第6話 幕間

 姉のイザベラが、じっと顔を覗き込みいぶかしげな顔をしている。


「あら、どこへ行っていたの?」


「ちょっと、トイレとか、その辺を散歩」


「ふ~ん、トイレとかあ……その辺とかあ……?」


「まあ、まあ……」


 まだ適当にごまかしておかなければならない。それ以上は突っ込んでこないので、ひとまず安心して座席に着いた。前回とは違い、二人には意中の人ができ、静かにステージに集中した。姉のイザベラからは、香水の香りが漂っている。いつも以上に丁寧に髪を整え、化粧も念入りにしている。本気で王子様と付き合おうと思っているのかしらと、ソニアは少々あきれてしまっている。前回と同じ劇を見たので、内容は大体頭に入っている。身分を隠した王女と、騎士の恋。二人は愛し合いながらも結ばれることなく、騎士は戦で命を落とすという悲劇的な内容だ。


「身分違いの恋なんてしょせん無理なのよねえ」


「それじゃあ、姉さんと王子様だって同じなんじゃない?」


「私たちは身分の差なんか乗り越えられるわ!」


「その自信はどこから来るの?」


「今に見てらっしゃい!」


 何の根拠もなく、自信を持って発言する姉にまたもやソニアは呆れてしまう。二人が相思相愛になることなんか天地が裂けてもあり得ない。殿下の頭上に現れた灰色の雲も気になる。


「やめておいた方がいいと思うわ! というか相手にされないと思う」


「もう、それ以上言うと、あんたの恋路を邪魔してやるわよ!」


「はいはい、分かりました。お姉さま。せいぜいがんばって!」


「もう黙っててちょうだい!」


 これ以上言い争って刺激するのもよくないだろうと、ソニアは黙って前を向く。怒りで体をプルプルと震わせているのがわかる。こうなってしまうと手が付けられない。

 物語は、二人が恋に落ち盛り上がったところで幕が下りた。三十分の休憩時間がやってきた。二人ともこの時間のために来たと言っても過言ではなかった。イザベラは、体をゆさゆさと揺らしながら、一目散にカウンターへ急ぐ。それを見送った後、ソニアは通路へ出てから前方の舞台方向へ移動する。先ほど通った通用口を目指して薄暗い道を進む。

 ジョージの口から来てと言われたことが、さらにソニアに勇気を与え、気を大きくさせた。

 姉も自分のことが精いっぱいで、ソニアの動向は全く視野に入っていない。


―――ここだわ、三回目ね……


 もう慣れたもので、そっと扉を押すと、案の定すっと向こう側へ開いた。


「来ると思った……どうしたの?」


「もう、ここへ来るのに……ドキドキして」


「二度目なのに……」


「……ええ、そうですけど」


 ソニアは、彼の衣装を見ると彼自身に引き付けられたのか、役という媒体を通して見える役柄に恋をしたのかが一瞬分からなくなった。ステージの上にいる時には、好きな人に一途に恋をする騎士として見える。そんなことを考えていると、演じているジョージ本人の素顔にも触れたくなった。


「素敵なお話ですね。好きな人に一途に心を捧げることができるなんて、夢のようです」


「そうでしょ。僕もとても気に入っています」


「本当にこんなことがあったら……ジョージ様だったら、どうしますか?」


「う~ん、僕のような貧乏男爵家の息子に本気で恋をしてくれる姫がいたら、命を捧げてしまうかもしれません」


「姫がいたら……」


 自分も貧乏な男爵家の娘で、ジョージとは似たり寄ったりの境遇であろう。自分だったらどうするだろうか。言葉を選ぶ。


「私も、そんな方と出会えたら、命を捧げてもいいと思うでしょう」


「あなたもですか?……気が合いましたね」

その場の雰囲気に引き込まれて、答えてしまったが、果たして本当にそうするかどうかはわからなかった。そんな気持ちを察してか、ジョージはソニアの顔をじっと見つめる。本心を探るような鋭い眼光に身がすくんでしまう。


「今日はリンゴジュースは持ってこなかったんですか?」


「あ、気がつきませんで……次からはお持ちします」


「まあ、いいです」


 ジョージは、ソニアの腕をつかむと暗い廊下をずんずん進んでいき、自分の楽屋へ連れ込んだ。そんな強引なやり方に引き込まれ、なぜか抗う気持ちは起きなかった。


「廊下にいるところを人に見られると面倒だからな」


「は、はい」


「本当に君は……面白い」


 その言葉の意味することが分からずに、返答の言葉が思いつかない。


「あっ、ありがとう、ございます」


「ありがとうございますか。そんな返事を期待しているんじゃないのにな」


「す、すいません」


「まあ、そういうところも、面白いが」


「俺のファンなんだよな。ということは俺が好きだということだな?」


「その気持ちには自信があります。ジョージ様を見に来ているようなものですから」


「まあ、舞台の上でのジョージが好きなんだろうが」


「ジョージ様ご本人も素晴らしい方のようで……」


「ほう、僕自身の事も好きだと?」


「……は、はい。たぶん……」


 ほんの一瞬、答えるのに間が開いてしまった。


「まあ、そうだよな。僕自身の事なんか君はほとんど知らないものな」


「結構知っていることもあります。カレッジを出られてから劇団で歌やお芝居の修業をされた事は聞いておりますが。そして最近デビューされたと……」


「ふ~ん。みんなが知っている情報だな。二人きりでこんな狭い部屋にいて、怖くないのか?」


「そ、そういえば、男の方と二人きりですね。怖くないと言えば、嘘になりますが……」


「ふっ、やはり面白い奴」


 ジョージに言われた通り、ソニアはジョージの個人的なことをほとんど知らなかった。しかし、一緒にいたい気持ちが先に立った。ジョージと同じ空間で、近い距離で過ごせるだけで十分だ。今になって自己紹介など必要ないような気がしたが、一応自己紹介した。


「私は、ラムジー・カールトンの娘です。家(いえ)は貧乏な男爵家です。歌とお芝居が大好きで、年頃になってから劇場へ通うようになりました。私も家では歌ったりします……」


「お―――う、そうだったな! 歌ってみてくれ」


「今ですか?」


「そう。今、ここで」


「……ラララララ――――、ラララ――、ララ、ラララ―――」


「う~ん、なかなか良い声だ。合格!」


「あのう、合格とは?」


「劇団へようこそ。お前なら入団できる」


「そんなつもりでは……」


「なかったか? まあ、考えておけ!」


 ジョージは、ソニアをどんどん壁の方へ追い詰めると、片腕をついてじっと顔を上っからのぞき込んだ。


「その顔もなかなかいい。気に入った!」


「ああ、何でしょうか」


「良い休憩時間になった。またな」


「あ、また会えますか?」


「ああ、また来週の公演で!」


「来週まで会えないのですか?」


「ああ、ここで会うことにしよう。幕間の休憩時間に」


「今日公演が終わってからはお会いできませんか?」


 勢いに任せて、勇気を振り絞って訊いてしまった。


「それは……無理だ。じゃあまたな!」


「は、はい。必ずお会いします!」


 ジョージは腕を壁から離すと、ドアを指さした。ソニアは、じっとジョージの方を見ながら、ドアへ後ずさり、部屋を出た。


「ふ――っ」


 ソニアは、両手を胸の前で合わせ、思いのたけをぶつけるように閉じたドアを見つめ、暗い廊下を元来た道へ引き返した。


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