第4話 夢見心地
「あら何処へ行っていたの?」
イザベルが、既に椅子に納まって腕組みをしている。ソニアは隣の席にすらりとした体を滑り込ませた。
「ちょっとその辺を散歩してたの」
「ふ――ん、聞いてよ! 私フレデリック王子様とお話ししちゃったのよ」
「あら、お姉さまとお話しして下さったの?」
「そうよ! やっぱり見る目があるわね。お近づきになれてよかったわ。素晴らしいお方だった」
「お姉さま! あの方とはあまりお近づきにならないほうがいいのでは……」
「何ですって、嫉(や)いてるのね」
「そうじゃなくて、言いにくいんだけど……あの方の上に灰色の雲が見えたの」
「どういうことなの! 陛下の上に灰色の雲が見えるなんて……何かの間違いじゃない?」
「なぜだかわからないけど、確かに見えた」
こればかりは、ソニアにも説明のしようがないのだ。なぜなのか、何が起こるのかまでは予知することはできない。以前父親が、外出するときその方向に真っ黒の闇が見えた。絶対に行かないでと懇願し、しばらく様子を見ていたら、通る予定の道が大雨で大木が流れてきたという。もしその道を通ったら、馬車もろとも大惨事に巻き込まれていたかもしれない。父親は、信じられない様子で、偶然当たったのだろうと思っていた。しかしソニアの予知能力はその時だけではなかった。あまり大っぴらに言うと、変人扱いされるのではないかと思い、いつもさりげなく伝えている。
「イザベラとはうまくいかないってことじゃないの?」
「いい加減なこと言わないで!」
「お姉さまとはうまくいかないとか、そういうことなのでは?」
「今回だけは、当たりっこないわよ。私と話していてまんざらでもなかったみたいよ!」
「じゃあなんで灰色だったのかしらねえ?」
「私の力で悪い運命なんか変えて見せるわ!」
第二幕が始まり、二人はぴたりとおしゃべりをやめ、オペラ見物に集中した。舞台装置が変わり、大勢の歌い手が出てきた。盛大なコーラスが最大の見せ場だ。ジョージや主演の歌手も中央で歌っている。ボックス席からは、フレデリック王子が微動だにせずに熱い目でステージを見つめている。ステージ好きな王子様、とソニアは勝手にあだ名をつけた。
ジョージは直接会話した後で見ると、急に身近な存在に思えてきた。
「ジョージ、またあなたとお話ししたいわ……」
「はあ、ソニアこそ何を言ってるの。夢でも見てるんじゃない?」
「それが、夢じゃないのよ」
「全く何を言ってるんだか」
後ろの席の人から、うるさいと注意され、二人は大人しく続きを見た。しかしソニアは、ジョージだけを見つめ、イザベラはボックス席のフレデリック王子ばかりを見ていた。もう二人とも歌の内容はどうでもよくなっていた。
「……王子様、ステージの方ばかり見てる……私の方は全く見てくださらないわ」
「当たり前じゃないの、ステージを見に来てるんだから」
「でもいいわ、二人の出会いをきっと覚えていてくださるはず……」
「お姉さまったら、大勢の取り巻きの中の一人にすぎないのに、黙ってて!」
「きっと私を特別な女性として見るようになるわ。いつの日か」
「もう、ばかばかしい。静かにして! 周りに迷惑よ」
余りイザベラが王子様の事を言うので、ソニアもボックス席を見上げた。フレデリック王子は、客席の方など見向きもしないでひたすら舞台を見つめている。下から見上げてみても、その姿は凛々しく、美しい金髪を片手でかきあげている。全体を見ているようだが、視線の先にはジョージがいた。なぜジョージの事ばかり見ているのか、今度はソニアが気になって仕方がない。
―――やっぱりジョージは素晴らしい、王子様もジョージのファンなのね
ソニアは納得した。ジョージが一歩前へ出てソロで歌いだす。それを見ていた王子も身を乗り出し、食い入るように見ている。体はリズムを取るように揺れ、まるで自分でも歌っているようだ。よほど歌に入れ込んでいるようだ。ソニアは、ジョージと王子を交互に見ていた。ジョージは、女性たちの視線とはまるで無関係に、自分の世界に浸りきっている。勿論一度会っただけのソニアの方を向くことはない。こちらへ目を向けてくれれば、先ほどあったことを思い出してくれるのに、と念じてみるが無駄なことだ。ソニアは、思い切って片手をあげてみた。ジョージは歌いながらちらりとそのしぐさに目を止めた、ような気がしただけだった。ソニアにとっては一言会話をしただけで、特別な人になってしまっていた。単なる歌手ではなくなってしまったのである。ソニアはまるで恋人のようにジョージを見つめていた。
イザベルとソニアがうっとりとしているうちにオペラは終わった。拍手の鳴りやまぬ中で、出演者たちは、順番にステージの前方へ一歩踏み出し、挨拶している。
ソニアは、持参した花束を胸の前でしっかりと抱えた。今が花束を渡すチャンスだ。自分の席の横に座っている数人の客の前を素早く通り過ぎ、通路を一目散に前方に進む。あと少しで、ジョージが挨拶するだろう。じっとステージ脇にしゃがみ込み機会をうかがう。そう、今だ! 今まさにジョージが一人前へ来て、挨拶した。すかさずソニアは速足で目の前に行き、花束を恭しく差し出した。
「あ、君……ありがとう」
「覚えていて……くださった……素晴らしい、舞台でした!」
「また……会いに来てください」
「えっ、いいのですか?」
「さっきの場所からね」
最後は、聞こえるか聞こえないかわからないぐらいの小声で言った。他の人たちには、聞かせられない言葉だ。
「あ……ありがとう、ございます……」
ソニアが訊き返すと、軽くウィンクして、花束を上に掲げながらステージ中央へ戻っていった。先ほど見えたのと同じキラキラ輝く星が、ジョージの頭上に輝いて見えた。もちろんこれはソニアにしか見えないのだが。
座席に戻ったソニアに、巨体をゆすりながらイザベラが訊いた。
「ジョージになんて言ったの?」
「素晴らしい舞台だったって……」
「ふ~ん、それだけ」
「それだけよ」
「本当にそれだけ、ジョージがなんか言ってたように見えたけど」
「なにもいってないわよ」
「なんだ、そうなの。つまんない」
二人は、馬車の待つ劇場の外へ出て侍女とともに帰宅した。
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