第23話 ガーデンパーティー②

 ソニアは、左手に皿を持ちリリーの眼の前に右手を指しだした。ソニアよりも幾分背が高いので、手を少し上に持ち上げた。リリーは赤みがかった茶色の髪の毛をしていた。結い上げた髪の毛の上部に飾られていたのは、銀の髪飾りだった。大きく開いた胸元には、深紅のリボンが結ばれている。普段着と言っても、ソニアが来ているドレスよりも格段に豪華だ。握手をしたときの手はシルクの手袋越しに、ひんやりとしていた。


「これからよろしくお願いします。始めてパーティーに御邪魔しましたので、分からないことばかりです。色々教えてください」


「そうですか。仲良くしましょうね。わからないことがありましたら、何なりとお聞きください。わたくしでよろしければ、喜んでお力になりますわ」


「わあ、私心細かったので、そういっていただけると嬉しいです。お友達になってください」


「ええ、もちろんですわ。よろしくね」


 そう言いながら、ソニアのドレスや髪形を観察している。自分が値踏みされているような居心地の悪さを感じたが、彼女は顔では笑っていた。普段着でよいと書かれていたではないか。服装の事で引け目を感じることはないのだと自分に言い聞かせた。


「庭のバラの花が美しいですね」


「あなたもそう思いますでしょ。今が一番この庭のバラの花が美しいのです。バラと言っても様々な色があるのですよ。そうだわ、陛下と一緒にちょっと散歩しましょうよ」


「素晴らしいです。私も一緒に散歩できるなんて」


「ちょっとお待ちになって、お呼びしましょう。美女が二人もいれば、喜んでいらっしゃるはずよ」


 イザベラは、ちらちらとソニアの方を見ているが、のけ者にされているようで不満顔だ。

 リリーは、急ぎ足で客人たちと話し込んでいるフレデリック王子のそばへ行った。王子の方にしなだれかかるように、話しかけている。ぴったりと寄り添って話をしている様子は、まるで恋人同士のようだ。どちらかというと、リリーの方が積極的に近寄っているように見える。もう一度目を閉じると、ソニアの脳裏には、暗く深い湖が渦を巻いているのが見えた。

 リリーは王子の腕に手を回しながら歩いてきた。


「陛下、お庭を散歩しましょう。少し付き合ってくださいますよね」


「いいでしょう。バラの花が満開ですから」


「私、毎年ここの庭のバラの花を見るのが楽しみなんですよ」


 フレデリック王子は、ソニアとイザベラのそばへ来るときまり悪そうに苦笑いした。


「お二人も、一緒に散歩しましょう。大勢で見た方がいいでしょう」


「そうですね、フレデリック様」


 ソニアは、二人の前で敢えて名前を呼んだ。


「まあ、お名前を呼ぶなんて、失礼じゃありませんか、陛下?」


「いや、いいんだ。リリーさまは気になさらないで」


「そうなのですか」


 リリーは、ソニアの方を不服そうな顔で見下した。その顔には、なぜあなたのような人が陛下を名前で呼ぶのかという不快な気持ちが見え見えだった。イザベラが場の空気を和ませようと、陽気な声で言った。


「お天気もいいし、料理もおいしいし、お花もきれいだし、素敵なパーティーに御招きいただいてよかったわ」


「ありがとう。イザベラさん、これから毎年来てください」


「嬉しいわねえ、ソニア」


「まあ、陛下随分親しいお友達がお出来になったのね?」


 リリーは、好奇の目で二人の姉妹を見ている。ソニアの心の中では、この女性には嫌われてはならないと本能的に警鐘が鳴っていた。


「最近、友人の一人としてお付き合いさせていただいていまして……ですから、リリーさまとも是非親しくなりたいです」


「では、ソニア様、陛下にあの一番大きな赤いバラを一輪取ってきてくださらない。ねえいいでしょう陛下」


「かしこまりました、友情の証に」


「ちょ、ちょっと待って、リリー様。バラにはとげがありますから素手で手折ってはなりません。手を傷つけますから……あれ、ソニアさん」


 フレデリック王子が言う前に、どんどんと薔薇の花壇の方へ歩き、一番大きな花を見つけ茎に手を伸ばした。こちらからは見えない部分にとげがあり、案の定指を傷つけてしまった。


「あっ、痛っ!」


 小さな声だったが、王子は聞き逃さなかった。


「ほらほら、ちょっと待ってって言ったのに。駄目ですよ、バラを素手で手折ろうとしては。リリー様、無茶をさせないでください。大事なお客様に」


 王子は、いつになく強い口調でリリーを咎めた。


「陛下、いいのです。私が軽はずみな行動をしただけですので」


 深紅のバラの前で何やら不穏な雰囲気になってしまった。


「美しいバラですから、このまま庭に咲いているところを眺めるのがいいですよ」


「そうでした、御免なさい。ソニア様、悪気はなかったのでお許しください」


 リリーは、涼しい顔で言った。


「いいえ、気にしていませんので」


 そう答えたが、まだとげが刺さった指は、チクチクと痛んでいた。痛みを悟られないように、刺さったところをぎゅっとハンカチで押さえてこらえた。ハンカチには血が滲んでいた。


「陛下、日差しも暖かくて外でこうして庭を眺めていると気持ちがいいですね。こんなに薄着でもちっとも寒くないわ。もうすぐ夏ですわね」


 リリーは、淡い紫色のドレスを着ていたが、生地は薄く、肩にはショールもかけていなかった。髪の毛を高く結い上げているのでうなじから首筋のラインが美しかった。白い肌が日差しの下で美しく輝いている。


「ちょっと失礼します、私お皿を置いてきます」


 ソニアは、片手にお皿を持ち、片手の指先をぎゅっとハンカチに押しつけながらテーブルに戻った。お皿を置き、ハンカチを取るととげの刺さった部分が赤くなっていた。


「大丈夫ですか。何かが刺さったのでしょうか?」


 一人の男性がソニアの指先を見て言った。


「ちょっと、バラの花を取ろうとして、とげが刺さってしまいました。全くしょうがないですね」


「とげは痛いですよね。暫く押さえておいた方がいい。ちょっとこちらへ。ああ、僕はパトリックと言います」


「私はソニアです」


 パトリックは、ハンカチを何回かたたみ、幅を狭くして指先に何度かくるりと巻き端を丁寧に結び、包帯のようにきれいに指に巻いた。


「お上手ですね」


「指先は器用な方なんでね。街で医者をやっています」


「そうでしたか。だからそんなに手際がいいのですね。パトリック様」


「ああ、パトリック・ディーンです。よろしくね」


 パトリックは、彫りの深いくっきりとした瞳、すらりとした鼻、血色の良い唇をしていた。顎のラインもほっそりとして美しかったが、少年のような屈託のない顔をしていた。


―――パトリック様……親切な方。またどこかでお会いできるかしら


 ソニアは、彼の巻いてくれた包帯にそっと手を添えた。


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