第3話 メロンパンの作り方



 メロンパン職人の俺への注文はひとつだった。


「君の真心を込めてくれ」


 粉の投入から始まり、混ぜる作業を経て捏ねる段階に入る。真心を込めるなどという余裕はなく、工程をこなすだけで精一杯だった。

 そんな俺に丁寧な指示を出しつつ、メロンパン職人は落ち着いた声で喋り出した。


「メロンパン派遣員になって人間界に行くことは、ユイ自身が望んだことだった。あいつは誰よりもメロンパンが好きだったし、メロンパンの未来に希望を持っていた。穏やかな性格の反面、頑固な所があったから、私はただその背中を押した。

 初めはとても真面目にやっていたようだ。人間界のメロンパンについての仔細な情報を、メロンパン侵略計画本部へとしっかり報告していたらしい。だが、次第にそれは変わっていった。メロンパンとは、競い合うものでも奪い合うものでもないという考えを持ち、それを主張し始めたのだ。計画の方針に反するとして、ユイは解雇された。

 しかしユイは黙って引き下がらなかった。メロンパン界は、人間界のメロンパンの優れた点に学ぼうとする姿勢を持つべきだとの主張を続けたのだ。

 おそらく、ユイがメロンパンに対する思いを変えたのは、君と出会ったからだ。ユイにとって君は、大きな存在だったに違いない。

 その他もろもろ、いろいろのうんぬんを経て、君に人間界代表としてメロンパンを作ってもらおうということになった。その出来の良し悪しに、メロンパン界のメロンパンと、人間界のメロンパンのすべてが託されているというわけだ」

「なんかいい感じに背景説明始まったと思って黙って聞いてたら突然飛躍して着地点ここ!? 俺!? えー! なんか指震えてきた! どうしよう! なんかすごい重い! この生地すごい重いー!」

「落ち着け。なぜ君なのか、わかるか?」

「わ、わかるわけないだろ! メロンパンなんか、作ったこともないのに」

「だからだ。君は、メロンパンのメの字しか知らない。せいぜいロン、までだ。だからこそ、君が選ばれたのだ」

「……どういうことかわかんねぇよ」

「まぁ聞いてくれ。ユイは主張したのだ。メロンパンに必要なのは、侵略でも支配でもない、上質な材料でも優れた技術でもない、真心なのだと。それは、人間界だろうとメロンパン界だろうと変わらない。メロンパンとは、何者にも支配されない、普遍的に愛される存在であるはずだと。

 ユイの主張は、メロンパン界のメロンパンのあり方そのものを揺さぶるものだった。それに共振するように、ユイの意見に賛同する声も上がり出した。そこで侵略計画本部側が、ひとつの提案をするに至った。それがこの、メロンパンにおける、真心の検証だ」

「検証……?」

「そう。メロンパンに対して無知な人間を検証対象とし、メロンパン界に流通する材料を使い、メロンパン職人である私が工程のみを指示する。被験者の注ぎ得る真心が、メロンパンの完成をどれほど変えるのか、その結果を見極めようというわけだ。それが私が、君の脳内にやってきた理由のすべてだ」

「ちょっと待ってくれよ。そんな勝手に被験者とかにされても」

「メロンパンの作り手に君を選んだのは、ユイだ」

「…………ユイが?」

「ユイは、君のユイへの気持ちに賭けたのだ。君ならきっと自分のために、真心を込めたメロンパンを作ってくれるはずだと。これがどういうことか、わかるか?」


 メロンパン職人の声は、どこか俺を責めるような気配があった。俺はその音が脳の底にゆっくりと着地した後、ただ呟く。


「俺は……」


 続く言葉を拾えずに、数秒黙る。その時、後頭部に衝撃が走る。


「また!? まためん棒!? 普通に凶器だし普通に殺しちゃう可能性もあるよそれ!!」

「ユイは、君に託したのだぞ! 自分の信じるものを、自分の信じる人間に託したのだ! そこにあるユイの気持ちがわからんのか!」

「わかるよ! でもわかんねぇ! そんなメロンパンの未来とかでかいこと言われてもわかんねぇ! でもなぁ、これだけははっきりしてるよ! 俺はユイの気持ちに応えたい! 俺を信じてくれたユイに、俺のメロンパンで応えたい! そんだけだ!」


