第32話 リハーサル

「さあ、ステージに行ってみよう」


「いよいよなんですね。ドキドキして、心臓が飛び出しそうです」


「私がついてるから、大丈夫」


 どれだけ大丈夫なのか分からない。行くしかないのだろう。

 暗い廊下を通り、脇からステージへ行くともう数人の人がいて、動きを確認していた。


「妖精役の人が来ました」


 王子が客席から腕組みをしてステージを睨んでいる男性に行った。彼はソニアを上から下まで眺めていった。


「フム、役には合っているようだな。じゃあ、妖精が出てくるところから始めて見ようか」


 王子が扮する青年の部屋に、妖精が現れる場面だ。ソニアは音楽に合わせて、歌い始め、教わった振り付けで部屋の中を軽やかに動いた。青年はどこからともなくやってきた妖精に最初は戸惑ったが、話をするうちにすっかり彼女の存在を信じ打ち解けていく。そんな場面だった。時には、青年をからかったり、傍へ寄ろうと思うとさっと身をかわして遠くへ飛んでいく。ソニアは、いつもは目にすることがない、青年になり切った王子の無邪気な様子にすっかり楽しくなってた。


―――私はこんなふうに自由に身をかわし、好きなように現れては王子の気持ちを揺さぶる妖精になって楽しんでいる。王子もそれを受け入れている。

 

ソニアは自由に感情を表現する。喜び、悲しみ、憐れみ、そしていたずら心。

青年も感情を露にする。楽しみ、苦しみ、憎しみ、そして恐怖。二人の表情はくるくると変わり、体の動きや声も感情に合わせて変わっていく。

 妖精が去った後の青年は、孤独に包まれる。ソニアの出演する場面が終わり、客席で見ていた男性の表情が少しだけ穏やかなものに変わった。


「初めてにしては、良かったよ、ソニアさん! でもまだまだ練習の余地があるな! もっと感情豊かに、いいですね」

 

 それを聞いたフレデリック王子とジョージも満足そうに、ソニアを見た。


「ほら、心配することはないって言ったでしょ? やればできますよ」


 馬車の中でソニアを励ましたジョージが、優しく声を掛けた。ソニアは、家を出てからここまでの緊張感が一気に溶け、涙が溢れてきた。


「そう言っていただけて……良かった」


 今まで王子の思いつきに振り回されっぱなしだった。少しは明るい兆しが見えてきた。


「監督、初めてだからって甘やかさないでいいですよ。まだまだ動きがぎこちないですよ。もっと練習しなければ、とてもお客さんに見せられるようにはなりません」


「陛下、なかなか鋭い指摘ですね。さあ、もう一度初めからやりましょう」


 ソニアは自分の考えが甘かったことが分かった。初めからもう一度やり直すことになり、再び最初の位置に着いた。


「ソニアさん、一つ一つの動きを滑らかに、表情が硬くならないように! 誰かが見ているなんて思わないでやってみてください!」


 確かに今は誰も見ている人はいないが、本番では多くの人の目に触れる。それを考えるとついつい体がこわばってしまう。


「気を付けますっ! 監督!」


「……そうそう、いいです」


「そこはもっと早く動いて!」


「まあ、いいかな」


 二度目は監督の指示がビシバシ飛んだ。でも、指示をしてくれたおかげで迷いがなく動くことができる。妖精と青年のシーンは一通り終わった。


「あとは、大勢で一緒に歌うシーンがありますが、そこはソニアさんは一緒に歌っていてくださればいいです」


 その他大勢のところは一緒に口をパクパクさせていればいいのか。少しだけ安心する。

 フレデリック王子は、舞台の隅で立っていたソニアのそばへ寄った。


「お疲れさん。練習通りにやろうと必死でしたね。でも、僕に近寄るところはそんなに意識しないでください。なんだか嫌がっているように見えますよ」


「そんなことはないです、嫌がるだなんてっ!」


 じっと顔を覗き込んでいる。疑っているので、ソニアは思い切り近寄っていく。


「決して嫌がっていません、私! 誓います!」


「そうかな?」


 全く、舞台の上で何を言い出すのだろうかこの御方はと、監督の前でソニアは気まずくなってしまった。客席から大声が飛んだ。


「ソニアさん、もういいですよ。お疲れさん!」


 いつまでも舞台の上で話をしていると邪魔なようだ。他のシーンも練習しなければならないのだ。終わった人は、早く袖に引っ込まなければならないのが舞台の決まりだ。


「私は、客席にいてもいいでしょうか? フレデリック様は、まだシーンが残っているのではありませんか?」


「おお、そうだな。下で見ていてくれ」


 ソニアは、今度こそほっとして客席に降りフレデリック王子のシーンを見ていることにした。王子とほかの人々とのやり取りや歌を聞きながら、ソニアはまたしても睡魔が襲ってきた。夢の中では、再び王子の頭上に紫色の雲がかかっていた。

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