※17


 目前に突き付けられたのは、一丁の拳銃だった。


「…………カズト」


「…………タツヒロ、か」


 お互いに殺気立った表情を見合う。全体的にやつれた印象を帯びていて、瞳に生気が感じられなかった。自分たちがどれほどの地獄にいるのかを物語っている。

 急激に身体の力が抜けて、萎びたように俺たちはくずおれた。


「ああ、もう心臓に悪りぃな」


「本当に。でも、カズト……無事で良かった」


 カズトを一瞥する。ダウンジャケットが破けて、上腕部分に赤い裂傷が見えた。


「このくらい大丈夫だ。それより氷柱雪は……?」

 俺とオニギリを見ながらカズトが言った。


「はぐれた」


「そうか……じゃあ探さなきゃな」


「うん。あと警察にも連絡しておいたから、じきにここに来てくれるよ」


「おおっ……出来る奴だなお前! ってか全然そこまで頭回ってなかったわ」


「カズトが作ってくれたあの下手くそな地図でなんとか伝えたんだぞ」


「マジかよ、恥ずっ」


 カズトは空笑いをした。少し場が和んだような気もしたが、そんなものは気休めだった。早いところこの館から脱出しないことには安泰など訪れない。

 小便臭さを醸し出すオニギリに突っ込みを入れなかったのは、カズトの優しさだろう。


 ともかく、俺たちは来た道を戻ってホールを目指した。

 時刻は既に深夜三時を回っていた。





「待て」


 もうすぐでホールだというところで、先頭のカズトが突然動きを止めた。彼はゆっくりと壁に背を付けて、開けっ放しの扉の隙間に目をやった。うっすらと明かりが点いている。


「何か聞こえる」金属バットを構えながら、カズトがぼやいた。


「………………ヤベえ」


「何? どうしたの」


「すぐにここから逃げるぞ」


「ちょっと待ってくれ。それじゃ氷柱雪さんはどうするんだよ」


 声を殺しながらカズトの服を引っ張り抗議した。彼は少し顔を顰めてから、俺と場所を交換した。

 目を細めて、その隙間を確認する。



 部屋の中に居たのは、氷柱雪さんと殺人鬼だった。


 密会。ぱっと見た雰囲気から感じる印象はそれだ。俺はもう少し彼等の様子を注意深く観察することにした。殺人鬼が壁に貼り付けられた紙にバツ印を書き込んでいる。


 見取り図だった。おそらくはこの館の。となると、あの印は一体何を意味しているのだろう。

 硬直してしまった俺の肩をゆっくり引きながら、カズトが言った。


「これでわかったろ。アイツ、氷柱雪は……殺人鬼の仲間なんだよ。このままここでじっとしてたら……殺されちまう」


 引きつった表情のカズトが、小声でぼやいた。


「待てよ。まだそうと決まったわけじゃないだろ。氷柱雪さんと話をしてからでも遅くない」


「バカかお前は! 本当はわかってるんだろ? 氷柱雪がおかしいってことくらい!」


 カズトの押し殺した声が、耳の奥にまで劈く。

 心の中ではわかっていた。でも、信じることができなかった。

 あんなに美しくて、賢くて、欲しいものはなんでも手に入るであろう彼女が――殺人鬼と繋がっていただなんて考えたくなかった。

 そうだ。現に氷柱雪さんは椅子に座っているだけで見取り図への記入はすべて殺人鬼が行っている。ならば、彼女は捕まって人質にされているのではないか?