 メロンパン職人は静かに、そうか、と言った。そして、それがわかっていれば十分だ、と続けた。

 俺は、自分が放ったセリフを心の中で反芻し、自分の気持ちを確認する。確かにそれが、今の俺の気持ちだ。

 それから、再び生地に向き合う。投入したバターが馴染んでいくのが、手の平を通して伝わってきた。


「手の平全体を使うんだ。優しくゆっくりと、しかし手早く強く、大事に捏ねるのだ」


 生地の変化に意識を集中させると、静かになった脳内に、ふとユイの声が蘇る。




 ――ジュンくんのすごく好きなものってなに?


 いつだったか、俺に投げかけられたユイの言葉。

 深く追求したり、のめり込むほど好きなもののなかった俺に、はっきりとした回答などできなかった。

 そんな俺に対して、ユイは言った。


 ――私は私の好きな物を、私の好きな人にも好きになってもらいたいし、私の好きな人の好きな物を、私も好きになりたい。そうやってどんどん好きが大きくなっていくのって、すごいことだと思わない?




 生地を台の上に置く。もったりとしたそれは柔らかく、ゆっくりと指から離れた。


「おい、おっさん。確認だ。メロンパンを作り終えたら、俺はユイに会えるんだよな?」


 メロンパン職人は、ふっと笑ってから言う。


「それは、メロンパンの出来次第だ」




 ――しばしの放置時間を経て、メロンパンの生地は発酵し、膨らんだ。生地の中に発生するガスを追い出し、新たなガスの発生を促すために一度押し潰す。切り分け、断面部分を下にし、優しく転がして丸く成形する。

 上面に載せるクッキー生地をめん棒で伸ばし、そっと生地を包んで形を整え、グラニュー糖をまぶす。その表面にナイフを押し当て、ごく軽く、格子状の模様を入れる。

 メロンパン職人の指示に従い、思った以上に繊細な生地を、大事に、丁寧に扱う。


 指先に、手の平に、俺の気持ちの全部をのせる。ユイの笑顔を想像して、そこに届くように作る。今の俺にできるのはそれだけだ。

 届いてくれ。

 これが俺の、好きの気持ちだ。



 

 オーブンレンジのオーブンの機能など初めて使った。焦がさないか心配で、ずっと張り付いて見ていた。

 香ばしく甘い香りの中、メロンパン職人から取り出しOKの指示が入る。


「できた……」


 鉄板の上に並ぶそれは、歪な形のメロンパンだ。大きさを揃えられなかったし、所々クッキー生地が破れてパン生地がはみ出している。焼き色はいいにしても、あまりにも不格好だ。


「あまりにも不格好だな」


 メロンパン職人の言葉が刺さる。


「食べてみろ」


 促され、ひとつに手を伸ばす。まだ熱そうだな、と思ったその瞬間、メロンパンがザクっと半分に割れた。


「あ?」


 割れ目から飛び出してきたのは手で、腕で、顔で、それはそのまま俺に接近して衝突する。

 すごいスピードでぶつかってきたのに衝撃はまるでなく、すべてが無重力で、俺は世界をスローモーションで見ながら後ろに倒れていく。

 最後に飛び出してきたらしいそいつのつま先は天井を向いていて、俺はそれと共に宙に浮いたまま後ろへ飛んでいるのだと気付く。グラニュー糖の透明な粒が宙を舞い、無数のそれらがきらきらと光を放つ。


 そして目の前にあるのは、ユイの顔だった。


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