※8


 将来の夢、というテーマで道徳の授業中に書いた作文らしい。稚拙な平仮名の羅列を見ていると、この文章の奥深くに潜む何かを見落としそうになる。成績優秀だと聞いていたが、国語力がえらく貧弱に感じる。こんなものだったろうか、自分のときも。まあそんなことはこの際どうでもよかった。内容について思いを馳せる。


 氷柱雪少女は、動物が好きなのだろうか。作文の内容は終始動物についてのことを語っていた。たくさん遊びたいと素直な欲求を主張している。それは特に気にならない。ありふれた子供らしい作文だ。問題はその後。動物園の飼育委員か獣医になりたいと明言した後、唐突に虫はもう飽きましたという文章がやってくる。これ以降、怪しげな言い回しが増えていき、人間とはあんまり遊びたくない。言うことを聞かないので嫌いだと訴えている。そして最終的にはお嫁さんになって、豪邸と犬を飼って暮らすのが夢らしい。


 全体的に妙な雰囲気を纏った作文である。

 頭をがりがりと掻きむしりながら、対面の少女に目をやる。プリントに夢中らしく、鉛筆の動きと共に美しい黒髪がさらさらと揺れる。


 氷柱雪少女はプリントに書かれている内容について、いくつか質問してきた。そうくると思っていた。子供がわからないような難しい言葉をあえて入れていた部分もある。これで氷柱雪少女と自然にコミュニケーションが取れる。


 できる限り朗らか、ときには冗談を交えて――私は少しでも彼女の緊張を解いてあげることに能力を使った。


 やがて鉛筆が机に置かれ、「書き終わりました」と少女の声が聞こえた。

 氷柱雪少女がプリントをこちらに差し出してくる。私はそれを受け取ってから、食い入るようにして目を通した。


 それは、十七種類の質問に対する答えだった。

 答えは三択、『はい』『たぶん』『いいえ』だ。



 Q1 あなたは口が上手で、他人から見て魅力的だと思いますか? 『たぶん』

 Q2 自己中心的で、プライドが高いほうだと思いますか? 『たぶん』

 Q3 退屈しやすく、また刺激的なことが好きですか? 『はい』

 Q4 良く嘘をつきますか? 『はい』

 Q5 ずるい考えをしたり、だれかを操ろうと思ったりしますか? 『たぶん』

 Q6 悪いことをしたとき、後悔したり反省しないことのほうが多いですか? 『たぶん』

 Q7 自分の感情が乏しいと思いますか? 『たぶん』

 Q8 人に共感することができず、周りに馴染めていないと思いますか? 『たぶん』

 Q9 他人に頼って生きていきたいと思いますか? 『たぶん』

 Q10 自分のことをコントロールできないときがありますか? 『たぶん』

 Q11 欲望を抑えることが苦手ですか? 『たぶん』

 Q12 凄くえっちなことがしたいと、常日頃考えますか? 『いいえ』

 Q13 現実的な計画をもとに行動することができないと思いますか? 『いいえ』

 Q14 突然何かしたいこと、やりたいことを行ったりすることがありますか? 『はい』

 Q15 ルールがあるのを知っていて、平気で破ったりできますか? 『たぶん』

 Q16 過去に警察のお世話になったことがありますか? 『はい』

 Q17 小さなときから、何か問題行動を起こしたことはありますか? 『いいえ』



 大分表現を柔らかく変更し、いくつかの問いを削っているが、これらは精神病質(サイコパス)チェックリストという。有名な犯罪心理学の研究者が開発した臨床診断方法である。


 始めに言っておこう。

 私は氷柱雪少女が先天的な『サイコパス』なのではないかと疑っている。


 サイコパスとは――人間が多少なりとも持っているはずの『良心』。そのすべてが欠如した人間たちのことを言う。

 一般に広く知れ渡るようになったのは、メディア作品やフィクション作品の影響が大きい。それらの世界では、彼等は天性の悪役になることが多い。生き物を殺すことになんの感情も沸かず、ゲーム感覚で大虐殺を楽しんだり、血を浴びながら大笑いをするような連中が頭に思い浮かぶはずだ。


 だが、決してそういう連中だけがサイコパスというわけではない。一貫してサイコパスという存在は魅力的で、嘘がとんでもなく上手い。だから社会の荒波に溶け込んでしまうのだ。


 一介の刑事に過ぎない私が、このチェックリストを用いて氷柱雪少女を診断する権利など一つも無い。そもそも、このチェックリストは自分自身やそばにいる人に使ってはならないとされている。この診断はしっかり訓練を受けて、団体に登録された心理学者か精神科医にやってもらわなければならないのだ。