「俺は、氷柱雪さんを……」


 渦巻く不安要素を無理矢理追い出そうとしたとき。


 ――夜の館に、悲鳴が響く。


 氷柱雪さんの声だった。

 瞬間。俺は反射的に身を乗り出して、カズトから金属バットを奪い取り部屋に突入。頼りないおもちゃの突撃銃からBB弾を乱射しながら、金属バットを思い切りぶん投げた。


 バットは宙で回転しつつ殺人鬼の上半身を強打した。悲鳴をあげる殺人鬼。その隙にこちらへ駆けてくる氷柱雪さんの手を取り、超特急で扉を蹴りつけ廊下に脱出。


 足首がもげるくらいのスピードで、暗がりの廊下を駆け抜ける。

 やった。勝った。倒したんだ――。


 途端、背後からとんでもない速さで追いかけてくる黒い影。

 殺人鬼が発狂しながら金属バットを投げ返してきた。バットは空を切り一番後ろを走っていたオニギリに命中。当たり所が悪かったのか、彼はそのままバタリと床に倒れた。


「オニギリ!」


 カズトがオニギリに駆けよる。足下に転がった金属バットを手にとって、中腰のまま殺人鬼のほうに矛先を向ける。

 殺人鬼は身体中に細いワイヤーを走らせて、数本の肉切り包丁を吊り下げていた。

 瞬間――、闇の中から一本の刃が飛んでくる。


「――っざけやがって!」


 カ――ンと金属同士がふれ合って反響。

 カズトが金属バットで殺人鬼の攻撃を凌いでいた。


「クソッ、おいオニギリ、起きろ!」


 カズトがオニギリの頭を思い切り引っぱたく。正気を取り戻した彼は再び走り出す。

 それからも包丁は飛んできた。殺人鬼は、何故だか徹底的にカズトを狙っていた。その疑問をぬぐい去ることもできないまま、頼りないおもちゃで応戦する。

 ようやくしてホールに到着。俺は大声で叫んだ。


「助けてくださいっ――――!!」


 そろそろ警察が来ていても良いころだ。この叫びが届いていることを切に願いながら、氷柱雪さんと手を繋いでホールの中央に向かって走る。


 遅れてカズトとオニギリがホールに到着。

 そのとき俺は頑丈なワイヤーを握っていた。銀色の線が行き着く先は、天井から垂れ下がる古びたシャンデリア。子供が一人乗っても大丈夫なくらい大きくて立派な奴だ。


 タイミングを見極める。失敗は出来ない。

 俺はワイヤーを思い切り引いて、手に力を込め――腹から叫んだ。


「――――喰らえ!!」


 手を離す。

 シャンデリアは振り子のように運動エネルギーを増加させながら、ホールに到着したばかりの殺人鬼に衝突する。硝子の破片が飛び散って追撃。殺人鬼がその場に倒れ込んだ。


「みんな早くこっちに!」手すりのところでかがみながら、俺は叫んだ。


 一階へ続く階段は、どちらもワイヤーで固めた調度品の山によって、進行不可能にしておいた。


 俺は用意していたロープを氷柱雪さんに手渡す。彼女がロープを伝って一階に辿り着いたのを確認してから、怖がるオニギリを無理矢理降ろさせて、カズトがほとんどノータイムでスムーズに一階へ。残るは俺だけだった。


 恐る恐る殺人鬼のほうを確認する。たった今起き上がったそいつは、苛ついた様子でシャンデリアの破片を投げつけてきた。


 ガシャンと激しい衝撃。辛うじて回避できたが、とんでもないバカ力だった。当たったらただじゃ済まない。


 殺人鬼が我を忘れたように突っ込んでくる。

 途端に足が重くなる。恐怖に、足が竦む。

 死と隣り合わせの状況下で、まともに歩ける方がどうかしている。

 でも、やらなければ死ぬ。


 棒のようになってしまった足を気力と根性で焚き付けて、無理矢理動かす。ロープを伝って一階へ降りれば、みんなと合流できる。そして殺人鬼によって塞がれた玄関を開通させ、四人で館を脱出するのだ。


 いける。そう信じる。

 手すりにロープを通して、重り役の三人がオーケーサインを出したところで――、

 包丁が飛んできた。

 身体が硬直する。


 鉄の塊は俺の頬肉をかすめて、そのまま壁にぶつかって床に落ちた。目尻付近から温かい鮮血が涙のように溢れ出る。


 数瞬動きを止めていた間に、殺人鬼はすぐそこまで来ていた。

 もう逃げられない。ロープを伝って降りる時間なんて無かった。

 俺は掴んでいたロープを下へ放り投げる。


「タツヒロっ!」カズトの叫びが響き渡る。


 だが俺は死にもの狂いで、暗がりの廊下に駆け込んだ。

 自分の助かる未来が想像出来ない。

 今、この瞬間にタイムリープが起こってくれればいいのにと神様に願った。

 息も絶え絶え逃げる。頭の中では常時アラートが鳴り響いていた。

 奇声を発しながら、殺人鬼が追いかけてくる。


 先ほどの見取り図を思い出す。細部まで記憶を掘り起こせなかったが、左右対称だった。今走っているこの廊下は、館の二階をぐるっと一周できるような構造になっているのだ。つまり、このままスタミナが続く限り逃げれば、またホールにたどり着ける。


 ロープはもう捨ててしまった。カズトたちも下にいるかどうかわからない。もし殺人鬼との間に安全な距離が取れるのなら、自分で設置した調度品の山を無理矢理よじ登ってでも一階に向かうしかない。もうそれ以外考えるな。自分に言い聞かす。


 死が背中から迫ってくる恐怖を、初めて経験した。

 生きた心地が全くしない。今この瞬間に包丁が飛んできて、背中に突き刺さったらもうそれでおしまいだ。


 怖すぎて後ろを振り返ることができない。少しでも死の危険から目を反らしたかった。

 ぐわんぐわんと重いものが頭の中を駆け巡る。脳が酸素と糖分を欲しているのがわかる。


 ――ああ、もういっそ殺してくれ。


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