第11話 習慣
翌朝、頭の奥で誰かがカーテンを開ける音がした。
部屋を照らしていく柔らかい日射しを体で感じ、目を覚ます。
「おはようございます、ツバキ様」
「おはようサクラ」
上半身を起こし、左を見るとカオウがまだ気持ち良さそうに眠っていた。
名前を呼んで揺すっても全く起きる気配がない。
カオウに気づいたサクラが目を三角にして掛け布団を剥ぎ取った。
「またツバキ様と同じベッドで寝て!」
カオウは出会った頃から同じベッドで寝ているのでツバキにとってこれはいつものことなのだが、サクラにとっては違うようだ。
ほぼ毎日同じセリフで彼をベッドから引きずり起こそうとする。
朝に弱いカオウはそれでも「うー」とか「あー」とか反射的な返事しかしない。
ツバキは用意されたお湯で顔を洗い、淡いピンクのガウンを羽織りながらそのやり取りを神妙な面持ちで見つめた。
「ねえサクラ。……同じベッドで寝るのはそんなに変なことなのかしら」
カオウを床に放置してベッドを整え始めたサクラの手が止まった。
「当たり前です。年頃の男女が同じベッドで寝るなんて!」
「でも、カオウは魔物よ。もし蛇の姿だったらそこまで言わないでしょう?」
本当に蛇の姿に戻ったら城が崩壊するが。
「でも今は人の姿なのですから、節度というものがございます」
そういうものなのかしら、と小首をかしげた。
魔物の姿ならよくて人ならダメだということが今一つピンと来ない。
姿は違ってもカオウはカオウだ。それ以上でも、それ以下でもない。
だから何も変じゃないわ。そう漏らした声をサクラは聞き逃さなかった。
「急にどうされたんです? 今まで何度申し上げても全く気になさらなかったのに」
「トキツさんに聞かれたの。カオウと付き合っているのかって。カオウが魔物と知らなかったのだけれど、周りの人にはそう見えるのかしら」
「男女が一緒にいるなんてあまりありませんもの。そう思われても仕方ないかと」
「授印なら一緒にいるのが当然でしょう?」
「ええ、いつもそうおっしゃって毎日同じベッドで寝てますものね」
肩をすくめて隣の部屋へ移動するサクラ。
ツバキはカオウの顔をぺちぺちとたたく。
全く動かない。頬を人差し指でぷにっと押す。
(本当に、何を気にしているんだろう。授印だから常に一緒にいる。同じベッドで眠ることも、魔力を与えるために手をつなぐことも習慣のようなものだから、今まで何も感じなかったのに)
「朝食の準備ができましたよ」
サクラに呼ばれ、カオウの頬から指を離した。
爪の跡がついてしまったことに気づき慌ててなでる。
「ごはんよ、カオウ」
スープのいい香りがカオウの鼻孔をくすぐり、やっとカオウが半分目を覚ました。
両手を引っ張って起こし、隣の部屋まで連れていく。
朝食は大抵野菜スープとパン、ジャムをかけたヨーグルト、コーヒーだ。
カオウにはコーヒーの代わりにミルクが出される。
彼は城では存在しないことになっているが、女官の配慮で食事と服は用意されており、皇子女の部屋には風呂もトイレもあるから日々の暮らしで困ることもない。
さらに部屋の外は森につながっていていつでも本来の巣へ帰ることだってできる。一度ベッドのぬくもりを知ってしまったら、あまり外で寝たいと思わなくなったらしいが。
「そうそう、ジェラルド兄様は新しい授印を見つけられたの?」
「ええ。昨夜は大騒ぎでしたよ。奉告の儀と同時に魔物と印を結ぶなんて前代未聞ですもの」
奉告の儀の終了予定時刻を五時間ほど過ぎて深夜になっても戻らず森を捜索しようかという話になったとき、満身創痍の皇子が帰ってきた。
森は危険に満ちていると言っても、すでに授印の、しかも古参のクダラを伴っているのだからかすり傷一つ負うはずがないと誰もが思っていたにも関わらず。
何事かと騒然となり、ジェラルドの命令でようやく姿を現した隠鳥を見て驚愕と歓喜が混ざった興奮が城中を駆け巡った。
「お怪我は治癒魔法で治りました。ただ、疲労困憊というご様子でしたけれど」
首をかしげるツバキ。
リハルは授印になる気満々だったのに、なぜ兄は怪我をしているのか。
しばし考え、苦笑いを浮かべる。
確かに、少し力を削れと言った。
しかしそれは、互いの魔力を推し量るために睨みあい力をそぐことで、物理的な実戦ではなかったのだが。
健気に懸命に戦うリハルと、それに応戦する兄。
想像してにやりと笑った。
「ちょっと見たかったかも」
「なんですか?」
つぶやきを拾ったサクラに、慌てて何でも無いと手を振る。
「さあさあ、本日は任命の儀です。やることがたくさんございますので早く召し上がってください」
サクラはテキパキと準備を始めた。
任命の儀、と聞いてツバキの表情が一転して真顔になる。
「その任命の儀、私がいかなきゃダメかしら」
とんでもないとサクラの目が大きくなった。
「陛下がご出席なさるのですから、さすがにツバキ様がいなければ」
そうよねえ、とツバキはため息をつく。
「どうした?」
完全に覚醒したカオウが顔を覗き込む。ツバキはサクラに聞かれないよう思念で答えた。
<昨日のことが気になって>
<あの手紙のこと? イタズラだろ?>
<そうだけど。おそらく、外国産のズイニャの入手先は市場だと思う。カイロの店舗では国産しか見たことがないし。市場は今日もやってるはずだから、少しだけ抜け出せないかしら>
<今日は難しいだろ。なあ、その調査はロウが行くのかな>
<かもしれないわね>
<おれが行ってやろうか? もし聞きたいことがあれば代わりに聞いてやる>
それならツバキは儀式に参列しながら思念で状況を知ることができる。
カオウにしては妙案が飛び出し感心しつつ、訝しげに顔を観察した。
何か企んでいる。
<もしかして、調査が終わったらズイニャを取り返そうと思ってる?>
<当たり前だろ。あれはおれのだもん>
<一つは確実に侍従長のものよね>
そうと決まればとカオウは喜び勇んで朝食を済まし森の中へ消えていった。
ツバキも頃合いを見て入ってきた女官に従い身支度を始める。
いよいよ任命の儀が始まる。
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