14 生まれたての子鹿のように

 全てが終わった頃には、正午を回っていた。

 俺と先輩は、無事に第四王女邸宅を脱出し――――


「……」

「……やりましたね」

「やりましたね!」


 門の前で、二人で喜びを分かち合っていた。


「案の定、あの『媚薬』は姉上にもよく効きました」

「これがあれば夜の問題も解決できるかもしれない! といたく喜んで下さり、作った私としても嬉しかったです」

「定期的な購入も約束してくれましたね。これでそれなりの固定収入が生まれ、生活もそれなりに楽になるでしょう」

「『もし事業を興すときは一声かけてくれ。そうしたら出来る範囲で支援しよう』……とまで。とても頼もしかったです」


 精力的に活動している王族は影響力が大きいのが強みだ。夫の家から資金も引っ張ってこられるし、何より王族というだけで広告塔としての影響力が桁違い。

 姉上が支援して下さるなら、少なくとも先輩が薬屋を開いたとしても失敗することはなくなるだろう。

 俺にはそういう形で手を貸すことはできないから、姉上の存在は非常にラッキーだった。


「そして、何より殿下です! フレデリック殿下がいなければ、ここまで上手くはいきませんでしたよ!」

「いやいや、俺なんてたいしたことはしてませんよ。先輩に才能と、それを活かすための勇気があったからこその今があるんです」


 実際、何の取り柄もない女子生徒が相手なら、俺にはどうすることもできなかっただろう。

 ちゃんと自分なりの武器を持っているラブルラックス先輩だったからこそ、俺も道筋を見つけて用意できたんだ。


「いえ、それでも……ここまで引っ張って下さったのは殿下です。私が目指すべき道もはっきりして――――本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げる先輩。恐縮だな。結局俺は、自分のことしか考えてなかったというのに。

