8 貧乏令嬢の真相

 出発して数分。俺とラブルラックス先輩は屋敷を出発して、馬で学校へ向かっていた。

 今は俺が住んでいる山手を抜けて、麓の田園地帯を通り抜けている。

 畝にずらりと頭を並べた春キャベツの隊列が壮観だ。

 普段は馬車だが、こうやって春の風を感じながら爽やかに馬で駆けるというのも悪くない。

 目立つから、普段はあんまりやらないけれど。


 さて。

 幸いなことに、俺は地味だ。

 王子としてあるまじきことなのかもしれないが、俺と直接関わりのない人間で、俺の顔を覚えている者は殆どいないと言っていいだろう。

 対照的なのが俺の一つ年上にあたる第六王子のセルウィンで、類い希な美貌と強さと勇気で国民から大人気の――――とまあ、そいつの話は今はいいか。

 ともかく、誰も顔を覚えていないおかげで街中を馬で駆ける程度なら、人の噂になったりはしない。一般向けの『人気投票』の公示は候補がある程度揃ってからとの話だから、学校関係者以外は知らないしな。

 学芸院の近くまで来ると生徒の数が増えるから、ごまかしも利かなくなるだろうけど。

 だからこうやって、人気の少ないあたりを進んでいるうちに決着をつけないといけない。

 そしてここに来て問題が一つ――――


「あっ、ああっ、待って下さい!」

「……」

「すみません、この子、私の言うことを……あわわっ!」

「先輩、大丈夫ですか? もしかして、慣れてないんじゃ」

「……ご、ごめんなさい。えっと、その、大昔に数回、乗ったくらいでっ、実は、お馬さん、乗り慣れて、なくてっ!」


 ラブルラックス先輩は、馬に振り回されあっちへこっちへふらふらしていた。

 俺は馬に乗る意味がないくらいゆっくり進んでいるが、それでも先輩はついていくのがやっとの様子。

 大人しい馬なのにあんなに暴れるなんて珍しい。

 彼女の家は事業に失敗して以来ずっと貧乏貴族だとか言ってたな。

 大昔に乗ったっきりというのは、やはり貧乏の影響なのだろうか。


「大丈夫ですか、先輩。すみません、俺が馬に乗ろうだなんて言い出さなければ」

「いっ、いえっ、大丈夫です! 殿下がお望みのことであれば、私もっ、嬉しいですから!」

「今日は日を改めましょうか? 今からなら、屋敷に戻って馬車を手配できます。先輩を馬車で送り届けて……」

「いえ、大丈夫です! せ、折角殿下が誘ってくれたこの機会、ふいにするわけにはいきません!」


 ちっ。ここで引き下がってくれると楽だったんだが。まあそう簡単にいく相手なら苦労もないわな。


「今日ここまでは、歩いてきたんですか?」

「……はい! 朝四時に起きて屋敷の前まで!」


 気合入れすぎだろ。


「ただ一緒に登校するためだけに、よくそこまで努力を払えましたね」

「……え、えっと、本気、ですから! 殿下を射止めるためには、それくらいの努力はして当然です!」


 たとえ俺が乗り気であっても、その努力に意味があったかははなはだ謎なところだが……


「努力家なんですね、先輩は」

「い、いえそういうわけではなく! た、ただ、こんなちんちくりんな外見ですので、殿方に気に入っていただくには、これくらいのことは最低限……」

「……」

「勉強も、運動も、得意ではありません。だからその、頑張る以外に、周りとの差を詰める方法がなくって……」


 ラブルラックス先輩の外見は、別に悪い方ではないと思う。

 むしろ、顔に限れば十分に美人と胸を張っていいものがある。

 低身長でスレンダーなのは、まあ、人を選ぶかもしれないが……そういうのが好きって人だって間違いなくいるだろう。

 それなのに自分を卑下するというのは、まあ、アレか。単に自信がないんだな。


「……相手のマゼロンさんは、私と違って優秀で、勉強もできて、スタイルも良くて……スポーツでは学芸院の代表として何度も賞を取っているすごい人です」

「ああ、らしいですね。詳しくは知りませんが」

「あの人がライバルだって分かったら、もう一瞬たりとも油断できる暇はないなって思って……それなのに昨日、昨日は、えっと……すみませんでした……」


 学年が違うラブルラックス先輩の頭に入っている程度には有名人なのか、あの人。

 外部生が多い高等部の空気はまだ掴めないものがあるな。

 俺が黙って聞いていると、ラブルラックス先輩ははっとして口をふさごうとして、手綱から手を離して振り落とされそうになり、這々の体でしがみついてからぺこぺここちらに頭を下げた。


