※21
「え……?」
氷柱雪さんの言葉の意味がすぐには理解出来なかった。眉を寄せながらカズトのほうを窺う。
カズトは、いつものようにおどけたりしなかった。顔全体に汗がびっしり浮かんでいて、全力疾走した後のように呼吸も乱れていた。
「カズト……?」
「やっぱり……そうだったんだ。カズトくん、女の子よりも男の子のほうが好きなんでしょう?」氷柱雪さんは反撃とばかりに、感情的にぶつける。「だからって――酷いよ! そんなに好きなら、わたしと正々堂々――あっ」
そこまで言って、氷柱雪さんは口元を手で覆い隠した。言い過ぎてしまったことに気が付いた表情だった。
俺は驚愕したまま身動きを取ることが出来なかった。カズトも口を閉ざしたまましばらく焦点の合わない瞳を微動させていた。
次の瞬間――カズトはその場を逃げ出した。
「おいカズト! 待てよっ」
俺は氷柱雪さんを置いて全力疾走するカズトを追いかけた。
広葉樹が並び立つカラフルな遊歩道を通り過ぎると、夕色の木漏れ日の下でカズトは肩を上下させたまま立ち尽くしていた。
「……カズト」
「……はは、気持ち悪りぃだろ?」
カズトは身を翻して、疲れた笑みを浮かべた。
「俺、お前のことが好きなんだぜ」
「そんなの……俺だって」
「違う。お前が俺を思う気持ちと、俺のお前を想う気持ちは絶対に重なることはないんだ」
まるで自分に言い聞かせるように、カズトは強い口調で言った。
「…………」
何も言えなかった。
親友だったカズトの今までの葛藤に。そしてその痛みに。胸を締め付けられた。
「……俺とお前は今まで通り。俺からのお願いだ。今日のことは全部忘れてくれ」
「…………あ、ああ」
はっきりと言えたかどうかわからない。気が抜けたように佇んでいると、カズトが肩を強く叩いてきた。もういつもの彼の顔だった。
「で、ここからだ。重要な話は」
「重要……?」
「バカ、氷柱雪の件だよ。お前、告白されたんだろ?」
「あ、ああ……でも待ってくれ。俺はやっぱり女の子が好きで――」
そう言うと、カズトは強烈なヘッドロックをかましてきた。
「おい。忘れろって言ったよな? あ? マジでぶっ殺すぞテメェ」
「ぐっ……や、やめろ……本当に死ぬ。それに真剣に言ったつもりだよ」
「ふん」
カズトは鼻を擦りながらも、まんざらでもないようだった。少しぎこちなくなっていた俺たちの関係が和らぐ。
「じゃあ話してくれよ。なんで氷柱雪さんはダメなんだ?」
この際とことんまで語り合ってしまおうと思い、俺は訊ねた。するとカズトは真面目な顔で腕組みをした。
「……三年前のこと、覚えてるだろ?」
「館でのこと?」
「そう。ほら……温海亡くなっただろ。……殺したの、俺は氷柱雪だと思ってる」
「なっ……!」
カズトの言葉に俺は虚を衝かれる。
「あり得ない話じゃねえよ。あいつは……なんていうか……一言で言うなら化け物だ。綺麗な顔を餌に獲物をおびき寄せる肉食動物。ほら、ライオンって怖いけど生まれつきカリスマ性みたいなものを持ってるだろ。危険だけど格好良くて、ついつい見とれちまうみたいなさ。それと似たような感覚だ」
確かに氷柱雪さんはとんでもない魅力を持っている。男があんな美人に言い寄られたら、誰しもが鼻の下を伸ばしてしまう。
「それに、氷柱雪の言ってることって全部が薄っぺらく感じるんだ。全体的に、なんか嘘っぽい。まるで演技をしてるみたいで、中身が無い」
「……いくらなんでも言いすぎだぞ」
虫の居所が悪い。自分の愛する人をコケにされることが、ここまで腹立たしいことだったなんて。それがたとえ親友のカズトだったとしても。
「……そう思うよ。俺だってこんなことあんまり言いたく無い。人格否定なんて大層なことできる人間になったつもりもねえしな。だから、今まで俺らのグループにあいつが入っても何も言わないできたんだ」
