※3
学校が終わって、放課後になった。
当然だが、俺は上京して以来久しく帰っていない実家に行かなくてはならない。
懐かしい景色を眺めながら、悪友のカズトやオニギリと一緒に家路につく。
自分の夢だというのに、過疎った寂しい山道は良く再現されていた。落書きの施された選挙看板から、どこぞのホームレスの住処まで実に忠実だ。
そんな想い出の一つひとつに歓喜する俺を、カズトとオニギリは訝しんでいた。
「なんかタッツー今日様子おかしくない? どうかしたの」
意外と鋭いオニギリが、怪訝な顔で訊ねてきた。
「今の俺は夢の中の存在だからね」
「何言ってんのタッツー」
「しかし懐かしいなあ、オニギリのこの情けない顔」
昔のように触り心地の良い坊主頭をぺちぺち叩きながら言う。
「……何言ってんの」とされるがまま呆れた視線を送ってくるオニギリ。なんだか面白くなってきて、軽い未来宣告でもしてやろうかと考えた。
「突然だけど今日の俺には未来が見えます。……ああ、見える。見えます。オニギリはね、将来めっちゃ太るよ。だから彼女もずっとできない」
「僕が太るって!? 失礼な! 絶対太らないもん」
「これは確定事項です、未来は絶対に変わらないのです。あっはっは!」
「ちょっとカズト、今日のタッツー絶対変だって」
「まあ、そういう日もあるだろ」と、カズトは適当な相槌を打った。
それからの話題はもっぱら氷柱雪さんについてだった。今まで見てきた女子の中で間違いなく一番綺麗だとか、テレビに出ててもおかしくないとか。どういう男がタイプなのだろうとか、そういったことを。
その言動のすべてが幼稚でくだらなかったけれど、どこか懐かしくて。
そして……やっぱり自分は大人になってしまったんだなと改めて思う。
暖かな春風が、少し長めの前髪を揺らす。
「少年時代っていいよね。なんか、穢れがないっていうか」
「「けがれ……?」」
カズトとオニギリが同じ表情で眉根を寄せる。
「この大切な時間をもっと大事に生きようねってことだよ。もう戻ることなんてできないんだからね」
「……うん、マジでヤバいかもな、タツヒロ」
カズトの呆然顔を無視して、俺はどこまでも広がる大空を見上げた。とても綺麗な夕焼け色だった。
家に辿り着くと、年若い母がいた。こんなに綺麗だったか……? と一瞬戸惑う。夢だから美化されているのだろうか。記憶ってやつはなんて曖昧なんだ。
築三十年のボロい階段を上がって、自室の扉を開けた。懐かしい匂いが鼻腔をつつく。
大量のシール跡が残るベッドボード。若干黄ばんだマットレスの上には、勉強を放ってまで夢中になった携帯ゲーム機や、懐かしの名作マンガが散らかっていた。
部屋の隅に設置されている本棚の裏には、古本屋で購入したちょっとエロいマンガが隠してあるはずだ。微笑ましいくらいに純真な少年部屋である。
しばらく部屋の中を眺めてからベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
それにしても…………一体いつ終わるんだ、この夢は。
氷柱雪さんと同じ委員会になれたのは嬉しい。手を褒められて心の隅まで満たされている。
ただ少しだけ怖かった。この夢……リアルすぎるのだ。こっちの世界が本物で、あっちの披露宴が偽物なんじゃないかと錯覚してしまうくらいだ。でも、俺があっちの世界で歩んできた二十五年の記憶はあるわけで、今の自分を形づくったのは間違いなく俺なのだ。
だとしたらこれは氷柱雪さんの新郎になりたいがための俺の妄想で、だからこそ歴代の記憶オールスターなのだろうと解釈する他無かった。
色々頭を働かせすぎたせいだろうか、だいぶ瞼が重い。
――少しだけ眠ろうか。
そして眠りから醒めたら、きっとこの夢ともおさらばなのだろう。
ちょっと残念だな、そんなことを思いながら、俺はそのまま熟睡した。
――夜。身体を起こしても、夢から醒めなかった。
陰毛も生えていない小学生の身体のままだったし、はっきりと昨日の記憶を保持したままだった。
「…………いや、おかしいって。絶対」
変声期前のソプラノボイスで独り言をぼやきながら、自分を取り巻く今の状況について、ようやく変だと感じるようになっていた。
ものは試しと、とりあえず荒療治でいってみることにした。
頭を自分でぶっ叩く。続いて、壁に自ら頭突きをかます。しかし、いずれもダメージを負うだけで元の披露宴会場へは戻れなかった。代わりに、下の階から母親の怒鳴り声が聞こえた。
