※20


「近くにこんなところがあったんだね。実は遊園地って初めてなの」


 氷柱雪さんが嬉しそうにステップを踏んだ。はしゃいでいるらしい。一方の俺はせっかくのデートを心から楽しむこともできずにいた。

 氷柱雪さんの斜め後ろを歩きながら、なんとか言葉をひねり出す。


「俺なんかと一緒で良かったの……?」


 今までの発言からは考えられない一言。あれだけアプローチをしておいて、何を言ってるんだ俺は。

 しかし、そんなこともお構いなしに氷柱雪さんは俺の制服の袖をぎゅっと掴んだ。


「ね、行こ?」


「えっ……ああ、いや……うん」


 突然の彼女の行動に困惑する。童貞かよ。ほっとけよ。

 氷柱雪さんに引っ張られるように絶叫マシーンに乗せられ、コーヒーカップで目を回し、一緒にキャラメル味のポップコーンを頬張った。


 氷柱雪さんはいつにも増して明るく振る舞っているような気がした。俺の元気が無いことを気にして、あえてそうしてくれているのだろう。その優しさが嬉しかった。

 何より氷柱雪さんは綺麗で可愛いし、一緒にいて心が躍らない男なんているわけが無い。

 いつか夢見ていた氷柱雪さんとの制服デート。それがこうもあっさり叶ってしまうとは思わなかった。


 やっぱり、氷柱雪さんはどこまでも俺の理想像だ。

 今まで見てきたどんな女の子よりも美人で、こんな風に俺のことを心配してくれる氷柱雪さんが、悪人なわけがないじゃないか。


「むう……タツヒロくんってば、また余所見してる」


「そんなこと、ないよ」


 密閉された空飛ぶ小部屋の中で、俺たちは膝をつき合わせていた。


「ふうん……わたしまだタツヒロくんと目が合ってない気がするんだけどなあ」


「……そうだっけ?」


「観覧車乗っても、窓の景色ばっかり見てるし」


「それは……その、ええと……」


 ――単純に恥ずかしいだけです。とは言えなかった。


 目の前の氷柱雪さんは、もう高校生だ。アプローチのしやすかった小学生のころとは違う。胸も膨らんでいるし、プリーツスカートから伸びるほっそりした柔肌が視界に入る度に反射的に目を反らしてしまう。


「これでも今日は結構冒険してるんだよ。無反応だと、それはそれで自信なくしちゃうなっ」


 氷柱雪さんは拗ねたように唇を尖らせて、ぷいっと違う方向に顔を向けた。慌てて向き直る。


 全然気付かなかったが、いつの間にか髪の毛を結っていた。かなり長めのポニーテール。リボン下のブラウスは第二ボタンまで空いていて、ちらりとその奥が覗けてしまう。スカートも、心なしか学校のときよりも短くしてあるようだった。

 制服姿とはいえ、氷柱雪さんはいつもより大分ラフなスタイルになっていた。そんな彼女の変化に気が付けないほど、俺は自分の世界に閉じ籠もってしまっていたのか。


「なんか、いつもよりワイルドだね」


「ん……? そう言われるとなんか違う気もするけど」


 眉を顰めながらそんなことを言う氷柱雪さん。結構レアな表情かもしれない。


「ごめんね氷柱雪さん。気を遣わせて」


「あ、わたしのほうこそごめんね。逆にプレッシャーになってた?」


「ううん、凄く楽しいよ」


「はあ……なら良かったあ」


 氷柱雪さんは胸に手を置いてほっと一息ついてから、「わたしと一緒なの、もしかしてつまらないのかなぁ……ってちょっとだけ思ってたから」そんなことを言い始める。


「氷柱雪さんと一緒に居てつまらないとか、そんなこと天地がひっくり返ってもあるわけないよめっちゃ嬉しいもんほらみてこの笑顔」


 必死に百点の笑顔を見せつける。


「ふふっ、そうなの? ていうか早口だね」

 氷柱雪さんが口元を抑えながら、柔らかい表情で笑った。


「…………温海さんが亡くなってからだよね。タツヒロくんが……その、わたしと距離を置くようになったのって」


 彼女は和やかな表情を絶やさないまま、丁寧に言い切った。まさか、氷柱雪さんの口からその言葉が出るとは思っていなかったので、驚きを隠せなかった。


「…………」


 一言で返せるような言葉を持ち合わせていなかった。


「やっぱり、犯罪者の娘ってだけで怖いよね」


「……氷柱雪さんは、悪くないよ」

 そうとしか言えないのが、俺は無性に悔しかった。


「……でもね、タツヒロくん。これだけは言わせて。わたしは――あなたともっと仲良しでいたいよ。自分の立場をわかってて言ってるんだから、性格悪いかも知れない。でもタツヒロくんは……こっちに来てからの初めてのお友達だから。ずっと友達で居たい……本当にコレだけは……心からの言葉。それだけは信じて」


