10 用法・容量にはご注意を!

「どうして媚薬なんて仕込んだんですか。理解が追いつかないんですけど」


 未だ困惑が醒めないまま、俺は恐る恐るラブルラックス先輩に聞く。

 先輩は顔を真っ赤にしたまま、うつむき半分で呟いた。


「……そっ、そのまま、ですっ……私は、女性としての魅力に、欠けるところが、ありますから、せめて、媚薬を、盛って……」

「盛って?」

「既成事実を、作ろうかと……」

「あの場で盛ってどうするんですか! 先生もマゼロン先輩もいたんですよ!? それとも効果が出るまで時間がかかるんですか?」

「い、いえその……即効性です」

「本当にどうする気だったんですか!? 効果にもよりますけど、弱めなら俺がただその場でムラムラするだけだし、効き過ぎたらその場で俺が犯罪者になるだけじゃないですか!」

「……ハッ」

「なんで今気付いたような顔をしてるんですか……」


 心配した俺が馬鹿だった。

 まさかそんな考えなしな行動の元に練られた計画だっただなんて。

 この人本当に学芸院生なのかな。

 いくらなんでも明後日を向きすぎてて本気で言ってるのか不安になる。

 一応確かめておこうか……。


「ちなみに今、その薬出せます?」

「えっ?」

「本当に持ってるのか、一応確かめさせてください」

「た、確かめるって……使っちゃ駄目ですよ!? この薬は本当に、とってもよく効くんですから!」

「俺に使おうとした先輩がよくそういうこと言えますね。実物を見てからでないと、本当に媚薬だったという確証が得られないじゃないですか」

「そ、それはそうかもしれませんけど……」


 あの反応からして、嘘ではないんだろうけど。万が一に虚言だった時のことを考えたら、一応実物くらいは確認しておきたい。


「こっちは、もし毒薬を塗られていたらと考えて気が気じゃないんですよ。悪いことをした自覚があるなら、早く出してください」

「……っ」


 ラブルラックス先輩はしばし逡巡してから、ためらうように鞄を漁り、手のひらサイズの丸缶を取り出した。


「これが……その『媚薬』です」


 蓋を開けると、中に入っていたのは乳白色の膏薬。


「ど、どうぞ、つまらないものですがお納めください……」

「いや、別に俺が使おうってわけじゃないですけど」


 見た目は、よくある普通の軟膏に見える。

 匂いは……なんだこれは、花?


「えっと、嗅がない方がいいですよ。匂いにも若干の薬効があるので」

「……おっと」


 言われて、すぐに手元から離す。

 今のところこれといった効能はない……が。


「先輩。これって、どのくらい効くものですか?」

「使う量にもよりますが、もしこぶし大の量をすり込めば、一時間は足腰が立たなくなります」

「待ってください。それはもはや毒薬と言って差し支えないのでは」

「て、適量を守れば問題ありませんから!」


 だが、本当にそれだけ効き目があるとしたら……。


「……すみません。使おうってわけじゃないと言った手前なんなんですが……ちょっと塗ってみてもいいですか?」

「へっ!?」


 俺がそう言うと、先輩はばっと自分の体を庇うように手を組んだ。


「だ、駄目ですよっ! 閨ならまだしも、こんな往来で! それに、心の準備も出来ていませんし……」

「いや、先輩に使うなんてことしませんよ」

「え? では誰に……」

「俺自身に塗って、本当に効くのか確かめます」

「どうしてそこまで!?」

「どうしてって、試してみないと本当に媚薬として成立しているか分からないじゃないですか」

「だからって、わざわざ自分を実験台にしなくても! ほ、ほら、毒かもしれませんよ?」

「この流れで毒ってことはないでしょう。今までの反応から先輩が演技できるタイプでないことは明白ですし、何より嘘を言うにしても媚薬というワードチョイスは普通しません」

「せ、せめて私の指導の上で……」


 先輩の抑止を待たず、俺は膏薬を指に取り、右腕をまくってすり込んでみる。


「ああっ、つけすぎですよ! そんなに塗ったら、大変なことに!」

「今のところ、なんともないみたいですが」

「即効性と言っても、塗ってから聞くまでには若干のラグがあるんです!」


 変化は、およそ三十秒ほど後に起こった。


「うっ……うおおおおおおおっっっ!?!?」


 ――――そのときの俺が味わった『快感』は、今でも言葉にすることができない。

 ただ全身を、快楽という名の濁流が埋め尽くして、五感の全てを触覚が支配して、その触覚さえもたったひとつの情報に埋め尽くされてしまうかのような、そんな暴力的な経験だった。

