※6


 飼育小屋への出入りは、委員会の人間以外は禁止されていた。子供たちが生き物に乱暴することを覚えてしまえば、将来とんでもない大人になってしまうかもしれない。苦肉の策のようで、教師たちも随分と頭を悩ませていたようだった。


 そんな不可解なウサギ虐待事件の中でも、俺は仕事を全うした。ウサギより氷柱雪さんにハートを奪われていた時間のほうが長かったかもしれないが。


 俺はいつものようにウサギ小屋へと向かい、ウサギたちを遊ばせるための小さな運動場へとやってきた。


 一人の女の子がこちらに背中を向けている。


「……氷柱雪さん?」

 声をかける。


「タツヒロくん」


 氷柱雪さんの悲しそうな表情が視界に入った。彼女は膝を抱えたまま、ぐったりと寝転ぶウサギを見下ろしていた。


「何、してるの……?」

 妙な違和感がその場に蔓延っていた。言葉にできない。


「ユキちゃん、死んじゃった」


 俺たちが担当しているメスウサギだ。腕白な性格でこの前まで氷柱雪さんと一緒に運動場を駆け回っていた。でも、今ではぐったりしていて見る影もない。


「え……どうして? 氷柱雪さんが来たらもう倒れてたの?」


「ううん、ユキちゃんと遊ぼうと思って小屋から出したら突然動かなくなって……それで」


 きらきらと涙を流す氷柱雪さんに、俺は引きつった笑みを返した。



 声をかけるまで――氷柱雪さんは無表情だった。



 ただただじいっと、横たわる死体を見つめていたのだ。その綺麗な黒の瞳で。

 見間違いかと思ったが、そうじゃない。自分でも何を考えているんだと思う。目の前の少女は明らかに悲しんでいるのに。だから、今思いついたことはきっと俺の勝手な想像に過ぎない。


『氷柱雪さんは、俺の顔を見てから事前に準備をしていたように悲しんだ』


 ああ、なんということだろう。俺は彼女のそんな表情を少しだけ気味悪く思ってしまった。


 ユキちゃんは氷柱雪さんが一番可愛がっていたウサギだった。だから彼女はこんなにも涙を流している。それが酷く自分の胸に突き刺さってくる。


「と、とりあえず先生を呼ぼう」


 冷や汗でびっしょり張り付くシャツを渇かしながら、そう提案した。当然職員室に向かうものだと思っていた。しかし、「わたしたちだけで埋めてあげようよ」と氷柱雪さんは反対した。


「俺たちだけで……?」


「だってユキちゃんわたしに一番懐いていたから。他の人にされるのは嫌だと思う。ずっと今までお世話してあげてたんだし、そうしてあげればきっと感謝される気がする。そのほうがどっちも幸せだよね」


「…………か、感謝?」


 正直、氷柱雪さんが何を言っているのか、全然理解出来なかった。


 氷柱雪さんは、ぐったりしたウサギをまるで物でも拾い上げるように持ち上げて、近くの穴に放り投げると、立て掛けてあったスコップに手を伸ばす。


 ざくりと土山に獲物を差し込み、手馴れた動作でユキちゃんに土を振りかけていく。美しい白が、薄汚く染まっていく。


「つ、氷柱雪さんっ、ちょっと――ちょっと待って!」はっとして氷柱雪さんに声をかける。


「い、今……ユキちゃん動かなかった……?」


 土がユキちゃんの体に叩きつけられた瞬間、後ろ足がピクリと動いたのだ。だらだらと汗が流れ始める。


「動いてないよ? 何言ってるの、もう死んでるんだよ。ユキちゃんは」


「…………いや、でもさっ」


「早く埋めてあげないとユキちゃんも辛いだけだよ。ほら、タツヒロくんも手伝って」


 氷柱雪さんは構わず土をかけ続けた。作業中、彼女がユキちゃんへ向ける視線は生き物というよりは物に近かった。


「…………」


 俺は、反射的に自分に命じた。疑うな。変に思うな。別におかしいことじゃない。

 ウサギは急死したし、氷柱雪さんはそれを可哀想だと慈愛の心で埋めてやっただけだ。彼女が殺した証拠など、何もない。俺はモヤモヤした思考のまま――やがてユキちゃんは死んでいたんだと思い込むようになっていた。


