俺の脳内にメロンパン職人の魂が転生してきたんだが
古川
第1話 メロンパンは突然に
悪夢を見て飛び起きた。よくある事だ。
俺は心臓の鼓動が治まるまでゆっくりと呼吸をしつつ、夢の中から脱出できたのだということの確認のため、部屋を見回す。
と、視界の隅に違和感を覚える。夜の残骸が眠る部屋の角、そこに、何かがある。
「……なんだ?」
俺はベッドから起き、そこへ向かう。
一メートル四方のテーブルだった。少なくとも寝る前には、こんな物はここになかった。上に何かが置かれているが、よく見えないので電気を点けた。
透明な大きな皿がひとつ。その横に小さな皿がいくつか。その上にはそれぞれ、固形の物や粉状のものが載っている。
この白いのは、小麦粉か。いや、砂糖かもしれない。他にも何種類もの粉が、様々な量でそこにある。
この四角い黄色は、バターか? 卵がひとつ。カップに入った透明な液体。水?
「なんだ、これは……」
自分が持ち込んだ物でないことは確かだった。俺が寝ている間に、何者かが持ち込んだとしか考えられない。
「だ、誰だ! 誰かいるのか!?」
唐突に湧き上がる恐怖に、思わず大きな声を上げる。
「私だ」
声が響く。地にどっしりと足をつけたような、低く太い男の声だった。聞いたことのない、中年のおっさんの声だ。
俺は震え上がる。知らないおっさんが、部屋の中にいる。
「で、出てこい!」
「そういう訳にはいかないのだ」
意味がわからない。勝手に入ってきておいて出られないだと?
俺はすぐさまスマホを手に取る。警察に通報するため急いでロックを外していると、突然腕に衝撃が走ってスマホが落下した。
「あぁっ!?」
手首を硬い何かで殴られた感触。俺は振り返る。が、そこには人影も何もない。
「お、おいお前、なにしやがった!」
「申し訳ない。思わずめん棒で叩いてしまった」
「めん棒、だと……?」
見ると、足元に木の棒が落ちていた。よくうどん屋なんかが生地を薄く伸ばす時に使っているあれだ。それを拾い上げ、右手に握る。
「出て来やがれ!」
「だから出てはいけないのだ。しかし声が届いていることは確認できた。物理的介入も少しはできるようだ。よし、十分だ」
「……はぁ?」
介入、だと? これは異次元にヤバい奴に侵入された。即刻追い出さなければならない。
俺はめん棒を握り締めたままワンルーム内を探し回った。狭い部屋の探索はすぐに終わる。誰もいない。しかし、声だけが届く。
「私の魂だけが、君の脳内にえーっと、まぁいわゆる異世界転生の類だと思ってくれ」
「バカなこと言ってんじゃねぇ!」
「そういうことで、どうかひとつ頼む」
「頼むってなんだよ!」
その声は、俺の脳内で響いている。この部屋に侵入した何者かによる声ではなく、俺の脳内に侵入した誰かの声だ。
「くそっ……どうなってんだ……!」
「君を困らせるつもりはない。ただ、ひとつだけ、君に頼みがある。それを叶えてくれたら、私はすぐに撤退する」
「頼み、だって?」
「そう。テーブルの上を見てくれ」
頭を抱えながら、ふらふらと、再びあのテーブルの前へと戻ってくる。
「これは、なんだ」
「それは、食材。つまり、材料だ」
「……材料?」
「君に頼みがある。メロンパンを作ってくれ」
メロンパン。
俺の意識の中に突如として投げ込まれたその五文字が、脳内で渦を巻き始めるのを感じた。
俺は強く首を振り、その猛烈な波の気配を意識の外側へと追い払う。
なぜだ。なぜ俺が、メロンパンを作らなければならないのだ。
よりによって、なぜメロンパンなんだ。
「なぜなんだ……!」
テーブルに突っ伏して、俺はうめく。
「理由は問わないでくれ。ただ、そこにある材料を使ってメロンパンを作ってくれたなら、私は君の脳内から出ていこう。それは約束する」
毅然とした声が脳内に響く。有無を言わさぬその声に対し、俺は、くそぉ、と声を漏らす。
メロンパン。
かつては優しく甘く響いたその言葉も、今ではただ痛いだけだった。無理やり閉じようとしていた傷口は、未だに俺の中で塞がらないまま疼いている。そのことに、今はっきりと気付いた。
きっと俺は、このメロンパンから逃げるべきではないのだ。なぜか確信的に、そう思わずにはいられない。
「……わかったよ」
「作ってくれるのか!」
「お前のためじゃねぇ。うるさい声を追い出すためだ。それから、個人的にメロンパンに対して思うところがある。ちょうどいいから、それにも決着をつける」
言葉にしながら、自分のしようとしていることの馬鹿らしさに目眩がする。ここで俺がメロンパンを作ったところで、過去は何も変わらないというのに……。
「ありがとう……!」
脳内の声が、感謝の色を示す。俺はその声に向かって、質問を投げかける。
「お前は、誰だ」
およそ人の脳内に無断侵入しているとは思えない、どこか誇らしげですらある声が答える。
「私は、メロンパン職人だ」
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