 だけどもうこれ以上、先輩にこちらの都合で頭を下げさせる必要もない。


「さて、これで先輩が下らない企画に関わる必要もなくなりましたね」

「えっ?」

「金策も、未来も見えてきた。これで心置きなく、『人気投票』からの辞退を宣言できるというわけです!」

「えっ、あっ、そ、そうですね」

「好きでもない王子に色目を使う必要もなくなり、公示前ということで家族に改めて説明する手間も省けました。今ならまだ、何事もなかったことにできるんです!」

「……はい。殿下の仰る通りです」


 む、あまり反応が芳しくないな。

 折角解放されるんだから、もっと喜んで良いのに。

 ここまで頑張った俺の苦労も報われないし。

 まあ、どのみち先輩が立候補し続けることはなくなっただろうから、これでラブルラックス先輩の方は一件落着だな。

 あとはマゼロン先輩の方だけ。帰ってから、一体何があったのかアリエルに根掘り葉掘り聞かないとだ。


「では、大噴水の所まではお送りしますね。今日はお疲れ様でした」

「……すみません、何から何まで」

「いえいえ、元はと言えば俺が無理に連行して始まったことですから」


 先輩を馬車に誘導しながら、一つ思い出す。

 そういえば、別れ際に姉上が言ったことに一つ、妙に気になることがあったな。




『それでは姉上。俺はこれで失礼します。伯爵とごゆっくり』


 それはソファにぐったりと横たわる姉上を一瞥してから、俺が応接室を出ようとした時のことだった。

 姉上は遠い目をしたまま、こちらを向かずにぼそりと呟く。


『……お前はつくづく、ああいう人間が好きだねえ』

『?』

『完璧な人間を側に置くのは嫌いかい?』

『ええと、一体何を……?』

『いや、無自覚なら別にいいんだ。単なる姉の興味本位だから』

『はあ……』

『それじゃあね。高校生活は面倒も多いが楽しいことも多い。くれぐれも体に気をつけるんだよ』




 あのとき、姉上は一体何を言おうとしていたんだろうか。

 よく分からないが……まあしかし。元より煙に巻いたような発言を繰り返していた姉上の話だ。

 真面目に取り合う必要もないだろう。



 大噴水近くまで先輩を送り届けた後、俺は屋敷に戻った。

 時刻は昼の二時。そういえば昼食も取ってなかった。

 いい加減アリエルも起きてきただろうし、詳しく話を――――


「お、お帰りなさいませリック様……」

「……」


 玄関に現れて出迎えてくれたアリエルの両足は、子鹿のように震えていた。


「……どうしたんだアリエル。足でも攣ったのか。それともまさか怪我とか……」

「い、いえ。大丈夫です。昨日ちょっと色々あっただけで、仕事に支障は出しませんのでご安心を」

「色々ってなんだよ。そんな無理してるアリエルを見ること自体が支障だわ。はぐらかさずにちゃんと……」

「……『筋肉痛』です! あぐっ!」

「は?」


 話しているうちに立てなくなったのか、アリエルはよたよたと壁に寄りかかる。

 俺は急いで彼女を抱きかかえ、室内の椅子の上に座らせた。


「すみません。主人の手を煩わせるようなことを……」

「それはいいから。で、何があったんだ。一体どうしてそんな酷い筋肉痛を味わう羽目になったんだ」

「発端は昨日です。リック様のところへ向かわないようセラフ=マゼロンを引き留めようとした私は、馬車の中で彼女にトレーニングに誘われました」

「トレーニング?」

「気持ちいい汗を流して親交を深めようとのことでした。私も最近ちょっと運動不足気味でしたし、マゼロンについて探る良い機会だと思って話に乗ったんです」

「なるほど?」

「ところが、待っていたのは歴戦の兵士も震え上がるほどの地獄の特訓だったのです!」


 くわっとアリエルの目が見開く。彼女の息が荒くなる。


「おぞましいほどの重りをぶら下げた狂気的なトレーニングマシーンに閉じ込められ、吐くほど苦しんでもまだ終わらず! 全身がぴくりとも動かなくなってから、ようやく解放されました」


 しまいには、過呼吸気味になっていた。

 一体どんなレベルの追い込みを要求されたらここまでトラウマを抱えるのだろう。


「インドア派の私では、情報を聞き出す余裕すらありませんでした。そもそも高負荷すぎるトレーニングの影響で、何を話したのかもおぼろげで……お役に立てず、誠に、誠に申し訳ありません!」

「い、いや、別にいいよ。昨日はマゼロンを引きつけてくれていただけで十分仕事はしてくれたし……」

「ただ一言……」

「一言?」

「『もし私が選ばれたら、殿下とも一緒に汗を流したいですわ』と言っていたのだけは覚えています。それも、毎日朝夕に二回ずつ!」


 がつんと横っ面を殴られたような気分だった。

 え? 何?

 アリエルが動けなくなるほどの筋トレを、あの人俺にも付き合わせようとしてるの?

 仮にも第七王子であるこの俺に?

 そしてラブルラックス先輩はこの流れだと多分辞退すると思うから――――このままだとマゼロン先輩確定になりかねない?


 とんでもない話だ!

 俺の性格上、波風立てないために、結婚相手の要望はある程度呑んでしまうだろう。

 となると朝夕はともかくとしても毎日の筋トレ地獄からは逃れられまい。

 何が悲しくて毎日生死の境をさまよわなければならないってんだよ!


「マゼロンを候補に残しておけない理由が、もう一つ増えたな」


 頭を抑えて嘆く俺。隣でアリエルも、悲しそうな目をしていた。


「私としても、彼女だけはご勘弁お願いします」

「アリエルがそこまで言うほどか」

「去り際に、『今日は楽しかった。また一緒にやりましょう』と言っていましたが、こんなのはとてもとても……体が……持ちません……」


 さあ、緊急事態だ。

 今まではあくまで目立たないがための候補者外しだったが、今度のはそれと一段違う。

 仮に政略結婚だろうとお断り――――マゼロン先輩は俺にとって、そういう存在になってしまった。

 なんとしてでも候補から引きずり下ろし、俺とアリエルの平穏な日常を守らなければならない。


 ……にしても、なんでマゼロン先輩はこの段階で従者を筋トレ地獄に巻き込むような真似をしたんだろう?

 そんなことをすれば顰蹙ひんしゅくを買うって、想像できなかったのかな?

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