 ここで、俺はあることを思い出した。タイムリープ前の――俺がまだ本当の小学生だったとき、ウサギが何匹か行方不明になった事件があったのだ。そのときは外部の人間による仕業だということで片付いていた。



 犯人が見つかったという話は、聞いていない。





 やたらと視線を感じる。

 本日の授業がすべて終了し、帰り支度をしているときだった。俺は手を止めて、声をかけられたほうに目をやった。そこには気の強そうな二人の女子と温海さんが立っていた。


「ちょっと栗ヶ山、話があるんだけど」

 団子っ鼻の女子が偉そうに声を張った。


「何?」

 なんとなく読めたけど、とりあえず質問しておく。


「栗ヶ山くん、えっと……その、あの、あのねっ」

 温海さんが耳の端まで真っ赤に染め上げながら、健気に想いを伝えようとしていた。


 ――告白かな。

 冷静にそう分析した。本当の小学生だったら気が付かないかも知れない。小学生男子って恋愛とかそんなことよりゲームとか鬼ごっこが好きだから。


 これでも一応雄なので、特定の異性に好意を寄せられるということ自体に悪い気はしない。


「……俺のことが好きなの?」


「……えっ……そ、その……あのっ」


 顔をトマトのようにさせて、温海さんはあたふたした。

 あまりにわかりやくて、うぶな彼女のことを少しだけ可愛いと思った。もちろんそれは異性としての興味では無いが。きっと大半の男性がこういう女の子にときめいたりするのだろう。だが、そんなもので俺の気持ちは絶対に動かない。


「でもゴメンね。俺、好きな人がいるんだ」


 しばらく空気が静まる。


「…………氷柱雪さん?」


「うん」俺がそう答えようとしたときだった――「タツヒロくんっ」とウキウキした声で教室に入ってきたのは氷柱雪さん。


 やたらと上機嫌の彼女は、そのまま俺の腕にしがみつくと「一緒に帰ろっ」と笑った。


 その瞬間、温海さんは見る見るうちに瞳を潤ませて、その場に泣き崩れてしまった。


 途端に周囲の女子たちが駆けつけて、これでもかというくらいに俺を批難した。でも、他にどうしろというのか。俺の信念が揺らぐことは絶対無い。それだったら早い内に芽を摘み取ってあげたほうが、温海さんも無駄に想いを馳せることもないだろう。


 数日前の氷柱雪さんのことを思い出した。

 もしかして、彼女がユキちゃんに感じていた思いはこれと同じだったんじゃないか?

