第2話 メロンパンの思い出



 ――ユイとは、メロンパンで出会い、メロンパンで別れた。


 あれは二年前、大学に入学したばかりの頃だった。同じメロンパンに手を伸ばしたのがただの偶然だったのか、それとも必然だったのかはわからない。しかし、その時の俺たちにとっては、紛れもなく運命だったんだ。

 最後の一個だったそれをバカみたいにいつまでも譲り合って決着がつかず、結局半分ずつお金を出し合って買い、半分ずつ食べることにしたのだ。

 今にして思えば、ユイらしい提案だった。ユイが、半分こしましょう、と言ったあの瞬間に、もう好きになっていたのかもしれない。



「なるほど。そんな出会いだったとは……」

「思考も読めるのかよ!!」

「続けてくれ」

「なんで元カノとのあれこれをさっき出会ったばっかのメロンパン職人に聞かせなきゃならないんだ!」

「いや、君におけるメロンパンの背景を知っておくことは、これからメロンパンを共に作っていく同志として重要なことだ。続けてくれ」

「……くそっ」




 ――俺たちはすぐに距離を縮め、自然に付き合いだした。

 性格だけ見れば、俺たちは正反対だったと思う。俺はどっちかと言えばお気楽で呑気な性格だけど、ユイはおっとりしているようでいて芯のしっかりした奴だった。お互いに、自分にないものに惹かれたというのはあると思う。



「どんな所が一番好きだったんだ」

「その質問、メロンパン作りに必要か?」

「ディテールは重要だ。メロンパン作りは繊細な作業だ。細かな情報の共有という意味でも、聞かせてほしい」

「んーまぁ、素直に答えるとしたら優しい所かなぁ。でも自分の意見に対して真っ直ぐで強い部分もあった。あと、笑いの沸点がすごい低くてなんでも笑っちゃうとことかすごい可愛くて……っ……」

「……泣くなよ男が」

「泣いてねぇよ! ……ちょっと、鼻の奥がツンとしただけだ」

「わだかまる気持ちを吐き出し、ゼロの心でメロンパンと向き合うのだ。そのために、その涙は必要だ。続けてくれ」

「……くそっ」




 ――ユイはよく笑っていたが、ふとした瞬間に寂しそうな顔をする時があった。俺にはそれがずっと気がかりで、でもどう聞いたらいいのかわからなかった。聞いたところで、俺に何かできるとも思えなかった。



「存外、自尊心の低い男のようだな。なぜ話を聞いてはやれなかったのだ」

「聞いてやりたかったよ。でもあいつは、寂しそうなくせに、俺にそれを隠してるような感じだったんだ。隠してるってことは、知られたくないってことなんだと、俺は思ったんだ」

「好きだったんだろう? なぜ問わなかった。それすらも抱えてやろうとは思わなかったのか」

「ちょっと待て。なんで俺説教されてんだよ。むしろメロンパン作ってくれとお願いしてる立場のおっさんのほうが下手に出るべきだろうが。やめるか? メロンパン作りやめるか?」

「君の方こそ、どこぞのメロンパン職人に思考を読まれ続ける人生でいいのか? やめるか? メロンパン作りやめるか?」

「続けます、聞いてください」




 ――付き合い出して一年が経った頃、ユイが熱を出して倒れたことがあって、俺はユイのアパートに行って看病した。

 そこでユイは俺に、うわ言のようにメロンパンメロンパンと呟きながら、キッチンの戸棚を指さしたんだ。そこを開けると、溢れるほどのメロンパンが入っていた。この世のメロンパンの全種類が集結してるんじゃないかと思えるほどの大量のメロンパンが。

 俺が渡したメロンパンを、ユイは貪るように食べた。まるでそれを食べなければすぐにでも死ぬと信じているみたいに。結局そこにあったメロンパンをあらかた食べ尽くしてしまった。

 その後でユイは、どこか絶望すら感じさせる暗い表情で、もう私のこと嫌いになったでしょ?って聞いたんだ。確かにその食べっぷりにはびっくりしたけど、そんなことでユイを嫌いになるわけがなかった。だから俺は、はっきりとそう言った。

