※14


 カズトのライトに照らされて、古びた館の一角が視界に入った。

 暗黒の世界で唯一光り輝く三日月をバックに、真っ黒なシルエットが映し出される。囲むように庭があって、それらは金属製の扉と柵で囲われていた。

 まるで吸血鬼でも住んでいそうな洋館だった。禍々しい雰囲気を醸し出していて、途轍もない威圧感を覚える。まるで、建物自体が生きているようだった。


 途端に心臓の高鳴りが早まっていくのを感じる。


「お、おおっ……なんだよ、めっちゃ雰囲気あるじゃん」


 どうやらそれはカズトも同じだったようで、狼狽しながらもそのスリルを楽しんでいた。


「こ、こんなの絶対にヤバいよ……ここに殺し屋がいるんだ!」


「ばかっ――!」

 泣き叫ぶように声を荒げるオニギリの口元を、カズトが無理矢理抑えた。


「………………」


 暗がりの森の中に静けさが戻り――虫たちの鳴き声だけが残った。

 とんでもない緊張感である。


「……ふう。あぶねえー」


「待って! ちょっと待って! ねえ何が危ないの!? ってことはやっぱり居るんでしょ、殺人鬼この中に居るんでしょ!?」


「ピーピーうるせえな黙ってろっつうの。どうせ誰もいねえって。あとそわそわするから叫ぶのは辞めろ」


 俺たちは声を潜めて、各々装備の確認を始めた。

 カズトは金属バットとハンドガンを模したエアガン。俺はカズトから借りた突撃銃型のエアガン。オニギリは駄菓子屋で買ったスリングショット。そして氷柱雪さんは調理用のフライパンと医療セットを持ってきたらしい。


「氷柱雪さん、それお家の奴じゃ……?」

 彼女の持つフライパンを指差しながら訊ねる。


「うん。でも平気だよ。洗って返せば」

 何か汚す予定があるんですか……? 俺は内心で一人突っ込んだ。


「準備はいいな……?」

 カズトが額からたらりと汗を流して、みんなの顔を窺った。


 中学三年生の表情には、困惑の色が見て取れた。そりゃそうだ。大人の俺でさえこのダークな雰囲気に怖じ気づきそうになっているのだから。オニギリに至ってはもう小さく息をするだけで何も喋ろうとしなかった。俺の腕をぎゅっと掴んで話さない。お前はヒロインか。


「氷柱雪さんは……平気? 怖くない?」


「う、うん……実はちょっとだけ怖いんけど、オニギリくんを守れるように頑張るね!」


「氷柱雪さん……」

 瞳を潤ませて頬を染めるオニギリと逞しい氷柱雪さん。殴ってやろうかこのオニギリ頭。


「何かあったらこんな奴吹っ飛ばして、俺にしがみついて来て良いからね」


「そんな、オニギリくんが可哀想だよ!」


「そうだそうだ!」


「オニギリは黙れ」


「なーんか緊張感に欠けるな、お前等の会話。まあいいや。じゃあ、いくぜ……」


 眉を顰めたカズトが腰を浮かせて庭への入り口に手をやる。刺刺しい花のデザインをした錆びた扉は、まるで世界との区切り目のように思えた。


「……開いてる」

 きいい――と扉がゆっくりと揺れる。


「やべえな……マジでなんかいるかもしれねえ」


 扉の隙間からカズトが慎重に身体を滑り込ませ、庭への潜入に成功する。


「どうするよ、急にゾンビ犬が噛みついてきたら」


「そんな、バイオハザードじゃないんだから」


「ま、ゲームよかこっちのほうがよっぽど怖くて面白えけどな」カズトが汗だくのまま笑った。


 二番手の俺に続いて、氷柱雪さんが庭へ入り込む。最後尾のオニギリは扉の金具にシャツを引っかけて泣きべそをかいていた。


 館に反して小さめの庭には、腕や顔面が破壊された石碑がいくつか並んでいた。庭の隅には大型の犬小屋。ゾンビ犬は見当たらない。

 館の入り口扉まで来て、古びた館をライトで照らしてみる。


「ライトなんて付けて! バレたらどうすんのさ!」


「だから大丈夫だって。中には誰も居ないって言ってるじゃん」


 半べそで俺の袖を引っ張るオニギリ。だんだんこいつが姑みたいに思えてきた。

 家の壁は全面黒かと思っていたが、意外にも白かった。地面から生えたツタが白壁に這うようにして屋根まで上っている。こうして見てみると、立派な豪邸であることが窺える。数十年手入れをしていないせいか、綺麗とは言えなかったが。


 辺りを見渡すと、みんな落ち着かない様子で恐怖の館を見上げていた。

 俺は一際大きく豪華な扉の前に立ち、取っ手を掴んでみる。ガチャとドアノブが回った。


「カズト、鍵かかってない」


「よ、よし……、行こう」


 覚悟を決めたのか、カズトは頬をパチンと叩いてこちらに寄ってきた。

 重圧感のある音と共に――扉が開く……。



 暗闇の中から、むわりと湿った空気。夏の夜風に乗って、強烈な異臭が鼻腔を襲う。



 ――こんなに臭かったか……?