「氷柱雪さんは天涯孤独の身なんだぞ。俺たちが……もっと優しくしてやらないと」
「きっと心優しい人間なら誰もがみんなそう思うよな。あいつは不自然なくらいに悲劇といつも隣り合わせだ。でもさ、それが俺たちの同情心を煽るための作戦だったとしたら?」
「……なんの為にそんなことをする必要があるんだ? その証拠は?」
「無い。ここまで言っといてなんだけど、これはあくまで俺の考えだ」
気が付くと、俺はカズトの胸ぐらに掴みかかっていた。
「いい加減にしろよ。それ以上氷柱雪さんのこと悪く言ってみろ。いくらお前だって……許せない」
「聞け、タツヒロ。俺は、お前の為に言ってるんだ」
「俺の為? 悪いけど、全然為になってない。お前は俺の恋路をただ邪魔してるだけだ」
「氷柱雪は危険だ。タツヒロ。頼むから付き合うなら別のヤツにしてくれ」
「まだ言うのか!」
「お前が殺されるかも知れないんだ!」
カズトは泣き叫ぶように言って、俺の腕を突き飛ばした。
気持ちは分かる。だけど、そこまで疑ってしまうと本質を見失ってしまう。
「お前――俺が好きだからってそんなこと言ってるんじゃないだろうな?」
「違う。俺は、ただお前に――」
「もういい……カズト、今すぐ俺の前から消えてくれ」
「タツヒロ……」
「二度と顔を見たくない」
殺気だった瞳で睨み付けながら、告げる。カズトの表情は見ていられないくらい痛々しいものに変わっていた。
カズトがとぼとぼ立ち去って行く。しかし、不意に足が止まった。
「温海って……小学校の頃から、タツヒロのことが好きだったんだよな。……じゃあ、もしかしたら俺もそのうち死ぬのかもしれねえな」
「…………」
「……タツヒロ、気をつけろよ」
そうしてカズトの姿が見えなくなった。彼との会話で、俺の中の氷柱雪さんが黒靄の中に追いやられる。彼女が肉食獣。本当にそうなのだろうか。
「何……話してたの?」
びくりと身を竦める。
いつの間にか、俺の背後に氷柱雪さんが立っていた。
彼女はにっこりと微笑みながら、真っ黒な瞳でこちらをじっと見つめていた。そうされると、俺は身動きが取れなくなってしまう。とても可愛らしいのに。美しいのに。全身で感じるのは純粋なおぞましさだった。
日常生活の中で、突然ライオンや虎が現れたらどうだろう。動物園の中で出会ったなら格好良いと騒ぎ立てる奴も多いだろうが、もし目の前に現れてもみろ。きっと動けなくなる。
「……いつからそこにいたの?」
「ん? 今だよ」
今度はきょとんとした表情で、氷柱雪さんはおどけて見せた。
「それでね、あのっ……返事……知りたい」
もじもじと指をいじくりながら、氷柱雪さんは唇を尖らせた。
――それも演技なのか?
背筋にぞぞっと冷たいものが走る。それなのに、心臓のドキドキが収まらない。
生物としての本能が、氷柱雪さんを恐ろしいと拒絶している。だけど、心はいつでも彼女のことを求めていて、ずっと胸がときめいている。
自分の身体に起きている不思議な現象に、俺は困惑していた。
氷柱雪さんに目を奪われることは、もはや辞められないのだ。
まるで無害な麻薬のようだった。一種の中毒症。目を反らしてしまえば最後、もう二度と触れられないかもしれないと、そんな危機感を覚えてしまう。
氷柱雪さんの魅力は確固たるものだ。それだけは、絶対に、絶対だ。
「えっとね、タツヒロくんさえよければ……その……わたしと、付き合って下さい」
耳まで真っ赤にする氷柱雪さんの告白に、俺は驚くほどあっさりと了承していた。
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