 運用方法がそもそもわからないし、『あなたは良く嘘をつきますか?』なんて当人に書かせてなんになるというのか。嘘つきであるなら、すべての答えに嘘を書かれたらそれまでだ。おそらく、ある程度の信頼関係を獲得した心理学者や精神科医が、対面に座って質問を投げかけ、医師のほうで判断するためのチェックリストなのだろう。


 だから、このプリントにはなんの意味も無い。お偉い犯罪心理学者の作成した臨床診断とは似て非なる物だ。ただの紙くず。遊びのようなアンケート。その程度のものだ。

 となると、これを作った自分はどうかしている。Q16に関しては、自分が補導したばかりなのだから、答えは『はい』になるに決まってる。とんでもないインチキである。


 本来なら二十問まで存在し、満点は40点満点だ。内、子供のサイコパス傾向については基準は確立していないようだが、27点でサイコパスと認定されるらしい。

 氷柱雪少女の結果は統計で18点。つまり、それに従うと彼女はサイコパスではないということになる。そもそも不要だと思った問題を取り除いているし、用途をはき違えて運用しているのだから、それ以前の問題ではあるが……。


 たった今自分が行っていることは、精神医学に対する冒涜かもしれない。

 だが、調べなければ気が済まなかった。整合性や正確さよりも、私は目の前に存在する不確かな真実を、己の目と鼻で気が済むまで確かめたいと思ったのだ。

 私は鉛筆とプリントを机の端っこに置いてから、氷柱雪少女の真っ黒な瞳を見つめる。


「最後に、絵を描いてもらおうと思ってるんだ。上手い下手は関係無いから、思うまま気楽にやってほしい。出来るだけ丁寧に書いてくれると嬉しいな」


 鞄からB5判の白ケント紙と、HBの鉛筆を二本、それから消しゴムを取りだした。


「使える道具はこれだけ。時間制限は無いから、ゆっくり書いてほしい」


 そして、告げる。


「では……、木を一本書いて下さい」


 氷柱雪少女はこちらを見つめてきた。途端、反射的に身体が反応する。まったくもって情けない。自分はこんなに小さな女の子に怯えているらしい。

 どういった木を描いたら良いのかわからないのだろう。質問が幾つか投げられる。

「どんな木?」「何本?」「何処に生えてるの?」だいたいそんなところだった。


「君が思ったように、好きに描いてくれていいよ」

 そう付け加えると、それからは特に何か質問してくるでもなく、黙々と作業に没頭した。


 私は彼女の機微を見逃すまいと、注意深く観察することにした。

 氷柱雪少女は縦向きに渡したはずの用紙を横に置き換えてから、鉛筆を突き立てた。


 これは、検査者である私に対する無意識の反抗を示している。現在の自分の状況に何かしらの不満を感じていて、自分を外界に合わせるのでは無く、外界が自分に従うべきであると考えている可能性が高い。したがって、自己中心的な性格であったり、順応性を欠いていたり空想世界に逃避しやすい性格であると言える。


 初めこそ緊張していたようだったが、描画中の彼女は楽しんでいるようだった。目の前に座る私のことなど忘れてしまっているようで、真っ白だった用紙をあっと言う間に黒く染め上げていく。


 消しゴムの使用が認められているこのバウムテストで、一度の修正をすることなく書き上げる人物は稀であると言われる。


 そして、氷柱雪少女はその稀な人材であるらしかった。


「できました」

 満足そうにしながら、用紙をこちらに渡してくる。



 絶句。

 私の視界に入り込んできたソレは、木ではなかった。


 用紙いっぱいに大きく描かれたソレは、強い筆圧で短く雑なぎざぎざのラインが引かれていた。幹の根元は切断されていて、地面を表しているであろう地表から少しだけ浮かんでいる。全体的に稚拙な出来であり、遠近法なども一切使われていない。幹の幅は狭かったり、広かったりと一定を保っておらず、まるで絞られた雑巾のように捻られながら右へ左へ揺れ動いている。樹幹の天辺――茂みの修飾はくるくると乱雑に描かれ、樹冠は重力で押し潰されたように平らだった。見ているだけで、心を不安にさせるようなイラストだった。


 これだけでも相当怪異的な印象を受けるのに、この絵が特別異常だと感じるのは別の部分にある。


 木から鋭く尖った枝が、地面の上で転がっている生き物を刺し殺しているのだ。ウサギ、鳥、猫などの愛らしい動物たちの身体を無残に貫通し、そのまま地中深くまで向かっていた。


