※15


 四人の絶叫が混じり合う。しかし、すぐに理性を取り戻したカズトが発狂状態のオニギリの頭部を強く叩いた。


「落ち着け! 良く出来てるけどこれは作りモンだ。ほら、良く見て見ろ」


 カズトがぐいっと生首を持ち上げて、オニギリの目の前に突き出す。


「うわあああああ!! か、顔ぉぉっ!!」


 ところがオニギリの悲鳴はさらに大きくなった。その横で俺と氷柱雪さんは生首に注目する。


「ほんとだ作りものだ。でも良く出来てるな、これ」


「なんでこんなものがあるんだろうね。ここを文化祭でお化け屋敷として使ってたのかな」


 氷柱雪さんと途中で目が合う。二人でそのままオニギリの固まった表情を見つめて笑い合う。


「ったく……声がでけーんだよお前は!」


「だってえ!」


 少し和やかなムードになったのも束の間――、どこか遠くで何かを引きずるような音が鳴った。


「えっ、どっかで音鳴ったんだけど」


「ええ、ほんと? わたしは聞こえなかったかも」


「うえええええええっ!」


「だからお前はうるせえっつってんだよ!」


 カズトがぽかりとオニギリの頭をはたいてから、「野良猫かなんかいるんじゃねえの……そんなことより、ほら、見て見ろよ」と俺に手招きする。


 ライトに照らし出された壁には、釘で五指を突き刺された手のひらが貼り付けられていた。妙に、生っぽい。


「良く出来てんな。これも氷柱雪が言ったみたいにどっかの学校の制作物なのかな。そんでそれが積み重なった結果、都市伝説の男様が生まれちまったってわけか」


 カズトはライトを下へ向ける。


「……しかし、悪趣味だよな」


 オニギリが蹴り飛ばしたもの以外にも、床には無数に人間の生首が転がっていた。

 それらはどれも切り刻まれていた。耳をそぎ落とされたもの。目玉に穴を開けられたもの。地肌からえぐり取られているもの。形は様々だが、みな乱雑に扱われている。


「ここに人が住んでるって感じはしないし、やっぱりただの廃屋だと思うよ。カズトの言った通りの推論で間違いないと思う。オニギリも大分ヤバそうだし、そろそろ引き上げない?」


