第7話 始祖の森

 六百年ほど前、世界は地底から出現した妖魔により精霊は消され疫病が蔓延、大勢の人や地上の魔物が死に壊滅の一途を辿っていた。

 憂いた神はカタルという小さな村に住む少年に印を授け、少年はその力により数多の地上の魔物を率い世界を安寧の地へ導いた。

 そして広大な森へ授印たちを住まわせ、森の入口に城を建立しバルタカル王国の礎を築いたという。


 それから少年の子孫である歴代の王や皇帝が守り続けてきたこの森には、現代では絶滅寸前の上級魔物や伝説級の生物も生息している。


 歩くだけで危険に満ちているこの森は皇族でも授印の儀等特別な行事がなければ近づくこともなく、好き好んで入る人間はツバキくらいのものだ。

 ましてや、城壁がなく見張りもいないからといって城を抜け出すために通るなど正気の沙汰ではない。

 だから誰もいないはず、だった。


「げっ」


 ツバキを通すため巨大なとかげのしっぽを持ち上げると、カオウはいるはずのない物がそこにいたので思わず声をあげてしまった。

 虎と豹が混じった大きな牙を持つその魔物はカオウに気づくと、孫のいたずらを発見した祖父のように愉快げな顔をした。


『大蛇の坊主か。こんなところで何をしているのかな? お前がいるということは……ああ、やはり』

「あっ」


 ちょうどツバキがしっぽをくぐった。

 ツバキは虎豹ではなくその後ろの人物を見て悲鳴をあげる。


「兄に向かってそんな嫌そうな顔をするな」

「だってまさかお兄様がここにいらっしゃるなんて思わないもの。始祖の陵はあっちでしょう?」


 彼はツバキの異母兄でありこの国の第一皇子ジェラルド=シュン・モルヴィアン・ト・バルカタル。授印の虎豹は名をクダラという。


 ジェラルドは、また許可なく森に入っていた異母妹へ非難がましい目を向けた。


「お前、出発の見送りに来なかっただろう。見送るのも儀式の一部なのだがな」

「あら、いたわよ」

「代理がな」

「それでもいたわ」


 微笑み合うジェラルドとツバキ。

 爽やかな笑みと麗しい笑みの間にバチバチと火花が散る。


「それで、わざわざ次期皇帝自らご挨拶に?」

「ついでだ。本当は魔物を探しに来た。他にも印を結べとクダラがうるさくてな」

『皇帝となられるのですから、私のような老いぼれだけでは心もとない』


 クダラは目を細めて喉をならした。

 彼は魔力こそ強いが八百歳と高齢である。

 代々皇帝は子の中でもより強い魔物と印を結んだ者が選ばれるため、万が一着任後にクダラが死んだら大問題となる。

 今もそれを理由に二番目に強い授印を持つ第一皇女が皇帝にふさわしいのではないかと騒ぐ派閥も存在し、家臣から早々に別の授印も探すべきだと進言されていた。

 ジェラルドはしばらく戯れ言と無視していたが、当のクダラに頼まれては断りきれなかったようだ。


「それで、誰にするかは決めたの?」


 ツバキはジェラルドの周囲を見回す。

 次期皇帝の授印になりたいと魔物が群がっているが、どれも中級以下で、始祖の授印でもあったクダラの代わりが勤まるとは思えない。


「こいつの代わりなど見つかるはずがなかろう。だから嫌だと言ったんだ」


 ジェラルドはまとわりつく魔物を振り払いながらクダラを一瞥した。


『まだ森の入口です。せめて私と出会ったところまで入らなければ』

「時間が惜しいな。カオウ、誰か紹介しろ」

「えー。めんどい」


 せっかくのかわいらしい顔を歪ませてとてつもなく嫌そうな顔をする。

 ジェラルドはふふんと鼻で笑う。


「自分の立場がわかっていないようだな。城を抜け出してどこへ行く気だ? 森周辺に衛兵を呼んでもいいんだぞ」

 

 途端に青ざめる二人。

 瞬間移動ができるのにわざわざ森を通っているのは、城に強力な結界が張ってあり、魔法を使って出入りすればすぐさま見つかってしまうためだ。結界の外まで見張られては抜け出せない。

 そもそも兄が黙認してくれているからこそ自由に城を抜け出せている。拒否するのは得策ではないと判断ししぶしぶ承諾した。


「条件は?」

「だから、そろって苦虫を噛み潰したような顔をするな。力は金華魚と同等以上が望ましいが、特殊な能力なら多少下でもいいだろう。あとは小言は少ない方がいいかな」


 クダラに向かって冗談めかして言う。

 金華魚とは第一皇女の授印で優美な長いヒレを持つ金魚のような空を飛ぶ魔物だ。

 カオウは途中で顔を歪ませたりにやついたりしながらしばらく思案する。

 ジェラルドはその百面相に一抹の不安を覚え、もしにやつきながら条件に合わない名を言ったら剥製にしてやろうと心に決めた。


「隠鳥のリハルはどうだ」

『まだ子供だろう。臆病で皇帝の授印が務まるかどうか』


 クダラが難色を示したのでジェラルドはカオウを剥製にするときのポーズを考えた。


「そりゃあ、クダラからしたら誰でも子供だろ。あいつはおとなしすぎるだけで賢いし、忠誠心があるからあんたに合うと思うけどな」

『しかし力は金華魚には劣る。それより狐はどうだろう』


 次期皇帝をあんた呼ばわりするカオウの剥製をどこに置こうか考えたとき、ツバキが口を挟んだ。


「狐は強いけれど、自由奔放で荒っぽいからやめた方がいいと思う。隠鳥なら、空を飛ぶ速さと持久力、さらに相手の魔力の強さに関係なく姿を消せる能力はそれを補って余りある。特にリハルの能力は随一よ。皇帝としての授印を求めるなら偵察力はとっても有益だと思うの」


