5 最初の二人!

「呼びつけて申し訳ありませんね、殿下」


 俺が職員室の前にやってくると、アガペ先生は仄かな笑みを浮かべた。

 老齢の紳士の顔の皺が、くしゃりとたるむ。


「実は既に二人、職員室の方に届け出が来ています。ええそうです、伴侶候補の話ですよ」


 次の日の朝、登校したなりの俺を担任の教師であるアガペ先生が呼び出すものだから、嫌な予感がしていたら的中だった。

 早い。あまりにも早すぎる。参加者二人で既にレースが成立してしまっているじゃないか。


「二年生、三年生には、入学式の前に執り行われた始業式の際に既に通達がいっていました。そして、昨日の夕方の時点で一人、今日の朝の時点で一人……それぞれ三年生、二年生ですね。貴方のお嫁さん候補に立候補していましたよ、フレデリック殿下」


 しかもどちらも上級生。昨日のイザベラの大立ち回りとは全く関係ないところで、あのふざけた人気投票に乗っかる先輩が現れてしまった。

 しかし冷静に考えれば、俺が息をかけられたのは入学式の範囲のみ。

 それ以外の二カ所では普通に普通の宣伝がされたはずなのだから、そうなるのも自明の理だ。

 いや、それにしたってたった一日で決断するか!?

 年を通じてさらし者になるわ、下手すれば一生の運命を決めるわ、とても軽々しく決めていいことじゃないんだぞ!?


「昼に顔合わせの時間を取りたいと思っているのですが、殿下のお時間は大丈夫ですか?」

「……ええ、まあ。特に用事は」


 俺がそう言うと、アガペ先生は安心したように微笑んだ。


「良かった。では昼休み、こちらの応接室に来て下さい。お二人にも連絡を入れておきます」

「用事はないけど用事があることにはできませんかね」

「『王子は伴侶候補に対してできる限り平等に、積極的に接すること』『そして、サポートする教師もそれを意識すること』。このように皇帝陛下より通達が入っておりますので、申し訳ありませんが」


 だろうな。俺もその話は聞いている。

 なんでも、『王子が特定の誰かに肩入れしたり、候補と積極的に関わるのを避けた場合、出来レースになって盛り上がりにかけるので、少なくとも表面上は平等に接するべし』だとかなんとか。皇帝侍従のお使いに渡された、ルール一覧の端っこに書いてあった。

 盛り上がりにかけるという言い方に、この人気投票をエンターテイメントの一環とみている節が感じられる。

 皇帝陛下ちちうえは本当に子供のためを思ってこの企画を立ち上げてるのか?


「……分かりました。では失礼します」

「ええ、ご足労さまでした」


 だから候補そのものを生やさないのが一番の解決策になるのだが――――時は既に遅し。

 生えてきてしまった以上、対応するのは避けられない。

 わざと駄目な王子を演じて好感度を下げるとか? ……まあ、作戦は後ほど考えることにしよう。




 そして、慌ただしい一日目の学校生活が幕を開け、考えている暇もないうちに昼休みが来てしまった。


「お待ちしていましたよ陛下。ささ、こちらへ」


 出迎えてくれたアガペ先生に案内されて部屋に入ると、奥のソファーには既に二人の女子生徒が座っていて、俺の姿を認めると同時に立ち上がった。


「あら殿下。はじめましてですわね。ご機嫌麗しゅう」

「……こ、この人がフレデリック殿下……よ、よろしくお願いします!」


 どうやらこの二人が、人気投票初めの立候補者の二人のようだ。

 一人は見た目だけだと中等部生のような小柄で主張の少ない体型。カールのかかった金髪。

 もう一人は高身長で出るところの出た男勝りな雰囲気の黒髪撫子。

 どちらもタイプの違う美人さんで、しかもこういうことに顔を突っ込みそうなタイプには見えないが……一体何の気の迷いで俺なんかのところに来たのかねえ。

 というか今初対面って言ったね二人とも? 本当によくそれで立候補したね?