 ユイは俺の言葉に頷いてから、なぜか泣き出した。静かに長いこと泣いた後に、ありがとうって言って、笑ったんだ。俺はただ、笑い返すしかできなかった。

 その次の日に、ユイはいなくなった。アパートは空っぽになっていて、スマホでやり取りしていたアカウントは削除されていた。

 悲しかったと言うか、わけがわからなかった。でも、いなくなったことは確かだったし、受け入れるしかなかった。

 ユイがいなくなった理由は今でもわからない。でも、きっと俺が悪かったんだ。あいつの優しさに甘えてばかりで、何もしてあげられなかった。本当に好きだったのに、それすら上手く伝えられてなかったんだ。いなくなってから気付くなんて遅すぎる。全部俺が馬鹿だったせいだ。



「…………」

「相槌くらい打ってくれよ」

「……質問だ。例えば彼女が、君に嘘をついていたとする。君は、その嘘に隠された事実を受け止めることができる人間なのか、それとも、その嘘に気付かないままでいたい人間なのか、どちらだ」

「はぁ? なんだよその抽象的な質問は。もっと具体的に言ってくれ」

「例えばユイが、人間界におけるメロンパンの調査と研究のためにメロンパン界から人間界へと派遣されたメロンパン人であり、人間界にあるすべてのメロンパンをメロンパン界からのメロンパンによって支配するという計画を遂行するのが目的の、言わば人間界のメロンパンに対する侵略者であるということを隠していたとしたら、君はその事実を受け止めることができる人間なのか、それとも、その嘘に気付かないままでいたい人間なのか、どちらだ」

「例えが唐突に具体的すぎるんだけどこれ流れ的に信じるしかないやつ!? えーそういうのはもっと段階踏んでやってくれよこっちにも心構えとかいろいろさぁ! えーなにー!? メロンパン人!? えー!?」

「遅ればせながら、私もメロンパン人です」

「えー!?」




 ―― ……そうか。

 思い当たる節はたくさんある。ユイのメロンパンに対する好奇心は常人の域を越えていたし、俺といる時以外はメロンパンしか食べていないことにも薄々気付いていた。

 そうか、ユイは……。


 俺の中でばらばらに浮遊し続けていたものが繋がり始め、断片的だった何もかもがひとつの形を作る。

 ユイがなぜ時折不安げな様子だったのか、これで説明がつく。突然いなくなったのも、自分とメロンパンとの尋常でない関連性について俺に見せてしまったからだろう。

 でも、離れることを決意させてしまったのは俺だ。ユイが垣間見せる寂しさに、俺がちゃんと手を差し伸べなかったからだ。


「くそっ、俺は……」


 ――うまそうにメロンパンを食べるユイの顔が浮かぶ。

 ふんわり甘いねー、とユイはいつも言った。まるで人生で初めて食べるみたいに一口目をかじり、人生の最期に口にするもののように大事に食べ終える。いなくなってから、もう何千何万回と脳裏に浮かび、何千何万回と忘れようとした、俺が好きだったあの笑顔だ。

 メロンパン人が人間とどう違うかなんて関係ない。どうせ、メロンパンが異常に大好きとか、メロンパンから主な栄養を摂取しているとか、その程度しか人間と変わらないんだろ?


「まぁまぁ正解だ。我々メロンパン人の主要エネルギー源はメロンパンである。人間界とは並行世界に存在し、メロンパンのある場所にのみ発生する相互作用によって空間的な繋がりを持っている。人間界のメロンパンに干渉することで時空構成に歪みを生じさせ、両界の物質的有限性を解除することにより物理移動を可能としている」

「難解さを装ってるわりには中身のない世界設定だけど今はそんなことどうでもいい! ユイは、ユイは今どこにいるんだ!!」


 ――ユイに会いたい。メロンパン人だろうとチョココロネ人だろうとなんでもいい。

 もう一度、会いたい。



「いや、チョココロネ人はいないと思うw」

「けっこう決意溢れる独白のとこでwとかやめてくれる?」

「だってwwwチョココロネwwwwwww」

「やめてくれる!? ユイがどこにいるかわかるかって聞いてるんだ!」


 メロンパン職人は咳払いの後、ゆっくりと答えた。


「大事なことを忘れてもらっては困る。君は今からメロンパンを作るのだ」


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