※23


 オニギリと並んで作業をしていると――校内放送が鳴った。


『さ、三年一組の皆さん……宿直の斉藤先生。氷柱雪カナタです。落ち着いて聞いて下さい。……校庭に……凶器を持った不審者が侵入しました。なので、教室から絶対に出ないで下さい。お化け屋敷の壁に使用する木板を使って、教室の扉を封鎖して下さい。そうすれば不審者の侵入を食い止めることが出来るはずです。警察へは既にわたしが連絡済みです。なので、落ち着いて教室で待機していてください。繰り返します――』


 氷柱雪さんが、緊張した声のまま放送の復唱に入った。


「なんだこれ」


「新手の悪戯?」


「つーか氷柱雪ってこんな悪戯する奴だっけ?」

 氷柱雪さんの突発的な行動に、教室の中ががやがや騒ぎ始める。


「ふ、不審者……? それってどういうこと? タッツーはなんか知ってる?」

 不穏な空気を感じ取ったオニギリが、俺に質問してくる。


「いや……」


 彼女からは何も話を聞いていなかったし、端的に言って氷柱雪さんの行動は意味不明だった。


 そして次の瞬間――教室の明かりがすべて落ちた。


「停電……!?」


「一体何がどうなってんだ……!」

 暗闇に包まれた教室の中で、喧噪はより大きくなっていく。


「…………お、おいっ!!」

 一人の男子が叫んだ。彼は唖然とした顔で、青白い月明かりが差し込む校庭を指差していた。


 ――大柄の男が、校庭に侵入している。


「おいおい、マジじゃん。絶対ヤバい奴じゃんアレ! なんか包丁みたいの持ってたぞ!」


 お調子者で有名な男子の一人が、唇を震わせながらその場で尻餅を付いた。

 途端に女子が大きな悲鳴を上げ、あたふたと数人のグループになって固まり始める。


 爪をカラフル色に染めた女子が青ざめた顔で言った。


「やばくない? あれ本物じゃないの!?」


「そんなわけねえだろ。……ってことはあれじゃね。頑張ってる俺らに向けたサプライズ的な」


「アンタバカなんじゃないの! 氷柱雪さんそんなことする子じゃないから! 本当に不審者が入ってきたのよ!」


「クソ、もういいからとりあえずあのサボり教師呼んでこいよ! 宿舎棟のほうにいるって言ってたぞ」


「男子が行きなさいよ!」


「はぁ!? ふざけんじゃねえ!」


 男子の一人が、ヒステリックを起こしかけている女子の胸ぐらを乱暴に掴み上げる。


「きゃあ! ちょっとこいつ胸触ってる!」


「うるせえ!」


「――――みんなっ!」


 汚い罵倒が飛び交う中で、はきはきとした清々しい声が雑音を切り裂いた。


「こんなときだからこそ、僕たちは強力すべきなんじゃないのかい!? 氷柱雪カナタさんも言っていたじゃないか。警察に連絡はしていると。なら、僕らが今ここで出来ることは……? そう、冷静にここで警察の助けを待つことなんじゃないかな?」


 熱血クラス委員の言葉が、不安だらけの生徒たちの胸の中へ染み渡っていく。


「幸いこの教室には、たくさんの木材と工具がある。扉を木の板で何重も張り付けにして、不審者の侵入を食い止めるためのバリケードを張ることができるんだよ!」


「お、おおっ……! そうだよ、こいつの言う通りだぜ!」


 すぐさまクラスの志気が高まっていく。氷柱雪さんの放送内容をただ繰り返して言ってるだけなのに、凄いカリスマ性である。

 俺は単純に彼を凄いと思った。名前忘れたけど。





 それから俺たちは扉の鍵を閉め、お化け屋敷の壁となる予定だった木板を何枚も打ち付けた。

 しかし、上部が完全に塞がったところで俺はとんでもないことに気が付いた。


「氷柱雪さんと…………カズトは?」


 教室内に居ないのは、その二人だけだった。あとは全員揃っている。


「二人の安全の為に、クラス全員のリスクを上げることはできない」


 唇を噛みしめながら、悔しそうに言うクラス委員長。


「は?」


「氷柱雪カナタさんと和馬カズトくんは大丈夫だ。僕が保証する」


「いや、何言ってんの君は」


 適当に言っているのか、心から本気でそう信じてるのかわからないが、とにかく俺は同意できなかった。絶交したとはいえカズトは俺の親友で、氷柱雪さんは俺の彼女だ。見捨てられるわけ無いだろ。