「……幻滅だったでしょう、オーラのない王子で。ま、座って下さい。先生も」


 二人に座るよう促して、俺も対面のソファーに座った。


「い、いえそんなことは! 決して!」

「親しみやすそうな殿下で、むしろ安心しましたわ」


 二人は俺の発言を否定するようなことを言った。

 ま、そりゃそう言うよな。本心のところはどうか分からんけど。


「えーと、それで。まずはお二人の名前を……」

「そうですわね。好きになってもらうには、まずは自己紹介を致しませんと!」


 黒髪美女の方が立ち上がり、俺の方にぐっと顔を近づけてきた。


「三年C組、武術科所属。セラフ=マゼロンです。体術には自信がありますわ! どうぞよろしくお願いします」

「……近いです」


 ぐいぐい顔を近づけてくるので、一旦押し返す。


「にしても体術に自信……一体それはどういうアピールポイントなんですか」


 軍隊に入るときの自己紹介や、警備員の採用面接なら分かる。

 だがこれは花嫁選びの初回面接だぞ。他にもうちょっと言うことがあるんじゃないのか。

 そう思った俺が聞くと、マゼロン先輩は得意げに笑みを浮かべた。


「知れたこと。私がもし妻になったなら、殿下をおそばでお守りできます。ねやに暗殺者が来ても撃退できますわ」

「俺はそんな国家の重要ポジションに立つつもりはないので間に合ってます。あと、護衛が欲しければ普通に雇います」

「金で雇った護衛と、愛で結ばれた妻。どちらが護衛として信頼が置けるか、聡明な殿下ならおわかりでしょう?」

「別に今、貴方と愛で結ばれているわけではないですが……」

「ですから、それをこれからの一年で補っていけばいいではありませんか! ね!」


 うーん、ああ言えばこう言う。流石にこの学校に通ってるだけのことはあって、ちょっとやそっとの口八丁ではびくともしないな。

 ま、はじめっからこの場でやめさせられるとは思っていない。相応の覚悟をしてここに来ている筈なんだから。

 できればやんわりじわじわと、辞退させる流れに話を持っていきたいところだ。


「……ええと、マゼロン先輩の言いたいことは分かりました。ではお次……そちらの」

「!!」


 隣に座っていた小さい方の女子生徒に話を移そうとすると、彼女の肩がびくりと跳ねた。

 おいおい、この人大丈夫か? まさか俺なんかに緊張しているのだろうか。


「名前を聞かせていただきたいのですが」

「……え、えっと……」


 彼女はしばらくまごついた後、顔をうつむけ、しだれる前髪で表情を隠しながらぼそぼそと言った。


「二年……F組……ケイティ=ラブルラックスです。よ、よろしくお願いしま……」


 そしておもむろに差し出される手。気品のあるレースの手袋を嵌めていた。

 握手を求めているのかと思って、その手を握り返した俺だったが――――


「――――ッ!!」

「!?」

「や……やっぱ……」


 ラブルラックス先輩の手に触れた途端、驚くほどの勢いでその手が引っ込められる。

 俺が困惑する間もなく、ラブルラックス先輩はわなわな震え始めたかと思うと――――


「やっぱり、駄目です――――!!」

「……はい?」


 などと訳の分からないことを言いながら、応接室を飛び出していってしまった。

 唖然とする俺。あんぐり口を開けるアガペ先生。マゼロン先輩だけがニコニコ笑っていた。


「あらあらうふふ、一体何があったんでしょうね」

「さ、さあ……」

「何か用事を思い出したのかもしれませんわね。でもこれで、私が殿下を独占できますわ」

「……!」


 再び立ち上がったマゼロン先輩が、また急速に物理的距離を縮めてくる。

 この人の積極性は一体何なんだ。怖すぎる。

 アガペ先生の言ったことが正しければ、発表があって即日参加を決めたのもこの人のはずだし……とりあえず、好きにさせておくのは危険だ! こうなったら、禁じ手とも言える手段だが――――


「……『王子は伴侶候補に対してできる限り平等に、積極的に接すること』!」

「え?」

「このルールがある以上、ラブルラックス先輩不在の状況であまりことを進めるのは性急です! だから、今日の所はこれでお開きにしましょう!」

「あの子は自分でチャンスを放棄しただけじゃないですの。さあ、気にせず……」

「だとしても! 初日からことを進めすぎるのは性急すぎます! お昼もまだですしね! ですよね、先生?」

「え? あ、はい。まあ、殿下がそうおっしゃるなら……」

「というわけで俺は失礼します! また会える日を楽しみに! ごきげんよう!」


 俺は足早に、逃げるように応接室を去った。

 多少予想はできていたことだが、初日に立候補してくるような連中はやはり癖が強すぎる!

 このままだと、あの二人から相手を選ばなきゃいけないわけで、それは先行きに不安が生まれる……。

 一旦二人には辞退してもらうか、あるいはもっと候補が増えるか……。


「いずれにせよ、このままじゃまずいな」

「お呼びになりましたか、リック様」

「!? アリエル、いつの間に」


 気がつくといつの間にか、アリエルが隣を並走していた。

 当意即妙ってレベルじゃないが、今ここにいてくれたのは好都合だ。


「だがよく来てくれた。アリエル、二人ほど調べて欲しい人間がいるんだが」

「セラフ=マゼロンとケイティ=ラブルラックスですね」

「全部承知の上かよ……」

「様子は窺っていましたから」

「話が早くて助かる。ゆっくりでいいが、手遅れになる前に二人の素性を調べてくれ」

「具体的には、どういう情報がお望みですか」

「そうだな。できれば動機が知りたい。ほとんどノータイムで花嫁候補に立候補とか、絶対裏に何か抱えていると思うからな」

「……分かりました。ではその方向を中心に調べておきます」


 もし俺個人とは関係ないところに理由があるのなら、形を変えて解決することで辞退させる方向に仕向けることができるかもしれない。

 俺個人に関係あったら……まあそのときはそのときで考えよう。

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