 以前館に訪れたときも、全体的にじめじめした印象を受けたのは覚えているし、どの部屋もゴミ収集車が通過した後のような生臭さがあった。

 でも、ここまで強烈だったか? 記憶違いか? 一体何の匂いだ? これ。


「うわっ、くっせ……」

 続くようにカズトも顔を顰めて、その場に倒れ込みそうになる。


「もう無理! 帰ろう! みんな帰ろうよぅ」

 鼻を摘まみながら大泣きを始めるオニギリ。隣の氷柱雪さんも眉を顰めて鼻を押さえていた。


「こりゃあ長居するのは無理かもな……まあ、さーっと中探索して帰ろうぜ」


「本当にこの中に入るつもり?」


「あたりめえだろ。ここまで来たらやり遂げたって達成感が欲しいんだよ、俺たちは」


「勝手にみんなの総意みたいにしないでよ! 僕はそんなものいらないからぁ!」


「オニギリくん、もうちょっとだけ頑張ろう? ね?」

 ぐずるオニギリの頭を、なんと氷柱雪さんが撫でた。


「……つ、氷柱雪さんっ」


「ふふ、いい子いい子。オニギリくんの頭、凄く気持ちいいね。クセになりそう」


「……っ!」


 俺は唇を噛みしめることしかできなかった。このオニギリ……! 氷柱雪さんに気持ちいいとか言わせやがった! クセになりそうとも! 許せん!


 とにもかくにも俺たちは館の中を土足で上がり込んでいく。


「広いな……」カズトが鼻を摘まみながらぼやいた。


 扉を開けると、すぐに小さな洋館のホールに出た。天井付近に設置してある窓からは月明かりが差し込んでいて、広間一帯をミステリアスな雰囲気に染め上げている。


 大きな暖炉が中央に据えられていて、それをぐるりと囲む形で階段が伸び、床には豪勢な金の刺繍入り赤絨毯が敷かれている。


「元豪邸だったのかな?」

 氷柱雪さんが顎に指をやりながら疑問を口にする。


「メイドさんとか居たかもね」

「タツヒロくん、そういう趣味があるの……?」

 氷柱雪さんにジト目で言われた。あれ、なんだろう。ちょっと興奮する。


「僕は止めたからね……何かあったら君たちのせいだからっ」


 俺の背中にくっついたまま恨みがましく唱えるのはオニギリ。頑なに自分がこの一件に関わりが無いことを主張している。


 ホールの中を粗方物色し、得にめぼしいものが無いことを確認する。

 一歩、一歩と進む度にきいきいと軋む木製の床。耐えがたい異臭に全身が覆われ、息をすることの難しさに挫けそうになる。次第に吐き気が伴ってくるが、ぐっと堪える。


 だんだんと身体が恐怖に慣れてきたようで、動きが大胆になってきた。カズトに至ってはハンドサインをやり始め、まるでゲームの主人公にでも浸っているようだった。


 ホールの奥は、より悪臭が強かった。

 こんなところで日常生活を送っていたら脳味噌が腐ってしまう。だけれど勇猛果敢なカズトを先頭に、俺と、俺にしがみついてくるオニギリ。オニギリを宥める氷柱雪さんの陣形で奥へと進んで行く。玄関とは反対方向の暗がりには小さな部屋がいくつもあったが、流石に怖くて開けられなかった。


 廊下は思ったよりも長かった。

 実際はものの数十秒も経っていないはずだったが、数十分にも感じられるほどに。

 道中で氷柱雪さんのことが心配になって目をやると、彼女はオニギリの怯える肩をさすってあげていた。自身も怖いだろうに、なんていう慈愛の心を持った女の子なんだろう。正直凄く羨ましい。オニギリには嫉妬するが、彼も彼で俺たちに巻き込まれた被害者だ。少しくらい大目に見てあげてもいいか。


 途中――足に何かがぶつかった。ライトで照らそうとしたとき、耳を劈く悲鳴が響き渡る。


「うぁぁぁぁ! なんか蹴った! なんか蹴ったよぉ!」


 身体を反らして目玉を丸くさせたオニギリが驚きのあまり泣き崩れる。彼も何やら蹴飛ばしたらしい。ごろりと床の上を何かが転がった。床を伝う感触から、丸みを帯びていることがわかる。ただ、ボールのようにつるつるの曲面というわけでもなさそうだった。途中ごりっ、と引っかかる音がする。

 カズトが慌てて振り返り、ライトで足下を照らした。



 人間の生首だった。


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