「す、すみません! 殿下に対して愚痴ばっかり言うような形になってしまって……」


 大人しいタイプかと思っていたら、意外と動きが忙しないというか、見ていて楽しいタイプだな、この人。


「いえ、別にいいですよ。人の愚痴を聞くのは嫌いじゃないです。明け透けにものを言ってもらえるというのは、自分が信頼されているということの証でもありますから」


 もっとも今回の場合、信頼というより単にガードが緩いだけだと思うけど。

 今までの短い会話で信頼を寄せられていたらそっちの方がびっくりだしな。

 実際、俺にそう言われた先輩はちょっと困ったような苦笑いを浮かべた。


「……あ、あはは。フォローありがとうございます……」

「それにもし、今後も関わりを持ち続けるのであれば、お互いのことを深く知っておく必要があります」

「そ、そうですね。それは本当に、その通りというかなんというか……」

「だから、こちらからも一つ質問をさせてもらいますね」

「え?」


 馬の歩みを止めて、俺はラブルラックス先輩の方を向く。


「自分に自信がないはずの貴方が、『人気投票』なんてふざけた企画に参加するなんて。一体何が貴方をそうさせたんですか?」


 先輩は、どきりとしたように体を震わせた。


「……ええと、それは……」

「取り繕わなくてもいいですよ。俺は貴方の本心が聞きたいんです」

「取り繕……えっ?」

「俺と貴方とは直接の面識はありません。それどころか、立候補するまで顔も見たことがない様子でしたね。それでどうして、俺のところに立候補しようと思ったのかと」

「そ、それは……えっと、殿下の噂はかねがねから!」

「噂? そんなものがあるはずがない」


 だって俺は今まで、そういうものが立たないように手を尽くして日々を過ごしてきたんだから。


「かねがね噂を聞くというなら、それこそ先輩と同年代の兄上セルウィンの噂の方がよほど耳にしてきたはずです」

「……」

「別に、それで怒っているとかじゃありません。ただ腹を割ってお話したいだけです」

「……殿下は、その」

「先輩が俺に近づいた目的はなんですか? 多分全部包み隠さず説明した方が、先輩にとっても都合がいいと思いますよ」

「理由って、私は……」

「言わないと前に進めないだけですよ。何かあるのは分かっているんですから」


 じっと見つめると、先輩は怖がるように目を反らした。

 しばしの沈黙が、その場に広がる。

 先輩は、額からだらだらと汗を流しながら、歯を食いしばるように表情を歪めて、泣きそうな目でうつむいた。


「……私は……その……」

「事情によっては、何か俺に出来ることがあるかもしれません。ですが先に言っておきます。俺は嘘つきは大嫌いです」

「……!」

「もっとも、一度嘘をつくのは構いません。人間弱いものですから、とっさのごまかしが口をついてしまうことはありますからね。ですが、そうやってついた嘘に固執して、いつまでも嘘をつき続ける人間を……」


 これは脅し半分だ。だが俺の、偽らざる本心でもある。


「――――俺は心底軽蔑します」

「……」


 また、しばらくの静寂が続いた。

 俺は黙って前を向き、馬を進める。

 ラブルラックス先輩も、黙ってその後に続いた。

 そのまましばらく俺たちは黙って登校路を進んでいき、痛いような時間がただ淡々と流れていく。

 変化があったのは、道程が賑やかな市場近くにさしかかった頃だろうか。


「……あっ、あのっ……!」


 不意に、先輩の声が聞こえた。

 俺は馬を止めて振り返る。

 振り返ると、先輩はいつの間にか馬を下りていて、その手綱を握りながら俺の足下に近づいてきた。

 俺も目線を合わせるために馬から下りる。

 先輩は顔を上げると、諦めたような表情で鬱々と語り出した。


「……も、もしかしたら、殿下は、すっ、既に、ご存じなのかも、しれませんが……」


 その幼気な表情を見ていると、悪いことをした気分も湧く。

 だけどこっちだって必死なんだ。

 きちんと事情を話してもらわないといけない。


「わ、私……私の、家は、貧乏で……この学校に通うのも、やっとのことで……お父さんとお母さんが、必死にお金を集めてくれて……ケイティの好きなようにやっていいよって……やりたいことをやって欲しいって……」

「……先輩」

「だから私、頑張らなきゃって……」


 絞り出すように綴られるのは、彼女を巡る悲惨な状況。

 そうだ。貧乏貴族の出だとすれば、学芸院に通わせるのにも苦労があったに違いない。

 学芸院は学力の面でも激しい篩をかけてくるが、それに加えて学費の面でも多くの庶民を振り落とす。

 一定以上裕福でない者は、まずその門戸を叩くことすら許されない。

 例外でいられるのは、アリエルのような本当に出来る奴だけだ。


「だけど、私っ……学芸院の中だと、全然駄目で……何をやっても落ちこぼれで……家族の期待になんて……応えられそうもなくって……」


 期待を背負って学芸院にやってきて、でも期待に応えられなくて。

 それで自信を失って、どんどん追い詰められていったというわけか。

 期待される立場というのはさぞ辛かろうな。

 俺は基本誰からも期待されてこなかったし、期待されないように仕向けてきたから、その気持ちは分かってあげられないが。


「……だからっ、お父さんや、お母さんに恩返しするには……この方法しかないって思ったんです」

「この方法、というと」

「殿下の心を射止めて、花嫁として選んでいただくしか……そうすれば王家からのサポートを得られて、お父さんの事業もまたやり直せるはずだって……」


 まあ、大方の流れは予想通りか。

 だからそのやり方を狙うなら、俺なんかよりストレートにそこらの商人の息子を狙った方が絶対確実だと思うんだが。

 にしても、しかし……。


「また失敗するかも、とは考えないんですか?」

「え?」

「ライバルと鎬を削って、途方もない苦労を経て、仮に僕を射止められたとして……それで王家からの融資を仮に受けられたとして。その上で先輩のお父様が、また失敗するかもしれないんですよ? そうなれば……」

「おっ……お父さんは、次は失敗なんか、しませんっ!」

「!」


 びりびりと、肌の震える感覚。

 僕が知る限り、ラブルラックス先輩が出した一番大きな声だった。

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