 彼女の考えに少しだけ近づけたことが、俺は嬉しかった。





「おいおいタツヒロー、温海のこと泣かせたんだって? ひっでーことするよな、お前も」

 帰り道、カズトが面白がって肩を小突いてきた。


「そういうつもりじゃなかったんだけどね、勝手に泣いちゃったんだよ」


「いやいや、でもタッツーは酷いよ。サイテーだよ。……ぼ、僕だったら……もっと、もっと優しくするのになあ!」

 恋バナに興奮したオニギリが、鼻息を荒げながら言った。


「だとしても、オニギリのところに女子なんて一人も来ねーよ」


「ちょっと! そんなことないんですけど? 勝手に決めつけられるのは納得いかないんですけど? テキトーに言うの辞めてよ!」


「ほぉー、じゃあ言ってみろよ。何組の誰さんに言い寄られたっていうんですかあ!?」


「ご、五組の……里中よし子さんだよ!」


「里中よし子! ふざけんな誰だよソレ! テキトー言ってんのお前だろ!」


「う、うるさいなあ……! 黙れってばぁ!」


 二人がいつものようにいがみ合っている中で、俺はぴたりと足を止めた。


「あ? おいタツヒロ、どうしたんだよ」


「……氷柱雪さんだ」


 道の先に、赤いランドセルを担いだ氷柱雪さんの後ろ姿が見えた。

 俺の心は驚くほど簡単に浮ついていた。

 この前のウサギの件で、妙な疑念を抱くようになってしまったが、やはり氷柱雪さんは氷柱雪さんだ。美しく可憐で、俺の求める理想像には変わりない。


「お前……やたらと氷柱雪と話したがるよな。もしかして――」


 カズトが訝しげな表情のまま、睨み付けてくる。


「好きだよ」


 俺は包み隠さず告白した。

 この場にいる連中は俺以外ただの小学生なのだ。緊張もクソも無い。


「……マジかよ」


 唖然とした表情でカズトがぼやく。その隣で、オニギリがこの世の終わりだとでも言いたげな顔をしていたのが気になった。なんだよ、みんな狙ってたのかよ。ていうかオニギリこっちみんな。


「話しかけてくる!」二人を置き去りにして、俺は元気よく駆け出した。

 その小さな肩をポンと叩き、好きな人向けの笑顔を作る。


「氷柱雪さん、これから暇?」


「え? どうして?」


「俺たちこれから遊ぶんだけど、氷柱雪さんも良かったら、どう?」


 氷柱雪さんは男子に絶対的人気があったが、女子からの評判はイマイチだった。良くも悪くも異性からの注目を集めすぎていたせいだろう。加えて六年生での転校。既に出来上がってるコミュニティに適応するのはそう簡単なことじゃない。なら、そこは俺が助けてあげれば良い。


 氷柱雪さんは嬉しそうに微笑んで、こくりと頭を縦に振った。





 それから、俺たちは四人で一緒に遊んだ。好奇心旺盛でリーダーポジションのカズトと、小さな虫にさえ大声を上げる臆病で気弱な性格のオニギリ。紅一点にして俺の理想の人――氷柱雪さん。そして二十五歳にして小学生二週目の俺。


 いつも三人で根城にしていた無人倉庫の秘密基地に氷柱雪さんを招いて、さっそく自作のカードゲームで遊び始めた。コピー用紙を長方形に切って、直筆で攻撃力や防御力、特殊効果を書き連ねた子供ならではの遊びだ。


 氷柱雪さんは慣れない男子の遊びに少なからず戸惑っていたようだが、彼女の適応能力の高さは尋常じゃなかった。一度説明しただけで独特のルールを一発で記憶し、応用的なテクニックや未だ俺たちが気が付かなかった戦法まで披露したのだ。そのときの彼女の印象的なセリフは、「えい、死ねっ」。小鳥のさえずりのような声で、冗談めかしに発言する氷柱雪さんがなんとも可愛らしくて、俺は感動した。


 時間はあっと言う間に過ぎていき、いつの間にか蝉の鳴く季節になっていた。

 以降、俺たちは四人で一緒に行動することが多くなった。タイムリープ前の世界での交友関係なんてカズトやオニギリがほとんどだったが、そこに氷柱雪さんが加わったことで、俺は過去を改変しているのだということを再認識した。


 その頃には小学生の身体にもだいぶ慣れ始めていて、寧ろ成人男性の身体で日常生活を送っていたときの感覚を思い出せずにいた。

 一度きりの人生を二度も体験するなんて非日常を、俺は単純に喜んだ。氷柱雪さんとは仲良しになれるし、授業のレベルも低いせいかテストは満点だし、良いこと尽くしだった。


 ――氷柱雪さんとの結婚式も近いかもしれない。

 俺はそんなことを考えながら、仕事も無い気楽で楽しい毎日を過ごしているのだった。


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