13 勇気の使いどころなら、今しかない!

「……で、先輩。話ってなんですか」

「無理ですよ! 王女様、聞く耳持ってくれそうにないんですけど!」


 まあ……思ったよりも反応が芳しくなかったのは確かだ。

 俺が思っているよりもずっと、姉上はこの件で苦労させられてきたらしい。

 そりゃあなあ、仮にも政略結婚させられた王族だもんなあ。

 いいことか悪いことかはともかくとして、王家の血を引く伯爵家の跡継ぎを生むのが最大の役目だと思われているだろうし、その役割に応えられないのは辛かろう。


「それに、もしかしたらそれ以前の問題かもしれません。色々試した上で駄目だったのだとしたら、もしかしたら私の薬も効かないかも……」


 そして先輩は、そんな姉上の敵対的な態度を前にしてすっかり萎縮してしまっていた。


「もし効き目がなかったら、私たちも詐欺師だと思われてしまうかもしれません。そうなったら私たちだけじゃなく、私たちの家族にまで危害が及ぶんですよ」

「かもしれませんね」

「私は、そんなの嫌です! 大切なお父さん、お母さんに迷惑をかけることになったら、私……」

「俺は、先輩の家庭環境を先輩からの又聞きでしかしりません、が……」


 それでも、俺にだって分かることはある。

 まともな家庭で育ったとは到底言いがたいこの俺にでもだ。


「先輩のご両親を一番悲しませるのは、先輩がここで引き下がることですよ」

「え?」

「言ってたでしょう。ご両親は、先輩がやりたいことをやってくれるのを期待していたって」

「……」

「ここで引き下がったら、自分の作ったものを否定することになりますよ。お父様から学んだ知識で作った、大切な薬のはずでしょう」

「……そ、それは……」

「お父さんの技術を学び、後を継ぐのは、やりたいことじゃないんですか?」

「……わ、私なんて、そんな……お父さんのようにはできませんし……そんな私がお父さんのようになろうとしても、し、失敗するだけですよ! だから別に、そっちの道は志していないんです!」


 最初から思っていたことだが、すこぶる妙な話である。

 あれだけすごいものを作り出せる上に、本人も好きだということについて、どうしてこうも消極的なのか。

 そこで俺は思い至った。

 もしかしたら先輩は、父親のようにできないと思い込んでいるのではなく、『思い込もうとしている』のかもしれない、と。

 父親が失敗した薬学で自分が成功したら、父親を否定することになってしまうかもしれない。だから無自覚に、自分の才能を過小評価している……と。

 だとしたらそれは、馬鹿げた考えだ。


「先輩の夢を叶える、ご両親の夢も叶える。その両方を達成するための最善策は、先輩がここで勇気を振り絞ることです」


 よほどのろくでなしでない限り、子供が自分を超えることを喜ばない親なんていない。

 だったら、先輩がやるべきことははっきりしているはずだ。


「……ですが、私は……」


 しかし、先輩はまだ踏ん切りが付かない様子。やれやれ、参ったな。


「逡巡するのは結構ですが、多分姉上は……先輩がラブルラックスの人間だと気付いていますよ」

「へ?」

「博学な姉上のことですから、帝都内に所領を置く貴族の名前と顔くらいは把握しているでしょう。そして、それぞれの家業とくちょうも」


 俺がそう言うと、先輩の表情が固まった。


「口には出しませんが、反応が良くない理由の一つはそれでしょう。事業に失敗したヤブ薬師の家系かと、うたぐって見ているんですよ」

「っ、ってことは……」

「今引き下がれば、ラブルラックス家の薬がヤブだと王女の前で認めたことになる。第四王女ヴァイオレットは俺なんかよりもよっぽど影響力を持っていますから、すぐに事情が周知されてしまうでしょう。そうなれば、家の再起など夢のまた夢に」


 これはただの脅しだ。いくら姉上といえども、木っ端の子爵の顔なんて覚えていないだろうし、その顔から娘を連想するなんて余計に無理な話だろう。そもそも俺は、連れてきた彼女のことを貴族とも平民とも言っていない。

 分かっている可能性はゼロじゃないが、限りなく低いとみていいだろう。

 もっとも先輩はすっかり信じ込んだようで……愕然とした彼女の顔が、みるみるうちに青ざめていく。


「そ、そんな……」

「逆に言えば、見返すなら今が絶好の機会です。ここでラブルラックス家の家名を背負い、見事王女の信頼を勝ち取ったならばそのときは、先輩を取り巻く環境は大いに改善されるはずです」