 気持ちいい、と呼ぶべきかどうかは定かではない。辛みが行き過ぎると痛みになるように、香りが行き過ぎると臭みになるように。

 それは快楽といえる上限を陵駕して、未だ言語化できない別の衝動として俺の右腕を襲ったからだ。


 ともかく、それからしばらくははっきりとしない意識の中を、ただ丸太のような快感でタコ殴りにされるような時間が続いて――――いつの間にか意識を失っていて――――





「……ああ、良かった。目が覚めましたね。すみません殿下、まさかこんなことになるなんて……」


 いつの間にか俺は、屋敷のベッドに寝転がっていて、隣には憂いだ表情のラブルラックス先輩が座っていた。


「……俺は……」

「媚薬のつけすぎで倒れてしまったので、私が屋敷まで運んでおきました」

「今、何時ですか?」

「もう十六時です。そろそろ、学芸院の授業が終わって部活のない生徒は帰る頃合いですね」

「! そんなに……しまった、学校が……」

「執事さんにお願いして、今日は風邪で休むという連絡も入れておきましたよ」


 あくまで殿下の分だけで、私はずる休みになってしまいましたけど。そう言って先輩は悲しげに微笑んだ。

 執事ヘンリー経由で先輩の欠席が伝えられると不自然なことになると思って、気を遣ってくれたのだろうか。


「すみません。薬の管理は厳重にしないといけないのに、私が語気に負けて殿下に渡してしまったばかりにこんなことに……」

「い、いえ。それは先輩が謝ることじゃないです。むしろ謝るべきは俺の方ですよ。ちょっと調子に乗ってしまいました」


 迂闊なことをやった。

 俺一人の問題ならともかく、先輩に迷惑をかけてしまったのは事実だ。

 この学校、無断欠席には少々厳しい。

 もし先輩が、成績的に危ないラインを走っているというのなら、その影響は特に甚大だ。


「俺のことを置いていって、学校に行ってくれても良かったのに。俺が朝やらかしたのは、それくらいアホな失敗です」

「だとしても、『私』が作った薬で起きた事故です。私が責任を取らないと……」

「ん?」

「どうしました?」

「今、先輩なんて言いましたか? 私が作った……って聞こえたんですけど」

「そう言いましたよ?」

「先輩のお父様が作ったんじゃなかったんですか? だから迷惑をかけたくないと思って黙っていたのかとばかり」

「ああいえ……お父さんは事業の失敗以来、自分で薬を作るのをやめてしまって……今薬を作っているのは、もっぱら娘の私です」

「だったら、普通に話しても良かったんじゃ」

「ですが、私に薬のいろはを教えてくれたのはお父さんですし、もし私が殿下に危ない薬を使おうとしたことが明らかになったら、間違いなくお父さんにも追及がきます」


 まあ、それもそうか……。い、いやでも、逆に言うと先輩はこれだけ効き目のある薬を自力で作ったってことか!?

 この歳で? それって普通にかなりすごいんじゃ……。


「先輩、本当に勉強できないんですか?」


 俺が訝しむような目線を先輩に投げると、先輩は恥ずかしそうに顔を覆った。


「それはもう……本当に全然、駄目なんです。クラス四十人の中で下から五番に入るくらいには」

「じゃあなんでこんな恐ろしい効き目の薬を作れるんですか」

「人間、好きなことの知識は妙にするする入る事ってありません? 私にとって、薬学がそれだったんです」


 あるんじゃないか、いい夢が。


「それって、立派な特技だし、素敵な夢じゃないですか」

「い、いえ、そういうのではないんです。本当これは、ただの趣味で……お父さんに比べたら、全然出来損ないっていうか……」


 俺はひとつのことにのめり込むことがなかったから、先輩の気持ちは分からない。

 だけど、何かひとつでもそうやって自分の取り柄を見つけられるなら、それはきっと素晴らしいことだと思うし……きっと、誇っていいことのはずだ。


「大丈夫だと思いますよ、先輩」

「へ?」

「たとえこのまま、先輩が落ちこぼれを継続しながらギリギリで学芸院を卒業したとしても、家族の期待を裏切るようなことにはなりません。俺なんかと、無理に恋をしなくても……」


 家族の生活を助けるにしても、夢に向かって走るにしても。


「……先輩の夢は、きっと叶います」

「殿下」

「それは俺が保証しますよ。第七王子お墨付きです。安心してください」

「で、でも……」


 口ごもる先輩をよそに、俺はベッドから這い出る。

 媚薬の効果はもう完全に抜けてしまっていたのか、特に不自由なく立つことができた。


「……まあ、結局金銭問題が解決していないのは事実です。いくらかは知りませんが、いつまでもそういうものに悩まされているのも嫌ですよね。そこで」


 『媚薬』の存在を知ったあたりで、俺にはひとつの思いつきがあった。

 そして『媚薬』を体験したことで、その思いつきを実行に移せそうだと確信した。


「俺にひとつ、提案があります」

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