11 これは『王子命令』ですよ!
俺が不敵ににやりと笑うと、先輩は不思議そうに首をかしげた。
「……殿下?」
「ひとつ提案があります。明日は土曜日、学校が始まってから初めての休日で、時間は十分に取れるはず。午前中、俺に時間をいただけませんか?」
「ど、どういうことでしょう」
「先輩が俺に身を売るようなことをしなくても、借金を返せる『手立て』があるんです」
そのために使えるかどうか確かめるために、これだけ身を張ったんだ。
そして、十分に使えることも把握できた。
「……一体それは……」
「それは、明日のお楽しみということで。明日の朝八時に、帝都北の大噴水の前で集合でお願いします。あ、先ほどの『媚薬』も忘れずに」
「え、えっと……」
「これは『王子命令』です。必ず従うように。いいですね?」
「……は、はいっ! な、なんだか分かりませんが、分かりました……」
先輩は、頭に疑問符を浮かべながらも、それを飲み込むように頷いた。
俺は満足して、先輩の頭を思わずぽんぽんと撫でる。
「はい、よろしい」
「……!」
やってから『あっ、これは迂闊だったな』と冷静になった。年上の女性に対して、普通に失礼だ。
媚薬の影響がまだ残ってるのかな。それとも単純に考えすぎで頭が回らなくなってきてるのか。
いずれにせよ詰めが甘くなってるのは確かなので、ちょっと気持ちを引き締めた方が良さそうだ。
「……おほん。では、今日はご足労かけましたね。実家の方までお送りします。ヘンリー!」
咳払いしてから、ヘンリーを呼ぶ。やさぐれ執事は五分ほど経ってからよたよた現れた。
「へえ、なんでしょうか殿下――――いえ、色ボケサボリ魔フレデリック殿下」
「主人が弱み見せるとすぐにそういうこと言うよなお前。……先輩を送るのに、馬車を使いたいんだけど」
「ああ、馬車なら今日アリエルが乗っていきましたから、こっちには戻ってきてないですぜ」
なんだと。でもまあ、流れを考えるとそうなるか。
つまりアリエルが帰ってくるまでは馬車を使えないってことで……地味に面倒なことになってんな。
というか、アリエルが帰ってきたらまた色々言われそうだぞ。
なんで学校に来なかったかとか、折角お膳立てしたのに捕まってんじゃないとか、色々お小言を言われそうだ。
ああ、頭が痛い。
「すみません、先輩。あともう少しだけ待ってください」
「い、いえ。大丈夫ですよ、私は別に……今日はちょっと、帰りづらいですしね」
無断欠席してしまった負い目からだろうか。本当に悪いことをしてしまった。
「なんなら、俺も一緒に行って事情を説明しましょうか」
「いえ、大丈夫です。殿下が来たら、きっと『人気投票』の話をしなくてはならなくなりますから」
「……もしかして、家族に話さずに立候補してたんですか」
「お、お恥ずかしながら……」
そうだったのか。
娘が金のためだけに望まぬ相手と結婚しようなんて話、まともな親なら受け入れるはずがないと思っていたが、そういうことなら合点がいく。
親にも黙って、自信もないのにこんなことをしようとするなんて、ラブルラックス先輩は本当に追い詰められていたんだな。
「今黙っていても、いずれはバレることですよ」
「そ、そうなんですが……」
「もっとも、明日の用事が上手くいけば、もう先輩が下らないことに時間を使う必要はなくなります」
「え?」
「そうすれば、立候補を取り下げて、全部なかったことにできますね。まだ公示されていませんから、いくらでも取り返しが付きます」
「……そ、そうですね。もし必要がなくなれば、ですが……」
なくなってもらわないと困る。まだマゼロン先輩のことも残っているんだ。
明日の時点でラブルラックス先輩の件を片付けられないと、一週間以内に二人の問題を解決する道筋が立たなくなってしまう。
「そうなるように頑張りますよ……と」
遠くの方から、蹄鉄の軽やかな音が聞こえてきた。
どうやらアリエルが馬車に乗って帰ってきたらしい。
戦々恐々としながら、迎えに出る。
「お帰りアリエル、今日は色々と悪いことを――――」
