※22


 秋も深まる頃、学校では文化祭が近づいていた。


 俺たちのクラスが当日準備するアトラクションは定番のお化け屋敷だった。真っ黒の遮光カーテンで真っ昼間の日差しを完全カットし、分厚い木の板を教室に張り巡らせて迷路を作るのだ。


 しかし作業は難航していた。こんな夜にクラス全員で居残って屋敷造りをするくらいには。

 お化けの衣装や装飾などを受け持つ小道具班に所属する俺が、何故屋敷作成班の手伝いに躍起になっているのかというと、先日――違うクラスのバカ数名が俺たちのクラスに乱入し、製作物をぶち壊してくれたせいに他ならない。


 みかねた先生が宿泊許可を取ってきてくれたというわけだ。親御さんの了承を得た人で、残りたい人は残って良いということになっている。

 というか、クラス全員見事に残った。直情熱血思考の激アツ委員長が純粋なクラスメイトたちを鼓舞したせいである。そんな光景が眩しくて、俺は直視するのが辛かった。なんか痛い青春ドラマって感じがして、逆に寒かった。そんな俺は連中から冷めた人間に映ったのだろうか。


 思い返してもタイムリープ前の文化祭で居残りなんてしたことなかったはずだが、この世界ではそうもいかなかったらしい。誰だよ、製作物壊したバカは。


「なんかこういうのってワクワクするよね」


 教室の隅で、与えられた仕事を淡々とこなすオニギリが言った。


「確かに。夜の学校っていうところがミソだと思うよ。そのうち幽霊とか出るんじゃない」


「ちょっと? そういうこと言わないでよ! 僕がそういうのダメなの知ってるくせに! タッツーのイジワル!」


「何がイジワルだよ。そんな言い方してもオニギリは全然可愛くないから」


「それな」


 俺たちは笑いながら黙々と作業に集中する。クラスのイケイケ連中たちから、なんかお前ら地味なんだよなと言われることも多くなった俺たちジミーズにとって、こういう作業は結構性に合っているかもしれない。あれ、結局タイムリープ前とそんなに変わらない人生送ってる気がする。まあ、一点を除いて……だけど。


「そういえば、氷柱雪さんは?」

 オニギリがキョロキョロと周りを気にしながら言う。


「ああ、トイレ行くってさ」


「ふうーん……」


 ゲスい笑みである。こっちみんな。


「なんだよ」


「いや、やっぱり彼氏彼女の関係になれば、そういう生理事情も報告しあうのかなと」


「お前の今の発言……氷柱雪さんに言いつけてやるからな」


「待って!? 今のは冗談でしょ! そこは流石に気付いて欲しかったなぁ! タッツー」


「うるさいなお前。もういいから黙って仕事してなよ」


 いつもながらのやりとりを終えると、今度はオニギリが真面目くさった様子で訊ねてきた。


「ていうかさ、付き合ってんのに未だに苗字呼びなんだね。氷柱雪さんはずっと名前で呼んでるのに」


「ああ……そうだね」


「なんかあんまり嬉しそうじゃないよねタッツー。小学生の頃から好きだって言ってたのに」


「そんなことないよ。この世で一番の美人だと思ってるし、デート楽しいし」


「ふうん……で、どうなのさ。氷柱雪さんは」


「え? どうって何が」


「そんなもの決まってるじゃん。タッツーと二人っきりのときの氷柱雪さんだよ。あんなにミステリアスな雰囲気の人、なかなか居ないよ。ほら、小学生の頃から一緒だった身としては気になるじゃない」


「どうもこうも……普通だけど」


「いやいやそんなわけないでしょ? 甘々なこと言ってきたりしないわけ? 『ねえ……ちゅうしよ?』とか、『ぎゅって……して?』とかさ! くぅー! ねえ教えてよこのこのっ」


「うわー……これはだいぶウザい」


「そんなことないでしょ!? ねえねえ教えてよタッツーくん!」


 もはや仕事をほっぽり出してオニギリは恋バナに夢中だった。脇腹を小突かれる。オニギリのウザキャラ枠が、たった今確固たるものになった瞬間だった。


 それはさておき、氷柱雪さんと付き合うようになってから、何度かデートに行ったりはしている。

 映画館に行ったり、水族館に行ったり、定番と呼ばれるところには粗方足を運んだ。ただ、そうして仲を深めていっても、彼女のことを名前で呼ぼうという気にはならなかったし、氷柱雪さんからそう呼んで欲しいと言われたこともなかった。因みに、キスもまだで学生らしい健全な行動しか取っていない。