 下部のバリケード貼りを開始し始めた奴らの手を止め、俺は歩を進める。二人を助けなくちゃいけない。


「栗ヶ山タツヒロくん! それ以上は危険だ!」


「……二人も危険なんだけど」


「それはそうだけれども……でも僕はクラス委員長としてみんなを守る責任がっ」


「いいよ、そんなもの捨てちゃって。俺は二人を探しに行く」


「待ちたまえ、栗ヶ山タツヒロくん!」


「なんでフルネームなんだ……」


 うざい熱血男の手を振り払って、俺は教室の隅で蹲っているオニギリに目を向けた。


「二人を連れてすぐ帰ってくるから。オニギリも大人しく待ってなよ」


「タッツー……」


「大丈夫だって」


 にかっと笑みを浮かべながら告げて、踵を返そうとすると――、


「待て、栗ヶ山」


 野球部主将のゴツい手のひらが、俺の肩を押さえた。「……持ってけ」

 使い込まれた木製バットを渡される。俺はそれを受け取って、「ありがとう」と頭を下げた。


 扉の鍵を一時的に開けて、バリケードの下を潜る。廊下に出て、教室のほうを見てみる。窓いっぱいに木目が映っていた。


「良いんじゃないかな、良く出来てると思うよ」


 扉をこんこん、と叩きながら伝える。即席にしては良く出来た防御策だった。例え不審者が刃物を持ってここにやって来たとして、扉を破壊されてもしばらくは持ちこたえることができるだろう。


 太い鉄釘が白壁と木板を打ち付ける音を聞きながら、鼻腔に――微かな異臭が届く。

「焦げ臭い……?」


 だが、今はそんなことよりも氷柱雪さんとカズトだ。不審者に見つからないように二人を探し歩かなければならない。急がないと。とりあえずは放送室に向かってみよう。階段を三段以上飛ばしながら、二階へ降りていく。


 到着。


「なっ……なんだよこれ……」


 床から立ち上る眩い炎が、廊下を燃やし尽くしていた。反射的に制服の袖を口元に押し付ける。

 そこで突然、心配顔で送り出してくれたオニギリが頭を過ぎる。


 ――あいつ、まだ教室の中じゃないか……それもバリケードで囲った密室だ。きっと逃げられない。


 辺りを見渡す。火は勢いを増していくばかりだ。

 考えるよりも先に携帯電話を取りだした。すぐに通話は繋がった。


「オニギリか!? 今二階にいるんだけど、かなりヤバめの火事が起きてる」


『ええっ!? 火事!? なんで! どうして!?』


「わからない。……いいか? 俺はこのまま氷柱雪さんとカズトを探すから、お前はすぐに消防車を呼んで教室のみんなにこのことを伝えてくれ」


『う、うん……み、みんなっ――! 大変なことになったよ!』


 電話越しにオニギリが大声で叫んだ。すると、教室の中で新たな悲鳴と罵声が飛び交い始めた。熱血クラス委員長の狼狽した声が聞こえる。


 クラスのみんなは一丸となって彼を責めることにしたらしい。バリケードを張れと言ったのはお前だどうしてくれる。ガチガチに固めたからもう出られないじゃないか。本当にお前って使えないな。お前に熱い以外の取り柄って無いだろ。何乗せてくれてんだよ寧ろ寒いわ。お前って何か役に立ったことあったけ? 本当にキモい。大嫌い。死ねよ。

 お前のせいで、みんな死ぬんだぞ。


 ……たった今、俺は仮初めの友情というのを思い知った。人間って怖い。


「外には不審者がいるし、下手に行動するよりその教室に留まってたほうが安全だと思う。だから絶対に教室の外に出たらダメだ。警察が来るまでそこで大人しくしてるんだ」


 混乱の渦に巻き込まれている教室の連中を安心させる言葉を伝える。オニギリは俺からの言葉を真剣に聞いて、うんうんと頻りに頷いている。


『タ、タッツ――』

 不安そうなオニギリの声。


「何?」


『……二人をお願いね。それと、絶対に無理したらダメだよ』


「お前はヒロインかっ。わかってるよ。ちゃんと二人見つけてくるから。それじゃ――」


 通話を切ろうとすると、オニギリが縋り付くように、『ああ待って! 最後最後! 消防車の番号って……117で良かったよね!?』ととんでもないことを言い始める。


「――それは時報だ!」


 俺は番号をゆっくり丁寧に三回ほど教えてから、オニギリとの通話を終了した。

 早急に、カズトと氷柱雪さん探さなければいけない。走りながら二人にメッセージを送る。どちらも返事は来なかった。


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