※10


 とある放課後、カズトに呼び出された。いつもは「おう、さっさと帰ろうぜ」と爽やかな笑顔を向けてくる彼なのだが、今回に至ってはそうではなかった。


 掃除当番のオニギリは早々に捨て置いて、カズトと二人きりで帰路につく。氷柱雪さんを帰り道に誘いたかったのに、カズトは声をかける隙さえ与えてくれなかった。


「氷柱雪は辞めといたほうが良いと思う」

 馴染みの道なりを半分ほど行ったところで、カズトが唐突に言った。


「……どういうこと?」


「いいから俺の言うこと聞いとけって。とにかく、あいつは良くないんだ」


「なんでだよ」


 憤りを感じていた。もしかしてカズトは、俺にとって一番邪魔な存在になるんじゃないのか……? 直感的にそう思う。しかしカズトは――、


「……理由は……得にないんだが」と自信も無さそうにぼやいた。


「ますますわからないぞ。それってカズトも氷柱雪さんのことが好きってことだよな? だから俺に諦めさせようとしてるんだろ」


「違う! そんなんじゃない……ただ、あいつはなんか……ヤバい気がするんだよ!」


「はあ? お前さっきから何言ってるんだよ、どこぞのブスとおんなじようなこと言いやがって! 氷柱雪さんが俺に多少なりとも好意があるのを知ってるんだろ、だからそうやって貶めようとしてるんだ」


「ちげーよ! 聞けタツヒロ! 俺はな……お前のためにっ」


 一体どんな表情をしていたのだろう。良くわからない。

 目の前で佇むカズトは怯えきっていた。まるで凶悪殺人犯でも目にしたときのような。でも、それは俺が大人だからだろう。大人の怒った顔は総じて怖い。子供からみたら尚更だ。きっと小学生の身体を通して、大人の自分が出てきてしまったんだろう。


「先に帰る」


「……タツヒロ」


「ゴメン、ちょっと言い過ぎたよ。でも、氷柱雪さんを諦めるつもりは無いからね。もしカズトもあの子のことが好きなら、正々堂々勝負しよう」


 感情的になったことを詫びるように、俺はにかっと笑って言った。





 翌日、カズトは学校に来なかった。

 言い過ぎたのかもしれない。でも、少し意外だった。カズトは心身共に強い奴だ。俺から何か言われた程度で折れるような奴だとは思わなかったのだ。


 確かに、タイムリープ前の人生で俺が怒ったことってあまり無いかもしれない。それくらい大人しい生き方をしてきたから。大人の精神が入り込んだことによって、強気な状態になってる俺にきっと驚いたのだろう。


 きっとそうだ。明日になればひょっこり姿を現すだろう。

 さらに翌日。

 やっぱりカズトは学校に来なかった。それどころか、氷柱雪さんまで来なくなってしまった。

 心配になった俺は、担任教師から学校のプリントを届ける仕事を引き受けた。最初は氷柱雪さんの家に行こうと決めていた。カズトは家でゲームでもやっているに違いない。


 先生から教えてもらった住所を頼りに、俺は氷柱雪家に到着した。

 緊張する。意中の人の家を前にしては大人も子供も関係無い。もし親御さんが出てきた場合どうすればいいんだ。


 あたふたとしていると、扉が開いた。

「あら、カナタちゃんのお友達?」


「あ、はい。栗ヶ山と申します。学校からプリントを届けにやって参りました。氷柱雪さんのご様子はいかがですか?」


 言い終わってから気が付いた。全然子供の反応じゃない。社会人であったことが裏目に出た。大人との対面はどうしてか律儀な仮面を付けてしまうのだ。


「ふふ、なあにあなた。サラリーマンみたいな子ね。いいわ、お入りなさい」


 どうにか誤魔化すことができた。それにしても、目の前の女性は氷柱雪さんの母親だろうか? 顔は似ているようで、似ていない。


 一つ閃く。美人は美人として生まれる。あっ――これ座右の銘にしよう。


「お邪魔します」

 玄関でベリベリっ、とマジックテープの運動靴を脱いでから家に上がる。外観からは感じなかったが、結構狭い家だった。高鳴る心臓を抑えてリビングへと向かう。


「お茶とコーヒーとオレンジジュースがあるけど、何飲む?」


「……あっ、じゃあコーヒーでお願いします」


 氷柱雪さんのお母様らしき人物は俺の発言に驚いていたようだが、結局ブラックコーヒーを持ってきてくれた。


 どう話を切り出そうか悩みながらカップを一口――げっ、にがっ。あれか、身体が子供になってるから子供舌になってるってことか。なるほど、良く出来てる。いやそうじゃなくて。