「……どうすんだ、これ」
冷や汗がじんわりと浮かんだ。突拍子も無い空想が頭を過ぎる。
――タイムリープ。
壁に貼り付けてあったカレンダーを一瞥する。2003年の4月となっている。
つまり、俺は前の世界(披露宴会場の世界)での記憶を持ったまま――十四年も昔の世界にやってきてしまっているのではないか? そう考えるのが一番辻褄が合う。
まるでSF映画の主人公にでもなった気分だった。
脳内で名作映画、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のテーマソングを再生。あれはタイムリープではなく、タイムスリップだったか。まあ細かいことは気にしない。
過去を改変すれば――氷柱雪さんと結婚できるかもしれないのだから。
翌日から、俺は氷柱雪さんに猛プッシュをかけることにした。
社会に貢献する勤め人が小学生女子に情欲するのもどうかと思うが――ていうか軽く犯罪者認定されそうではあるが。
しかし、今の俺は間違いなく小学六年生の身体に大人の精神が宿っている。ライバルなど居ないに等しい。悪いな、年端もいかぬ少年たちよ。
「氷柱雪さん」
俺は登校して早々彼女の席に駆けよった。今日の服は赤と緑のプリーツスカートに純白のブラウスだった。きょとんとした顔の氷柱雪さんに顔を近づけて、綺麗な瞳にしっかり照準を合わせる。いくつか浮かんだ言葉から一つチョイスする。
「ハッピーラビットパーク委員会、来週からだね。一緒に頑張ろう」
「あっ、栗ヶ山くんだ」
氷柱雪さんは俺が友好的に接してきたのが嬉しかったらしく、柔らかい微笑みを浮かべた。若干返答になってない気がしないでもないが、それでも構わない。可愛ければ。
その表情から、彼女が俺に少なからず好意を持っていることに気が付く。
これでも顔は割と良いほうだ。この時代にそういう言葉は浸透していなかったと思うが、俗に言うイケメンに分類されるのだと思う。まあ控えめな性格が災いしてかおおっぴらにモテることも無かったが。高校生になってからかな、少し社交的になったのは。
「タツヒロでいいよ。あ、タッツーでも良いけど」
「えー……じゃあ、うーんと……タツヒロくんって呼んじゃおうかな、えへへ」
えへへとか可愛すぎかよ。その困った天使のような微笑みを守り続けるナイトになりたい。
きゅんと胸が締め付けられる。だがなんとか平常を装って、続けた。
「……氷柱雪さんって趣味とかあるの?」
「趣味……? 動物を可愛がるのとか、好きだよ。だから飼育委員に入ろうと思ったの。あっ、違った……えっと、ハッピーラビットパーク委員会」
「はは、なんであんな変な名前なんだろうね」
「本当に。笑っちゃうよね、なんかファーストフードのセットメニューみたい」
「……うん、本当に」
「早く委員会活動したいなあ。ウサギの耳をね、いっぱい触りたいの」
「あー、俺も」
「うん。わたしね、中でもチンチラウサギが好きなの。頭が凄く良いんだよ」
「ああやっぱり? 良いよねチンチンちゃん」
「…………チンチラちゃん?」
「…………っ」
おいおいいきなり何ぶちかましてんだよ俺。落ち着けよ俺。これでは俺の第一印象がチンチンになってしまう。氷柱雪さんがこんなに気を遣ってくれているのに、大人の俺がこれでどうするんだ!
シーンとする俺と氷柱雪さんの空間。下ネタの後の凍てつく空気って嫌い。そして、さっそく会話のネタが無くなってしまった。
……実を言うと、俺は恋愛経験皆無だった。
高校を卒業してから氷柱雪さんとは接点が無くなってしまったし、大学進学後は女子から告白を受けることがあっても、そのすべてを断ってきた。
俺の思い人は氷柱雪さんだけだ。彼女と出会ってから今に至るまで――ずっとずっと想い続けてきた。そんな彼女と他の女の子を比べてしまうと、まるで月とすっぽん。女性の顔を最重要ステータスとして見ている俺が、そんな連中と付き合えるわけがないだろう。
俺はどこまでも理想を追い求める人間なのだ。
「タツヒロくんも……ウサギが好きだから委員会に?」
いつまでも黙っている俺に、氷柱雪さんが話を振ってくれる。
「ん? あ、ああ……そうだね」
君が好きだからだよ。と今ここで言ったらどうなるかなと思ったが、それはまだ心の内に留めておくことにした。
「じゃあわたしたち、似たもの同士だね」と氷柱雪さんは愛らしく笑った。
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