馬車からのっそり降りてきたアリエルの表情を見て、俺は思わず絶句する。
彼女の表情は、まるで死人か何かのように血の気が引いていて、目に生気が全く感じられなかったのだ。
「……アリエル?」
「すみません、今日は疲れたので、早めにお休みさせていただきます……」
よたよたと、俺の横を通り過ぎていくアリエル。
屋敷のドアに手をかけたあたりで振り向いて、こちらを強く睨み付けた。
「……ああ、リック様……」
「な、なんだよアリエル」
「『あの』女にはくれぐれもお気をつけ下さい。あれは……危険です。要注意人物です」
「あの女? 一体誰の話を……」
「セラフ=マゼロンです! あの化け物!」
「!?」
「……とにかく、私は今日はもう寝ます。詳しい話はまた明日、起きてからさせていただきますので……」
「おい、ちょっと待て! マゼロン先輩が一体なんだったんだ!? おい!?」
不穏な言葉を残したまま、アリエルはそそくさと部屋に戻ってしまった。
そういえば、馬車で学校に行ったって事は、アリエルはマゼロン先輩と二人きりで狭い空間にいたことになる。
そのときに何かされた? あるいは、何かよからぬことを吹き込まれたのか?
いずれにせよあの狼狽ぶりは尋常ではない。
落ち着きあるアリエルがあそこまで取り乱すなんて、マゼロン先輩は一体何者なんだ……?
「あ、あの、何かあったんでしょうか?」
「!」
気がつくと、心配そうな表情でこちらを伺うラブルラックス先輩の姿が側にあった。
「さっき奥の方に向かっていった生徒さん、殿下のお手伝いさんですよね? 随分顔を青くしてましたけど……」
「ええ、まあ、多分。ちょっと気分が悪かっただけかと……」
ラブルラックス先輩には話さない方がいいだろう。
アリエルがどういう理由でマゼロン先輩に戦慄していたのかは分からないし、後々ややこしくなる可能性がある。
ラブルラックス先輩はしばらく考え込むような顔をしてから、おもむろにポケットに手を突っ込んだ。
「良ければこれ、使います?」
スッと取り出される青色の缶。一体いくつ持ち歩いてるんだ。
「媚薬なら今は要りませんよ」
突っ返そうとしたら、ラブルラックス先輩は心外そうに眉をひそめた。
「違いますよ!? 元気をつけるための丸薬です! 一粒飲むだけで、徹夜明けでもシャッキリできる優れものなんですよ!」
「それはそれで何か危なそうな気がしますが……これも先輩が?」
「はい! こちらのレシピはお父さんのものをそのまま真似ただけなので、私がやったのは調合くらいですが」
それでも、先輩が作ったことに変わりはない。
善意で差し出してくれたのなら、無碍にするのも良くないな。
「……では、いくつかいただいてもいいですか? あれでも優秀なメイドで、壊れてもらったら困るので」
「はい、分かりました! ではお手々を出してください」
言われるがままに両手を出すと、先輩は缶を数回振った。
指の爪ほどの丸薬が数粒、俺の手の上でコロコロ踊る。
「ありがとうございます、先輩。大切に使わせていただきます」
「……そ、そんな大層にしてもらうほどのものではないですよ~……あはは。でも、殿下のお役に立てたなら嬉しいです!」
朗らかに笑う先輩。うん、誰にしても言えることだが、思い詰めた表情で言い寄られるよりもこうやって笑っている姿を見られた方が俺はいいな。
「じゃ、馬車も空きましたので送りますよ。そして明日の八時に」
「噴水前ですね。分かりました! では明日も……よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。それでは、ごきげんよう」
「ごきげんよう、殿下!」
馬車に乗った先輩の姿が見えなくなるまで、俺は門の外から動かなかった。
さて、アリエルの容態も気になるところだが、彼女が明日話すと言っているのだし、それは後からでいいだろう。
目下は明日の『手立て』の方。これが上手くいくかどうかで、今後の流れは大きく変わる。
