名が呼ばれつい父親の顔を見てしまった。威厳たっぷりの横顔にまた苛立ちが募る。
<……理由を聞いてるけど>
<手紙を書いた理由をきちんと知りたいの。でも軍がまともに彼らの話を聞くとは思えないから>
<ただのイタズラだろ?>
父親が兄にバッチを授与するところを眺めながら、手紙の文が脳裏をよぎる。
”パレード中止しろ 皇帝殺す”
苛立ちと不安がぎゅっと大きな塊となって体の芯をえぐった。
<……たぶんこれは、イタズラじゃない>
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