 ジェラルドは怪訝な表情でツバキを見る。


「なぜそんなにリハルとやらを推す」

「ちょ、ちょっと遊んだことがあるだけ。伸び盛りだし、育て方によってはお姉様の金華魚を超えるかも」

「狐の性格まで把握しているとは。いったいどれだけの上級魔物と知り合いなのか聞くのが恐ろしいな」

「そんなにいないわ。カオウに会いに来る子たちだけだもの」


 ツバキの心臓が早鐘を打つ。

 危ないことはしないという約束を無視し、何度も森の奥まで行ったことがあるなど口が裂けても言えない。

 とにかく笑ってごまかす。


 その間逡巡していたクダラは得心したとばかりに頷き、ジェラルドを見上げた。


『ジェラルド、私も賛同します。まだ幼いのが若干気がかりですが、これから私が鍛えましょう』

「クダラが言うなら決まりだ。おい、次は居場所を教えろ」


 特に考えるそぶりも見せず即決すると尊大な態度でカオウを見下ろす。


「はあ? もう終わっただろう!」

「うるさい。俺はこれから奉告の儀も控えているんだ。さっさとしろ」


 暴君めと心の中でののしりながら、カオウはジェラルドの背より高い位置まで浮き、彼を見下ろしてから隠鳥の棲家を教えた。

 ガキだなと心の中で揶揄してから、ジェラルドはクダラの背にまたがる。


「ご苦労。セイレティア、街は今浮足立っていて危うい。あまり無茶はするなよ」


 そう言い残して颯爽と去っていった。

 ツバキは兄の後ろ姿を眺めながら、ぽつりとつぶやく。


「第一皇子があんな傍若無人だって知ったら、チハヤさん卒倒するかしら」

「慈悲深い皇子様と思い込んでるもんなあ。あいつといいツバキといい、皇族の噂は詐欺レベ……」


『あのう……』


 カオウの軽口に突っ込もうとしたとき、ガサッと草をかき分ける音とともに声が聞こえた。

 しかし姿はまったく見えない。


「誰だ? って、お前しかいないか」

 

 カオウが尋ねると、声の主が姿を現した。

 顔や体の作りは人に似ているが茶色の羽毛に包まれた隠鳥のリハルだった。


「いつからいたんだ?」

『えっとぉ、ジェラルド様が森に入った時からついてきました』

「相変わらずのストーカーっぷりだな」

『だって、ジェラルド様が授印を探しているっていう噂があったので、お声がけしようと思ったんですけど、なかなかタイミングがなくて……』


 リハルはもじもじしながら話した。おずおずカオウたちに近づき、深々頭を下げる。


『ぼくを推してくださってありがとう』

「いいのよ。事実を言っただけだもの」


 ツバキは小さい時からリハルと遊んでおり、彼が昔からジェラルドのファンで後をこっそりつけていることを知っていた。

 勘のいい兄が全く気付いていないことが面白く、ツバキから偵察のぞきを頼んだこともある。

 あのクダラにさえ見つかっていないのだから、偵察能力は十分に実証済みだ。無論、本人には言えないが。


「お前の棲家を教えたから、先回りして待ってろよ」

『そうします。はあ、なんだか緊張してきました……』

「長年の夢を叶えたいんだろ」

『でも普通、授印の儀では力比べするんですよね? ぼくはすぐに印を授けてもいいのだけれど』


 皇族の魔力は美味しいらしく中級以下の魔物は寄ってくるが、この森に住む上級魔物のほとんどは始祖の授印の子孫という誇りもあり契約の際皇族の力を試すことが多い。


「少し魔力を削るくらいでいいと思うわよ。あ、あと、くれぐれも今まで後をつけていたことは内緒ね」

『わかりましたぁ。がんばります』

「城で堂々と会えることを期待しているわ」


 ツバキが手を振ると、リハルは一礼し羽ばたきながら姿を消した。

 羽音がまったく聞こえないのはさすがというべきか。


「大丈夫かなあ、あいつ」 

「祈るしかないわね」

「面白そうだから見に行かねえ?」

「ダメよ。集中させてあげなきゃ」


 ツバキにも見届けたい気持ちはある。

 しかしこちらも用事があるのだからと自分に言い聞かせ、本来の進行方向へ体を向けた。


「まだ森を抜けていないのに、なんだかすごく疲れた気がする」

「なら運んでやるよ」


 カオウはツバキを肩に担いで飛び始めた。


「ちょっとカオウ! それやめてってば!」


 いきなり担がれたツバキは、かつらが落ちないよう頭を押さえた。

 いつも時間がないときこうして飛ぶのだが、一応女性なのだからお姫様抱っことはいかないまでも抱き寄せるくらいの配慮はしてほしいと訴えても、飛びにくいからと却下される。

 色気もへったくれもない。


(トキツさんに恋人か聞かれたけれど、ありえないわよね、こんなんじゃ)


 小さい頃から一緒にいてはトキメキのトの字も芽生えない。

 あっという間に過ぎ去っていく景色を眺めながら、物語にあるような幼馴染同士の恋愛は自分には当てはまらないと再認識するツバキだった。

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