室町の優美と江戸の栄光
ネコ エレクトゥス
第1話
ギリシャの優美、ローマの栄光。
僕の大好きなエドガー・アラン・ポーの詩の一節。ギリシャとローマの本質を簡潔に、しかも的確に描き出した優れた詩人の仕事である。そしてこの言葉は他のシチュエーションにもそのまま応用できることに気が付いた。例えば、
「ヨーロッパの優美、アメリカの栄光。」
そして将来的にはこんなことも言われるのかもしれない。
「日本の優美、中国の栄光。」
まあ、言われている側から見るとあんまり嬉しくもない話かもしれないのでここでは話を過去の世界に、芸術の話に移そうと思う。
狩野派なる絵師の集団が勃興してその歩みを頂点へとむけて確実に刻みだした室町時代後期、日本は小国乱立でいわゆる下克上の時代にあった。そこでは約束されていたかのように思われる成功も一瞬のうちに飛び去り、明日の命でさえ思いのままにならない世の中であった。一方ペルシャ戦争に勝利し、あらゆる分野で後の時代までも深い痕跡を残した紀元前五世紀前後の古代ギリシャ。だがその知恵の深さにもかかわらず、対外的にはペルシアの脅威は消えず、内ではアテナイやスパルタを軸とした多数の小国の戦争状態。昨日の勝者が明日の敗者へ。文学や芸術好きの人には運命の、神々の大きな力に流される人間の姿を描いたソフォクレスやエウリピデスのギリシャ悲劇を思い出されるかもしれない。大海に漂う水の泡。人間の知恵の勝利の裏にどこか死の影が漂っている。そんなギリシャ世界で培われていった優美さ。狩野派に生まれた二人の突出した才能の持ち主の一人目で、狩野派の地位を固めた狩野探幽の絵には同様な優美さが見て取れる。狩野派というと豪華絢爛というイメージがあり、それが間違っているわけではないのだが、狩野探幽に関する限り豪華さの裏に触れば溶けるような繊細さが見られる。彼が活躍したのは織田信長時代で乱世が終焉に向かっていく時代であったが、それならば彼の育ったのは乱世の真っただ中であった。
一方で狩野派の生んだもう一人の巨人、狩野永徳の生きたのは徳川による支配制度が完成へと向かう時代、将来の繁栄が約束されている時代であった。確固たるパワー。永劫に続く徳による統治。その同じ力が狩野永徳の絵にも乗り移ったと言いたくなるほどのはちきれんばかりの力の表出。まさに栄光という言葉がぴったり当てはまる。ギリシャに対するローマ。世界の中心であり、後のキリスト教の時代には神によって祝福された帝国。狩野永徳を表現するのにグローリーという単語を使ったとしても美術史家は非難しないのではないだろうか。
しかし芸術家なるものも所詮は時代によって作られるものだからこの二人が時代の色を帯びていたとしても何の不思議もないのだが、彼らに「幽玄を探求する」、「永劫の徳」という名を与えた人たちはここまで画風にマッチした名前をどうやって考えたのだろうか。それとも彼らの名前が彼らにあのような画風を授けたのだろうか。興味は増すばかり。
室町の優美と江戸の栄光 ネコ エレクトゥス @katsumikun
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