「んー……まあそうだな」


 オニギリを一瞥する。口を開けたままフリーズしていた。なんだか臭い。まさかこいつ漏らしたんじゃないだろうな。問い詰めようとしたそのときだった。




「こんばんは」


 男の声。


 全身の毛穴という毛穴が逆立った。足先まで電撃が走って、身体の自由が効かない。


 ぽた、ぽた――と液体が床に滴る。血塗られた鉄の塊が見えた。肉切り包丁。


 一緒に照らし出されたのは誰かの足。つんと饐えたような生臭さと相俟って、その存在が幽霊でないことを証明していた。


 ――間違いない、人間だ。


 だが俺はライトを上げることは出来なかった。何しろ、身体が動かない。


 動けない動けない動けない動けない動けない動けない動けない動けない動けない。


 思考が完全に固まってしまったところで、突如BB弾が発射される。

 短く、簡潔に。


「逃げろっ!!」


 カズトの叫び声を合図に、俺たちは本能的に身体を動かした。

 麻痺していたせいか、自分の身体じゃないみたいだった。そのせいで途中、バカみたいに転倒してしまった。今まで生きてきて、転けたことなんてそんなに無かったのに。


「タツヒロ!」


 カズトが足を踏ん張らせて、エアガンを放った。男に当たったのかどうかは知らない。見ている暇なんてなかった。


 重たい金属が、俺の顔面すれすれを通り、地面に突き刺さる。

 男は何事かを呻いていた。カズトの弾丸が急所に直撃したのだろうか。

 這うように床を進んでいると、足首を凄い握力で掴まれた。俺は反対側の足で男の顔面をがむしゃらに蹴り飛ばす。

 男は怯んだらしく、その隙にカズトの助けを借り起き上がった。氷柱雪さんとオニギリに続いて、ホールに辿り着く。


「……なんでっ!?」


 氷柱雪さんの悲鳴が館に響き渡る。


 数々の調度品によって、玄関が塞がれていた。


「クソッ……上だ!」

 カズトが苛立ちながら叫ぶ。俺たちは暖炉横の階段を駆け上がっていく。


 しかし、カズトは俺たちの後について来なかった。


「カズト何やってんだよ! 逃げないと!」


「わかってる! ちょっと待ってろ!」

 カズトはエアガンを乱射しながら、男の元へと走り寄っていく。


 床に、先ほどの包丁が突き刺さったままだった。カズトがそれに手をかけようとしたその瞬間――暗がりから太い腕が現れる。


「早く!」男に突撃銃を乱射しながら俺は吠えた。


 男の近距離攻撃を咄嗟のところで回避したようだが、完全に標的となってしまったカズトは追われるがまま暗闇の中へと走り去っていく。


「おい! 何処行くんだよ!」


「いいから行けっ! 後で合流する!」


 長い階段を駆け上がった俺たち三人は、ホールを見下ろせる位置に到着した。差し込む月明かりでも、男とカズトの姿は見えない。


 闇の中には、二人の息遣いが確かに聞こえてくる。


「カズトくんは……?」


「あいつは……一階に残ったままだよ」

 拳を握りしめながら、呟く。


「…………探しに――行く?」

 氷柱雪さんの瞳には、怯えの色が見えた。


 ――俺には彼女を守らなくちゃいけない使命がある。


 行けと言ってくれた親友と再び合流するために今の俺ができることは、この二人の無事を確保すること。一緒に安全な場所に隠れることだ。


「カズト……信じるからな」

 俺たちのグループの中で、カズトは『隠れ鬼』が一番上手い。だから、信じることにした。


 ――今はそうするしかないんだ。


 俺は氷柱雪さんとオニギリの手を強く握った。


「今はとにかく身を隠そう」


 早急に隠れる場所を捜索する。真っ赤な絨毯が指し示す最奥地に、扉があった。

 危険からより遠ざかろうとする人間の心理を読まれたら終わりだが、今はできる限り遠くに離れることが先決に思えた。


 慌てながら部屋の中に駆け込むと、壁に備わっている大きめのクローゼットを発見した。中学生三人が身を隠すにはもってこいだった。


 俺たちはすし詰め状態のまま、しばらくそこで息を潜めることにした。瞳を堅く閉じて、唇を引き締め、呼吸音を漏らさないよう努めた。


「ねえ、これは夢なの?」

 オニギリが、心ここにあらずという感じでぼやいた。


「夢じゃないよ、現にアイツは包丁を持ってた。間違いなく俺たちを殺そうとしてた」


「だから言ったじゃないか! なんでこんなことになってるんだよっ!」


「オニギリくんっ、声で見つかっちゃうよ!」

 仕方なく俺がオニギリの口を無理矢理押さえ込む。


「とにかく、今はここに隠れていよう。アイツがうろついてるかも知れない。今この部屋を出ても良いこと無いよ」


「そうだね、うん。タツヒロくんの言う通りだと思う」


「全然良くないよ……あぁぁぁぁ」

 オニギリが押し殺した声で嘆いたときだった。


 ――――足音。


 こっち側に少しずつ近づいてきている。


 人差し指を立てて沈黙を促した。こくこくと了承する二人。

 扉がゆっくり軋む。


 しまった――俺は内心で声を上げた。扉をきちんと閉めていなかった。これではこの部屋に隠れていることを教えているようなものだ。


 身体中の血液が冷たくなっていく。冷や汗がだらだらと流れ落ちる。

 足音が、部屋の中へと入り込んできた。


 ドクン――ドクンと指の先まで心臓の音が響く。唾を飲み込むこともできず、クローゼットの隙間から見開いた瞳で覗く。暗闇に目が慣れてきたせいか、男の後ろ姿を確認できた。コートのようなものを着ていて、全身真っ黒だった。


 額に濡れた前髪を貼り付けたまま、時間が過ぎるのをただ待つ。


 ――ガシャン。


 突然、男が調度品を破壊し始めた。

 俺たちのことを探している。

 クローゼットの中で、俺たちはびくりと身を竦ませる。もうこれ以上は精神的に限界が近い。それに、この部屋から安全に抜け出る未来が俺には見えなかった。


 すべてを投げ出して、タイムリープしたい欲望に駆られる。人っ子一人居ないはずの館の中で一夏の青春を謳歌するだけのつもりだったのに、どうしてこんなことに。


 男が、クローゼットに近づいてくる。


「…………ッ!!」


 古びた木板をきいきいさせながら、もうすぐそこまで。

 どうしよう。逃げ場がない

 ――終わりだ。


 クローゼットの扉が、開く。


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