第31話 手紙

「ソニア! ソニア! ソニア! またまたフレデリック王子様から書簡が届いたわ!」


 イザベラは、甲高い声で叫びながら一階から階段をどしどしと駆けあがり、ソニアの部屋をバンバンとノックした。下に見慣れた馬車が来ていたようだったが、いつもの執事が届けてくれたものだった。


「素敵ねえ! ソニアっ! フレデリック様が、お手紙をお書きになっているのかしら? 早く読んでみて!」


 自分がもらったかのようにはしゃぎ、まだどんどんとノックし続けている。


「お姉さま! そんなにたたくとドアが壊れちゃうわ! 今すぐ開けるから待ってて!」


 ソニアは、素早くドアを開けて、興奮したイザベラの手から書簡を取り、再びドアを閉める。


「あ~ん、何よっ! せっかく持ってきたのに自分だけで見るつもりなの! 私にも見せてよ。王子様から来たラブレター」


「もう、手紙は私に来たんだから、お姉さまは見なくていいでしょ!」


「あ~ん、酷いわ~~。持ってきてあげたのにい」


 ドアの外で悔しそうに身をよじっていたイザベラだったが、どうしてもソニアがドアを開けてくれないのであきらめて自室へ戻っていった。ドアに鍵をかけ封筒の端を丁寧にはさみで切り開く。綺麗に三つ折りにされた便せんが現れた。開いてみると、そこには美しい文字がペン書きされているのが見えた。前回もらった手紙と同じ筆跡。自筆の手紙に違いない。ソニアは、手紙をそっと抱きしめた。

『愛しのソニア、この間はお部屋へ来てくれてありがとう。うっとりするような楽しいひと時でした。子供のころからの楽しみを共有してくれて、うふふ、嬉しかったなあ。また一緒に遊びましょう』

 人にはとても見せられない。鍵のかかるクロゼットの抽斗に入れて、絶対に人に見られないように管理しなければならない。秘密がまた一つ増えた。

『さて、リハーサルの日時ですが、六月某日某時に劇場へおいで下さい。お宅へジョージの乗った馬車がお迎えに上がりますので、一緒に劇場へ向かってください。くれぐれも行き先は内密にお願いします。家の方には宮殿へ行くとでも言っておいてください。それでは、楽しみにお待ちしています』

 楽しみにお待ちしているって、リハーサルのどこが楽しみなのかしら。家の人にも秘密にしなければならないし、他の人たちに合わせてどれだけできるのかもわからない。家でおさらいすることもできない。ソニアはカレンダーに、しっかりと大きな丸を付けた。


 リハーサルの日がやって来て、馬車が家の前に止まった。家族はいつもの王宮の馬車だと思い何も疑わない。後ろにジョージが座っていることにも気づかず、劇場へと向かった。

 衣装はそちらにもう持ち込まれているらしい。馬車の後部座席に座っていたジョージが言った。


「あなたも大変でしたね。フレデリック王子は言い出したら後へは引かない御方ですから。でもあと少しです」


「あと少しで……ほ、本当にステージに出ることになるのでしょうか。素人の私などが……出て大丈夫なのでしょうか!」


「安心してください。ばれませんよ。歌も踊りもかなりのものだ。僕が保証しますよ。流石陛下が見込んだだけの事はある」


 安心させるために行っている言葉が、まるで他人事のように聞こえる。いつもは王宮へ向かう道を反対方向へ向かう。医院の前を通り過ぎ、目を凝らして窓の中を覗くと、忙しそうに働いている医師達と椅子に座っている患者の姿が見えた。今頃パトリックは診察をしているのだろう。フレデリック王子の本心を知るための秘策は思いついたのだろうか。

 窓から通り過ぎる光景を眺めていたら、いつの間にか劇場の前に到着していた。劇場の裏口へ馬車を付け、正面入り口とは比べようもないほどの小さな通用口を開けて中に入る。何の飾り気もない通路を歩いて行くと、いくつかのドアが並んでいる。階段を昇り上の会へ行くと、少し通路は広くなりやはりドアが並んでいた。見覚えのある光景だった。そうだ! この並びにジョージの楽屋があったのではないか。客席側の通路から扉を開けて忍び込み楽屋へはいったのだ。灯りを照らしながら入り、ようやく舞台裏の全貌が見えてきた。


「こちらです」


 何度も隠れて入り込んだジョージの楽屋だった。そこには、以前と同じように――フレデリック王子が椅子に腰かけていた。ソニアは、挨拶をして王子に行った。


「今日は堂々とこちらに来ることが出来ました」


 もっともここへ来ることは、家人には内緒なのだが。


「それは、大変よかった。ジョージ、多大なる尽力ありがとう」


「いやいや、王子様の頼みとあれば、何でもやりますよ。それじゃあお二人はこちらで待機していてください。時間になったらお二人でステージの方へ移動してください。皆そろっていますのでリハ-サルが始まるまでこちらで暫くおくつろぎください。では後程」


 ジョージは、王子に手を振り扉をバタンと閉めて出て行ってしまった。狭い楽屋の中で二人きりになった。同じ二人きりでも、フレデリック王子の部屋と楽屋とではだいぶ二人の間の距離が違う。ずっとここで会っていたのだが、王子だとばれてから、しかも婚約してから会うとなると空気の密度が濃くなっている。


「さて、試しに衣装を着けてみましょうか? どんな風に変身するか楽しみだなあ」


「私も、ここで着替えるんですね」


「ああ、僕はもう着替えちゃったからね。絶対に見ないから、気にしないで着替えて」


「……本当ですか――絶対に、見ないでくださいねっ!」


「向こうを向いて、目をつぶっているから、ささ、早く着替えて!」


 狭い部屋だが、王子の座っている椅子からなるべく離れて、隅の方へ行きドレスを脱ぎかけ念のため後ろを振り向いた。大丈夫だ。王子は背を向けて下を向いている。さらにドレスをすべて脱いで、衣装に腕を通した。もう一度振り向いた。やはり王子は下を向いている。


「チラチラ見なくても、着替えているところなんか見てないからっ!」


「えええっ、なぜ、なぜわかるんですか?」


「なぜって、どうせこっちを見てるに決まってる。そんなこと、分かるよ」


「どうしてわかったのでしょうか……見てないはずなのに」


「もう、いいからいいから、着替えは終わったんでしょ?」


「ああ、まあドレスは着ましたのでもうこちらを見ても大丈夫です」


 フレデリック王子は、立ち上がりソニアに背を向けたまま、腕を差し出している。何をしているのだろうか。ソニアは、後ろから顔を覗き込むと、まだむっとして手を伸ばしている。数秒間制止している。


「あ、あのう、一体何をしているのでしょうか?」


「分からないのかなあ。上着を着せて! そこにかかっているのが見えない?」


 急に、君主の様になり王子の性格が分からなくなる。


「は、はい。少々お待ちください。ただいま、お持ちします」


 部屋の隅にかかっている上着を背伸びして取り、延ばしている右手に上着の袖を通した。同じように左腕を通し王子の衣装は完成した。


「さあ、出来上がりました。これで完璧です」


「そうだね。じゃあ、もう一度元の服に着替えて」


「ハア、ではなぜ着替えたのですか?」


「衣装を付けたらどうなるか試してみただけだ! 衣装を着けていきなりリハーサルをやるわけがないだろう。まずは普段着でやってみて、最後に衣装を着けるんだ。覚えといてっ!」


 またまた、王子に遊ばれてしまったようだ。ソニアは、再び大急ぎで着替えをして、ため息をつきながら椅子に座った。どっと力が抜けてしまったが、これから練習が始まるのだ。

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