 自己像を表すとされるこのテストで、地面というのは被験者の直接的な環境を示している。そこに花を摘む少女が共に描かれているのであれば、意識的に、もしくは無意識的にそういった出来事に深い思い入れがある傾向が強いということだ。

 私は動転した頭のまま、用紙をただ見つめていた。


 小難しい用語の並ぶ心理学の本と格闘しながら得た知識など無くとも、この絵が異常だということは誰にだってわかるはずだ。


 次に、私はその大きさに注目した。

 一般的に幼い子供ほど用紙からはみ出る木を描くことが多い。成年になると、用紙に収まるように描くのが普通なのだ。木のサイズは被験者の環境との関係を示している。つまり、用紙いっぱいに描かれた大きなサイズの木は、氷柱雪少女がなんらかの自己拡張や攻撃性を表しているということになる。


 そして、強い筆圧で描かれたぎざぎざのラインは精神的エネルギー水準を表しているとされる。強く描かれていれば、興奮しやすく衝動的な敵意を持っていて、反対に筆圧が弱ければ不安や恐怖、抑鬱感などを示すことが多いのだ。


 木の根元が切断されているのは、現実が自分の力を十分に発揮させないことに対しての不満や敵意の現れだ。また、地面から物理的に浮かんでいるのは無意識への処理の困難さを示している。


 幹の太さは感情機能の働きを表していたはずだ。しかし、氷柱雪少女の描いた幹は太さが一定を保っていなかった。太くなったり細くなったりを繰り返し、全体的に上部と下部が両極するように広く描かれていた。


 上部が広くなっているものは理性よりも感情的な行動に走りやすく、また、自我の崩壊を表していることもある。下部が広くなっている場合は無意識の欲求に感情を支配されていることや、理解力の鈍さを表しているのだと思う。


 この描木画の中で一際恐怖を感じる鋭く尖った枝は、抑制できない心の内を表していて、空想毎に左右されやすく現実無視をしたり、物事に夢中になると周囲が見えなくなってしまうことを示唆している。それらは生き物を貫通して地中深くに突き刺さっているが、地中は無意識を表し、外界と自己の状態を客観的に認識できず区別が出来ていない場合が多い。


 一見すると、社会に対して何かしらの不満を持っているように感じられる。生き物を殺すことにせっかく楽しみを見いだしているのに、世間がそれをさせまいとしている、という風に。ただたんに突然訊ねてきた私に不満を持ってるだけかもしれないが。テスト開始時に用紙を横にされたことを思い出す。


 この心理テストにおいて、一つのサインだけからの解釈は適切ではない。崇高な心理学者であっても、人の心のすべてを理解することはできない。人間はもっと多面的で奥深い存在なのだ。


 だからこうして様々なサインを比べて、総合した全体的な解釈が必要となる。それが、少しでも被験者の心理を理解する礎になるのだ。

 そんな偉そうなことを言っていても、この心理テストが心理学的に証明された結果をもたらすことは無いだろう。これは単なる私の好奇心と自己満足に過ぎない。作文の内容や心理テストの結果がどうであろうと、目の前の少女が犯罪者というわけではない。


 私は内心を悟られないよう貼り付けた笑みで、氷柱雪少女に質問することにした。


「……どうしてこの木を描こうと思ったのかな」


「わかりません」


「これを描いてるとき、他に何か違うこと考えたりしたかい?」


「昔飼っていたネコを思い出しました」


「……死んじゃった?」


「死にました」


「じゃあ、地面で寝ている動物たちは、昔みんな君が飼っていた子たち?」


「違います。そこら辺にいる子たちです」


「どうして……こんなことを?」


「絵の中ならいいと思って」


「じゃあ、普段はこんなこと考えない?」


「考えません」

 氷柱雪少女はきっぱりと言い張った。


「……わかった。じゃあ最後、この絵の出来に満足してる? 随分と楽しそうに描いていたけど、好きな部分と嫌いな部分……描きにくかった部分とかはあるかな」


「枝を動物に刺すときが一番面白かったです。難しかったのは、全然、普通の木っぽくならなかったところかな」


「なるほど、わかったよ」

 私は二度ほど頷き、小さな椅子から立ち上がった。


「今日はご協力ありがとう。これはほんのささやかなお礼だよ」


 鞄の横に置いておいた小さな箱を、彼女に手渡す。


「ケーキ、好きかい? 実は美味しいお店を知っていてね。お家に帰ったら食べると良い」


 中身は子供なら誰もが好きなショートケーキ。きっと、彼女だって好きなはずだ。



 目の前の少女はそれを受け取ると、天使のような微笑みでにっこり笑った。



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