※7


 ひぐらしが忙しなく鳴くとある日、珍しく俺はカズトと二人きりだった。そして、彼は突然こんなことを言い出した。


「タツヒロ、お前氷柱雪のこと変だって思わないか」


「……変? なんでさ」


「いや……なんとなくだよ。お前は……ハッピーラビットパーク委員会で一緒だろ?」


 それを聞いて、忘れようとしていた記憶が掘り起こされた。『ユキちゃん』の件だ。直接言ってはこなかったが、カズトは間接的にウサギ虐待事件のことを尋ねているのだろう。


「……俺に聞かれたってわからないよ。なんだよ、まさか氷柱雪さんのことを疑ってるのか? だったらそれは思い違いだよ。本当に氷柱雪さんはただ運が悪かっただけだと思う。なんたって、俺が第二の発見者だからね」


「お前がそう言うならそうなんだろうけど……でもさ、やっぱりおかしくねえか? どうしてあんな何匹も骨折するウサギが出てくるんだよ。学校はもう犯人探すの諦めてるみたいだけど、絶対いるだろ。ウサギ虐待してる奴」


「だから、なんでそれが氷柱雪さんだと思うんだよ」

 少し苛つきながら言ってしまった。


 カズトの瞳が、少しだけ潤んでいるように見えた。

「……あいつさ、なんか怖いんだよ」言いにくそうにしながら、「良い人って感じがしない」


 まるで恐ろしい肉食動物を前にして、動けずにいるウサギのようだった。自信家のカズトにしては意外な反応に思えた。


「良い人って……そんな子供みたいな」


「まだ子供だろ」


「あ、ああ……そうだった。でも、カズトが人を怖いと思うなんて意外だね。オニギリならまだしも。あいつは氷柱雪さんのこと絶対好きだと思うけど。良く一人で格好付けてるし」


 オニギリは、何かと氷柱雪さんの前でキメる。髪の毛も無いのに前髪をふわっと払ったり、隙あらば奥二重の瞼を二重にしてはアピールをしているのだ。氷柱雪さんの眼中には入ってないようだが。


「うーん……なんだろう。俺も良くわからねえんだけどさ、なんか気味が悪いんだよなあ」


 カズトは俺の表情を窺いながら、「……実は一つ有力な噂があってさ」と人差し指を立てた。


「ほら、俺のとーちゃんの友達にOBの警察がいるっていったろ? 実は昨日久しぶりにウチに来てさ、そこで聞いた話なんだけど……」


 勿体ぶるようにカズトは周囲に誰もいないことを確認して、声を忍ばせる。


「夜中に一人で家を抜け出して、補導されたんだってさ」


「氷柱雪さんが? 嘘でしょ」


「いや嘘じゃないって。昨日聞いたから多分一昨日の話だぜ。俺らと遊んだ帰りに、あいつは夜出歩いてるってわけだ。ほら、二日間学校休んでるだろ。そのへんなんか関係あるんじゃね?」


 確かに、氷柱雪さんは最近学校を休んでいる。しかしカズトの言うことが本当だと言うなら、夜出歩いてなんのつもりなのだろう。


 一人で悩み込んでいると、カズトが眉を顰めて顔を近づけた。


「……なんかお前さ、俺に隠しごとしてねえか?」


 タイムリープをしていることか。それともユキちゃんの件か。瞬時にその二つが浮かんだが、俺は「してないよ」と笑った。



 * * *



 改装されたばかりの真新しい校舎を懐かしみながら、私は校庭に足を踏み入れた。


「随分と綺麗になったんだな」


 赤いネクタイを多少緩めながら黒色のシャツをぱたぱたと扇ぐ。今年は暑すぎる。年々真夏日が酷くなっている気がする。

 生徒が利用する下駄箱からではなく職員用の扉を開けて、客人用のスリッパに履き替える。ぱすんぱすんと床を叩きながら、職員室への扉をノックした。


「失礼します」


 扉をスライドさせると、冷風がじっとりと汗ばんだシャツの隙間に入り込んだ。同時にコーヒーの匂い。あまりの懐かしさに思わず笑みを浮かべてしまった。キビキビと格好良くしたかったところなのだが。