 もちろん俺は彼女に夢中だ。氷柱雪さんは美人で素敵の塊だから。

 ……でも、氷柱雪さんはやっぱり本音を隠しているような気がする。いや……本音というよりは、本当の自分を隠している……? 氷柱雪さんの造形が彼女の美点だと自負する俺は、いつも隣で彼女の顔を始め身体や指の動きに至るまで――良く観察しているのだが、なんというか細かな仕草で引っかかる点がいくつもある。

 例えば、二人でエレベーターに乗ったとき、氷柱雪さんは例え操作盤の前に自分が立っていたとしても、ボタンを押そうとしない。俺がボタンを押すのをずっと待っている。


 他にも、デートの途中で話題を振っても、氷柱雪さんは感心を示さない。びっくりするほど俺の話に興味を持ってくれない。相づちを打ってくれないことさえあるくらいだ。それに、話を突然自分本位のものに切り替えられたりする。単純に俺の話が面白くないだけなのかもしれないが、それにしたって病的なほど彼女は他人に関心が無い。


 こんなこともあった。動物園の帰り道で俺たちはアイスクリームを食べていた。途中――歩いていた男と氷柱雪さんは肩がぶつかってしまって、アイスが男の服にべったり付いてしまったのだ。そのとき彼女は徹底して謝罪することが無かった。表情は柔らかだったけど、瞳だけがやたらと威圧的で、じっと相手の瞳の奥を見つめているのだ。結局男は根負けして逃げ帰って行ったが、まるで猛獣から逃げる小動物のような背中だった。氷柱雪さんには当事者意識と、それに伴う責任感が一切無い。

 自己中心的な考え方とでもいうべきか。氷柱雪さんは、物事のすべてが自分本位で動いていると思っている節がある。世界の中心は自分だと、本気で思っているかも知れない。

 まあでも、それも仕方ないことなのかなと思う。何故なら彼女は天から授かった美しき顔を持っているのだから。


 もし人間にランクを付けられるのだとしたら、間違いなくピラミッド社会の頂点に君臨する権力者だ。だから、そういった自己中的な部分は目を瞑る他無い。

 だけど、時々氷柱雪さんが怖くなる。

 衝動的に、何かやらかすのではないかと。生物的な本能とでも言おうか。身体で感じるのだ。


 氷柱雪さんは、俺のことをとても好きだと言ってくれた。だが、愛されているという感じがあまりしなかった。その言葉に嘘は無いように思えた。実際に付き合って自分の所有物になってしまうと扱いが雑になるというのは恋愛界隈では良く聞くが、それに近かった。

 つまり、恋人にはなっても氷柱雪さんのことを全然理解できていないということだ。

 これって俺が悪いのか? いや、違う。氷柱雪さんは徹底的に本心を隠しているんだと思う。彼氏である自分にもそれは見せてくれないのだろうか。


 そんなことを悶々と考えながら作業をしていると、オニギリがふっと顔を上げた。


「あれ……? そういえばカズトは……?」


「知らない」


 カズトとは、あの遊園地以来顔を合わせていなかった。


「なんだよあいつは! まったくもう、堂々とサボりかよ!」


 オニギリはぷりぷり怒りながら、

「それで? 結局どこまでイッたの」とスケベオヤジのようにゲスな質問を繰り返してきた。





 その後、『タツヒロ今どこだ』と俺のスマートフォンに乱暴なメッセージが入った。

 俺は既読スルーを決め込んだ。

 あの日の怒りは、まだ冷めそうに無い。


 * * *


 刑務所からの脱走に成功した。


 途中、警官を二人ほど殺してしまったことが悔やまれる。手首を変に痛めてしまったし、興奮状態がなかなか収まってくれない。この手で何人もの人間を殺してきているとはいえ、やはり人殺しというのは心身共にエネルギーの消耗が激しいのだ。


 できる限り手を染めたくないなとは思う。……やらねばならないときは除いて。

 息を荒げながら私は夜山の中を囚人服姿で這いずり回った。どこからか追っ手が来るのではと内心ビクビクしながら、目的地への道をただ真っ直ぐに進む。


 ――ああ、早く会いたい。


 唇の端が自然と歪む。

 あの子が待っている。きっと、一人きりで寂しくしているだろう。手紙にそう書いてあった。


 だから、私がこの手で抱き留めてあげなくては。


 あの子には、私しかいないのだから。


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