もっとも、あの『媚薬』の利きを見る限り心配は要らないと思うけど。
そして、次の日――――土曜日の朝。
出発の時刻になっても、アリエルは部屋から出てこなかった。
今日は休みの日だから寝坊も愛嬌とはいえ、一体何をされたらそこまでずたずたになるというんだ。
おかげで夕食・朝食と、ヘンリーが作るまずい粥を食べる羽目になってしまった。
「殿下、そろそろ出発しないと間に合いませんぜ」
「おっとそうだな。では行ってくる」
遅刻したら何も始まらない。アリエルのことは気になるが、帰ってから話を聞くとしよう。
ちなみに、いつも馬車を運転しているのは、護衛のゴードンだ。
無口だが多芸で、少ない人数で回しているうちの屋敷の縁の下の力持ちである。
いや本当、頭数ほど少ないものの、うちの従者たちは能力は皆優秀だ。
絶対に手放したくないけれど、こんなところよりもっと良い働き口が絶対あるだろうとも思う。
主人としては複雑なものだ。
「ではゴードン、八時までに大噴水の前に着くように、適当に頼んだ」
御者台に座ったゴードンは、黙って頷く。
木訥だが信頼できる男だ。彼が頷いた以上、時間には必ず間に合うだろう。
そして、予定より一〇分ほど早く到着した俺は、そこにラブルラックス先輩がいるのを見つけた。
帝都北側の繁華街に近いこともあって、ここ大噴水は待ち合わせによく使われる場所だ。
そのため人の目も多く、直接目の前に乗り付けたらちょっとした騒ぎになってしまう……ので少し離れた場所に馬車を停めさせて、そこから歩いて大噴水に向かう。
平服を着た俺は、見た目には一般庶民と何も変わらない。
当然騒ぎになることもないというわけだ。
「お待たせしました、先輩」
「お、おはようございます、殿下。それでえっと……」
先輩は、周囲をちらちら伺いながら顔を覆っている。
あ、カップルが多いからそういう意味合いの呼びつけだと思われたのかな。
単に先輩の家から近いランドマークを適当に指定しただけだったんだが。
ちょっと場所の選択を間違えたかも知れない。
「……では、馬車の方にご案内します」
先輩の手を引いて、馬車に連れ込み、ゴードンに命じて出発する。
そしてさらに一〇分ほど山手の方に走ってから、俺たちは大きな御殿の前に辿り着いた。
俺が普段暮らしている簡素な屋敷の三倍は大きい。
「こ、ここってあの……えっと」
「はい。
「ですよね!? ど、どうしてここに……」
「ご存じかどうかは知りませんが、
「へ?」
「その理由は、姉上の方がどうも不感症気味であるということにあるらしいのです。そこで」
「ま、まさか……」
「例の媚薬は、ちゃんと持ってきていますね?」
震える手で、鞄から昨日の媚薬を取り出す先輩。
「これから先輩には、その薬のマーケティングをしてもらいます。
「あっ、あわわ……そんな私の薬を、王女様に!?」
よほど驚きだったのか、先輩はくらくら頭を抑えてその場でよろめいた。
……先に伝えてあげた方が良かったかな。でも伝えてたら、きっと尻込みしてただろうからな。
「無理です! 絶対無理ですって! 王女様に使ってもし失敗したら、大変なことになりますからあ!」
「大丈夫ですよ。半分血が同じ俺にあれだけ効いたんですから、姉上にも必ず効きますって!」
「そういう問題じゃなく、王女様に媚薬を渡すという行為がもう……不敬で捕まりそうなんですけど!?」
「それを気にするならまず、俺に盛ろうとしたことを気にしましょうか」
徹底的に格を落としている成果が出ているといえばそうだが、俺に対してと他の王族に対する一般庶民の態度が違いすぎる。
「結局盛らなかったじゃないですか!」
「だからといって、盛ろうとしたことが消えるわけじゃないんです! さあ、ここがふんばりどころですよ!」
そして嫌がる先輩を無理やり引っ張って、俺は屋敷の門戸を叩いた。
ノンアポだけどまあ、第四王女――――ヴァイオレット姉上なら許してくれるだろう。
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