 キョロキョロと辺りを見回していると、その姿にすぐ反応した教師がいた。シャツの胸ポケットから汗の匂いがこびりついた警察手帳を取りだし、記章と身分証明を提示する。


「刑事課の鬼頭(オニガシラ)ケイイチです。このたびは取り次いで頂きありがとうございます」


「おおっ~、鬼頭くん! 待ってたよ!」


 すっかり頭髪が後退してしまったらしい竹中先生が、嬉しそうに表情を緩めて肩を叩いてきた。私がここの生徒だったときの恩師だ。三、四年生のときの担任だったか。


「はっー、こんなに立派になって~、先生は嬉しいよ」


「いえ、私も会えて嬉しいです。竹中先生」


「警察なんて格好良いねえ。あっ、ちょっと待っててね。今吉永先生を呼んでくるから」


 竹中先生は興奮した様子で席を立ち上がり、職員室の奥へと引っ込んでいった。やがて私の元へ訪れたのは、中年の女性だった。


「久しぶり、鬼頭くん。大きくなったわね」


「御無沙汰しています、吉永先生」


「あら、髭なんて生やしちゃって、いい男になったじゃない」


「そんなことありませんよ。それより先生、今日のことは……」


「わかってるわ。あくまでもこの学校のOBとして、案内させてもらうわね」


 職員室を出て、私は吉永先生に付いて行った。生徒たちのいる第二校舎へと渡っていく。


「その後、彼女の様子はどうですか」


「何も? 確かに少し変わった子かもしれないけれど、鬼頭くんが気にするほど問題のある子ってわけじゃないのよ。あまり主張の強い子じゃないけど成績優秀でスポーツ万能。絵に描いたような美人のせいか、女の子の友達は少ないみたいだけどね。……ホント、幾つになっても女社会って怖いわね」


「先生も女性でしょう」


「もう、忘れることにしてるんだからあんまり言わないでよ。……はあ、ここで仕事をしてる限りは独身でしょうね。それとも、鬼頭くんがもらってくださるのかしら」


「はは、ご冗談を」


「まあそれは置いておくとしても夜中の補導は今回が初めてだし、彼女も凄く反省してるみたいだから。元気の良い男の子たちのほうが問題多いくらい」


 チラリと私のほうを見ながら、吉永先生は言った。


「僕は良い生徒だったでしょう。あの連中の中でも」


 先生は楽しそうに微笑みながら、「さあ、どうかしらね」と目尻に皺を作った。


「まあ彼女のことをそれほど重要視しているわけではないんですが」

 後頭部に手をやって、冗談ぽく笑う。


「ふふ、そんなのわかってるわよ。終わったら呼んでちょうだい。もう一回顔見たいし、どうせならどこかで一杯やりましょうよ。今日はお休みなんでしょう?」


「まさか先生から晩酌のお誘いがくるなんて思わなかったな」


「もう大人でしょ。大きくなった生徒の面倒を見るのも、教師の役目よ」

 そう言いながら、吉永先生は真っ白な扉をからからとスライドさせる。


 夕日の差し込む教室には、一人の生徒が居残っていた。こちらを興味深そうに見つめている。


「一応こういうの持ち出すのって禁止されてるから、後でちゃんと返してね」

 吉永先生は胸に抱えていたクリアファイルを手渡してくれた。


「わかってます。すいません、ありがとうございます」


 軽く頭を下げて、「じゃあ、終わったら呼んでね」と遠ざかっていく先生の背中を確認すると、私は教室の中央へと進んだ。


 子供用の小さな机が向かい合うようにつけられていた。私は空いているほうの椅子を引き、目の前の少女をじっと見つめた。


 枝毛一つ無い真っ直ぐな黒髪が、夕色の光を浴び、透けてさえ見える。マシュマロのように白い肌は柔らかそうで、特徴的な大きく黒い瞳は生まれたての子猫のように丸っこかった。美少女というのは、きっとこういう子のことを言うのだろう。十数年もすれば、途轍もない魅力的な美人になるのは間違いない。


「こんにちは」


「……こんにちは」


 少し警戒されているかもしれない。訝しげな目を向けられている。私は出来るだけ緩やかな表情を作りながら、切り出した。


「鬼頭と言います。今日は、氷柱雪さんにちょっとしたテストやアンケートを受けてもらいたいなと思って来ました」


「…………テスト?」


 目の前の少女が愛らしく小首を傾げた。とても子供らしい反応だった。

 手提げ鞄の中から一枚の紙と筆記用具を取りだして、机の上に広げる。


「まずはここに書いてある質問に、嘘をつかず素直な気持ちで答えて欲しい」


 昨夜作ったプリントだった。彼女はそれを不思議そうに摘まんで、私のほうを窺った。


「ゆっくりでいいからね。終わったら呼んでくれ」


 私は和やかに笑いながらそう言って、先ほど先生に渡されたクリアファイルから一枚の原稿用紙を取りだした。


 それは、氷柱雪少女の書いた作文だった。




 ――大きくなったら、いろんな、いろんな、どうぶつさんと、たくさんあそんでみたいです。だから、わたしはどうぶつえんの人かどうぶつのおいしゃさんになりたいなと思いました。


 そうしたら、いろんな、どうぶつとたくさんあそべると思ったからです。虫はもうあきました。でも、人間とはあんまりあそびたくないです。だって、うるさく言うからです。そういうのは、あんまりすきじゃないです。言うことを聞かないのはきらいです。でもすきなところもあります。だからたまによくわかんないです。


 だから、きっといっしょにいつまでもすきかってにあそぶために、わたしはしょうらいおよめさんになって、大きなおうちとわんちゃんをかって、あそぶんです。じゆうにいろんなどうぶつとあそびたいなあ。おわり。



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