 先輩はしばらく黙り込んだ後、信じられないものを見るような目で僕を睨んできた。


「……まさか、罠にかけたんですか!? 私が後に引けなくなるように、わざと博識な王女様の前に私を!」

「まさか。姉上がここまで警戒していたなんて、全くの予想外でしたよ。それに、先輩を罠にかけて俺に何のメリットがあるんですか」


 先輩が、心置きなく候補から降りられるように――――。


「先輩には、幸せになってもらわないと困るんですから」

「ふぇっ」

「?」


 唐突に、先輩が変な声を出した。

 どうしたんだろう。うっかり媚薬にでも触ったのだろうか。


「そ、それは……殿下にとって、重要なことなんですか?」


 それ? ああ、先輩が幸せになることか。そうなってもらわないと先輩が『人気投票』の立候補を取り下げないままだろうから……


「当然です。俺はそのために手を焼いているんですよ」

「……」

「そして、先輩が幸せになるためには、ここで先輩自身が勇気を振り絞らないといけないんです!」


 俺は先輩の両手を、自分の両手で包み込むようにして握りしめた。


「勇気を出して下さい。この一歩は必ず、先輩の糧になりますから」

「……」


 顔を赤くした先輩は、ぷいと俺から目線を逸らして、しばらく黙り込んだ。

 駄目か。やはりちょっと荒療治すぎただろうか。


「……殿下は、どうして私にそこまでしてくれるんですか」

「! それは……」


 先輩に候補者を辞退してもらえれば、『人気投票』が流れるかも知れないから。

 なんて言えるはずもなく。


「私は……殿下に薬を盛ろうとした女ですよ。なのに殿下は、自分の貴重な時間まで使って、ご親族とぶつかってまで、私のために手を焼いて下さいます……私には、その優しさがどこから来るものなのか理解できません」

「優しさ、なんて大層なものとは違いますけどね」


 強いて言うならこれは自分に対しての優しさだろうか。いずれにしても先輩が思うほど綺麗なものじゃないのは確かだ。

 俺にとって、存在感のない平穏無事な生活はかけがえのない大切なもので、それを守るために戦っているだけ。


「でも、大切なものの為なら頑張れるのが人間ですよね」

「……!」

「だから俺は、そのためにいつでも全力です」


 すると先輩は、何か衝撃を受けたかのようにびりびりと固まって、しばらく黙り込むと――――。


「……私にとって……大切なもの……よし!」

「!?」


 何か思うところがあったのか、勢いよく自分の頬を両手で叩いた。


「いきなり何をしているんですか、びっくりするなあ」

「気合入れです! 甘ったれた自分の心に、活を入れてやったんです!」


 そして先輩は、一度は離れた応接室へのドアへと歩みを進めた。


「私にとって大切なものは家族です! そして、ここで真っ向から立ち向かうことで、家族の誇りと、運が良ければ生活を守ることができるなら! 勇気出しますよ、ケイティ=ラブルラックスは!」


 そしてずんずんと進んでいき、ドアに手をかける先輩。

 だが取っ手を引くか引かないかで、またしても先輩の動きは止まる。


「……先輩?」

「だけど、それでも。怖いものは怖い、ので……」


 先輩はおもむろにこちらを振り向くと、淡い笑みを浮かべてこう言った。


「……最後の一押しをいただけませんか、殿下。それがあればきっと、頑張れる気がするんです」

「そういうことでしたら、いくらでも」


 俺は先輩のすぐ後ろに立つと、その背中を軽く叩いた。


「先輩なら大丈夫です。必ず、うちの姉を納得させられます。それは第七王子であるこの俺、フレデリック=アッシュヴァーンが約束しましょう」

「……殿下」

「ですから、やりたいことをやってください。駄目だったときの責任は、こちらできっちり持ちますから」


 あんまりこうやって責任を請け負う立場になるのは好きじゃないんだが――――今回ばかりは話が別だ。

 何せ先輩が作る薬の『薬効』は、この俺が一番よく理解しているのだから。


「ありがとうございます、殿下。殿下は本当に優しい人ですね」


 先輩はそう言って、俺に背を向け、応接室への扉を勢いよく開ける。

 姉上はそこで、退屈そうに俺たちを待ち構えていた。

 こちらを見て、嘲笑うように笑みを浮かべてから、姉上は軽く嘆息する。


「待たせてくれたね……言い訳の準備はできたかな?」

「いいえ、言い訳などするつもりはありません。王女殿下! もう一度、私の話を聞いて下さい!」

「!」

「私の名前はケイティ=ラブルラックス! ラブルラックス家の長女にして、その家督と家業を継ぐ者! 今日は殿下に、『媚薬』の献上をしに参りました!」

「……」


 姉上は一瞬驚いたような表情を見せた後、感心したように頷くと、居住まいを正して手招きした。


「目が変わったね。さっきまでの臆病な様子とは比べ物にならない」


 先輩は手招きに応じて、勇ましくソファに腰掛ける。その後に俺が続く。

 先ほど最初に入ったときと、先輩の態度はまるで違っていた。


「恐れは捨てました。いえ、恐れる必要なんてないと気付いたんです?」

「ふぅん?」

「何故なら私は、あの天才薬師、『ラブルラックス子爵』の娘だから!」

「……ラブルラックス。ああ、あの事業で失敗した……」


 やはり気付いていなかった様子の姉上は、そこで合点がいったかのように手を打った。


「知らない者には意味がないし、知っている者にとっては負の印象。それを理解してあえてその名前を背負おうとは、剛胆なお嬢さんだ」


 そして姉上は、子供の様にくすくすと笑う。一体何がおかしいのか知らないが、先輩に興味を持ったのは間違いなさそうだ。


「でも、そういう顔をしてくれたら、少しは私も聞く気になれる。それで? 何を紹介してくれるって?」



 この後、いくつかの会話を交わした後、実演ということで姉上がくだんの『媚薬』を体験し――――

 屋敷中に、妖艶な嬌声が響き渡った。



 その後の結果はといえば――――

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