 氷柱雪さんはそう言ってから、俯いていた顔をぱっと上げた。


「はい、これで湿っぽいのはもうナシね! 後は閉園時間まで思う存分遊ぼう!」


 にかっと白い歯を見せて明るく微笑む氷柱雪さん。変化した髪型も相俟って、いつもの彼女とは違う魅力を放っていた。

 そんなとき、氷柱雪さんの黒髪に金色の光が差し込んだ。


「わあ……綺麗」


 氷柱雪さんは山陰から姿を現した太陽の光に目を奪われながら声を上げた。そんな彼女の整った横顔を見つめながら、


「氷柱雪さんは……世界中の何よりも綺麗だよ」

 偽りない想いを告白した。


 目の前の氷柱雪さんをまじまじと見つめていると、頭の中がどうにかなってしまいそうで。


 俺にとって、氷柱雪さんは魔力を秘めたの宝石のようだった。

 氷柱雪さんは景色から目を離すと、夕日に輝くオレンジ色の瞳をこちらへ向けてきて、


「もう、バカ」


 赤く染まった頬を照れたように押さえながら、俺の膝をぽんと叩いた。

 そうやって茶化されることが、何故だか今は救いのように思えた。



 これ以上――氷柱雪さんに踏み込んではいけない。



 本当に勝手だよな。これで愛の告白終了だなんて、ロマンチックさの欠片もない。

 好きなのだから、想いを告げたら返事をもらって、良ければ恋人同士になれば良い。なのに、どうしてそれをしないのか。


 わかってる。自制しなければいけないってことくらい。

 本当に美しいものほど、手には触れられない。美しいバラには棘があるのだ。無理に手に入れようとすると、きっと他のものを失うことになる。

 それが怖いと一瞬でも感じてしまったのなら、それは実践すべきことじゃないんだ。何ごとも、行きすぎは良くない。


 ……それは、それだけはわかっているつもりだ。



 楽しい時間というものは本当にすぐ終わってしまう。

 最後に乗ったジェットコースターが終わると、氷柱雪さんが「最後に少しだけお話があるの」と声をくぐもらせた。

 俺は了承し、二人で人気の無い休憩スペースまで移動した。


 閉園時間のアナウンスが流れる中、寂しい夕日をバックに薄汚れたベンチに座った。柱雪さんの服が汚れないようハンカチを敷いてあげることを忘れずに。


「ありがとう」

 氷柱雪さんが天使の微笑みを向けてくる。


「……あ、あのね」


 声の感じからして、少し言いにくい内容なのかもしれない。

 身体を一つ分空けて座る氷柱雪さんは、太ももの上で手のひらをもじもじさせていた。


「えっと、えっとね……」


「……うん」


 なんだかわからないが、心臓が高鳴って鳴り止まない。


「さっきはずっと友達とか言っておいて、本当に勝手というか……その、えっと……お別れが近づくたびに、やっぱりって――ああごめんね。何言ってるか良くわからないよね」


 雰囲気がそうさせるのだろうか。彼女の醸し出す空気に、ドキドキする。


「……わたしっ……タツヒロくんのことがね」


 俺だって鈍感じゃない。そこまで言われれば、彼女が何を言おうとしているのかくらいはわかった。黙って続きを待つ。


「……うん」


「……そのっ、……す、好きっ……なんです」


「…………」


 こういうとき、不意に敬語になるのは正直ずるい。俺は瞬間的に顔がぼっと熱くなる。


「ほ、本当?」

 俺は驚いた表情で聞いた。


「う、嘘なんてつかないよ」


 肩をすくめて氷柱雪さんが睫毛を瞬かせる。そんな彼女の表情を覗こうとすると、顔を背けられてしまった。でもそれがまた愛おしかった。俺の前では、氷柱雪さんは何をしていたって素敵に映ってしまうのだからしょうがない。


 突発的ながら、さきほどの観覧車の件が功を成したのだろうか。

 自分の中ではケジメをつけたつもりでいた。諦めたつもりでいた。

 だけど、こうして流れが変わってしまえば、自分でもびっくりするくらいに簡単に意思を曲げられると思った。



「そこまでだ」



 人影が、俺たちの足下に伸びていた。

 馴染みのある声。俺は顔を上げて驚愕する。


「カズト……? お前部活じゃ」


「そんなもの今はどうでも良い。……いいかタツヒロ、最終忠告だ。氷柱雪は辞めておけ」


 幾度となく俺に言い張っていたことを、カズトは遂に本人を目の前にして言い切った。


「ど、どういうこと……?」

 目を見開いた氷柱雪さんが、狼狽した表情で口にする。


「悪いな氷柱雪。お前にタツヒロを渡すつもりはねえんだよ」


「おいカズト! それ一体どういう意味だよ! 突然現れたと思ったら何訳わからないこと言ってんだ」


 俺が怒気を含んだ声で叫んだ。カズトは苦渋の表情を浮かべていたが、すぐに「お前のためなんだ」と言い張った。


 カズトは俺から視線を移すと、信じられないことを言った。


「……氷柱雪、頼む。今すぐ俺たちの前から消えてくれ。二度と、俺たちの前に現れるな」


「カズトっ……お前っ!」


 いても立ってもいられず、ベンチから立ち上がってカズトの胸ぐらに掴みかかる。


「ひ、酷い……カズトくん……酷いよっ」氷柱雪さんは顔を覆い隠して悲痛な声をあげた。


「自分がタツヒロくんのことを好きだからって……!」


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