 これでは背伸びしてるただの小学生じゃないか。でも、今の状況なら寧ろそれは好都合か。


「カナタちゃんねえ、お部屋から出てこなくって」

 口火を切ってくれた。


「風邪ですか?」


「ええ。看病してあげたいのに部屋に鍵をかけてしまってね。中に入れてくれないのよ」


 何処と無く、目の前の女性が匂わす空気が自分の予想しているものと違った。思いきって訊ねてみることにする。


「失礼ですが――氷柱雪さんのお母様ってことでいいんですよね?」


「あらごめんなさい。保護者ではあるけど、母親ではないわね。私は叔母よ」


「ああ、そうなんですか。では……御両親は」


「……カナタちゃんから聞いてない?」


「いえ、得には……」


 氷柱雪さんが転入してきた日のことを思い出した。彼女は何やら思い詰めた顔をしていた。ということは――。


「亡くなったのよ。丁度二年前に」


「そう……だったんですか」


 これ以上の話は止めておこうと思い立った矢先――氷柱雪叔母が唇を噛みしめて拳を握った。


「あの子は……お父さんとお母さんを同時に失ったの。学校帰り、きっとお友達と遊んだ帰り道だったんでしょうね。お夕飯の準備をして待ってるはずのお家に帰ったら、自分の両親が包丁で胸を何度も刺されている場面に立ち会ってしまったのよ」


 悲痛にも似た震え声だった。叔母の言葉は止まらない。


「犯人にもほんの少し良心があったんでしょう。子供のカナタちゃんを殺すことなく乱暴に突き飛ばして、そのまま逃げ去って行ったの。カナタちゃんはあまりのショックに涙さえ流せなかったらしいわ。そのせいで……カナタちゃんからは笑顔が消えてしまったの」


「…………氷柱雪さんは笑ってますよ」


「それは無理をしているだけ。あの子は……心から笑うことが出来ない子になってしまった」


 氷柱雪叔母はそのまま天井を見上げ、少し冷静さを取り戻した。


「で、カナタちゃんの母親の姉に当たる私が親代わりってわけ。ウチは子供もできなかったから。ほら、カナタちゃん美人さんだし。可愛いお洋服とか着せてあげたかったのよ」


 無理に口角を上げようとしているのがわかる。まだ二年しか経っていないのだから、当然だ。


「余計なこと言ってしまったかしら。なんだかあなたって大人っぽいから。……つい話しちゃった」


「いえ、知れて良かったです。このこと、誰にも言ったりしませんから」


「なんとなくそう言ってくれる気がしたの。ふふ、不思議ね。カナタちゃんと同い年とは思えないわ」


「まだ未成年ですよ」俺が冗談交じりに言うと、氷柱雪叔母は声を上げて笑った。


「でも嬉しいわ。カナタちゃんのお友達がこうして遊びにやって来てくれるなんて。もしかして……ボーイフレンドなのかしら?」


「はい、そうです」


「あら、本当?」


「はい、僕は氷柱雪さんのボーイフレンドです」


 重要なことだから二回言った。異議を唱える者はこの場には誰一人として居ない。


「うふふ、そうなんだ。でもダメよ。どんなに可愛い顔してたって、カナタちゃんはあげませんからね」


 ダメだった。どうすれば保護者の許可をもらえるだろうか。菓子折持ってくれば良かった。


「ちょっと変わったところはあるかもしれないけど、これからもカナタちゃんをよろしくね。えっと……栗ヶ山……何くんだっけ?」


「タツヒロです」


「格好いい名前ね」

 氷柱雪叔母はにっこりと微笑んで、席を立ち上がった。


「せっかく来てもらったんだし、顔を合わせて欲しいところなんだけど……カナタちゃん本当に出てこなくってねえ。……悪いけど、今日はそっとしておいてもらえる? そのうち学校にも戻れると思うから」


「いえ、大丈夫です。今日はもう帰ります。本当にプリント渡しに来ただけなので」


「そうなの? じゃあもし私が居なかったらどうするつもりだったのかしら」


「氷柱雪さんと二人っきりになれます」


「あーら、これは将来大した男になるかもしれないわね」


 氷柱雪叔母は上品に笑いながら、帰り支度をする俺を玄関まで送ってくれた。ふと飾り棚に立て掛けられていた写真立てに目が移る。


「……旦那さんですか?」


 氷柱雪さんと氷柱雪叔母の他、もう一人長身の男性が家の前で笑っていた。とても温かそうな家庭だった。


「ええそうね。頼りなさそうな顔だけど、お医者様なのよ。もうすぐお腹を空かせて帰ってくるわ。タツヒロくんも早く帰ってあげなさい。親御さんが心配してるわよ」


「そうですね、では。氷柱雪さんによろしくとお伝え下さい」


「ふふ、最後までサラリーマンごっこを辞めなかったわね。いつボロが出るのか楽しみだったのに」


 氷柱雪叔母は楽しそうに呟きながら手を振ってくれた。


 氷柱雪さんの壮絶な過去を知ってしまった。だけど、氷柱雪さんへの想いは変わらない。


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