第2話 五年後

 ここは国立オペラ劇場。ゴブレン王国で最も格式のある劇場だ。歌や踊りの大好きなイザベラとソニアの姉妹はここ数年、足しげく通っていた。父親は相変わらず姉妹には甘く、ねだられるとついつい許してしまうのだった。しかし、お金は節約したい。付き添いの侍女は、劇場には入らずいつも馬車の中で待たされていた。イザベラは二十二歳、ソニアは二十歳になっていた。


「最近デビューしたジョージ様! 素敵ねえ、彼のステージが見られるかと思うとぞくぞくするわ。お年も二十四歳ということよ。私たちにはお似合いよねえ。もう今から待ちきれないわ!」


「まあ、ソニア落ち着いてよ。それより、上を見て。ボックス席に座っているのは第二王子のフレデリック様。ジョージ様がデビューしてからよくお見かけするわ。わっ、こっちを向いていらっしゃる!」


「お姉様、気のせいよ。こちらを見るはずがないわ!」


「今一瞬こちらをご覧になった! ほらっ、目があったわ!」


「もう、勘違いしないで! まあ、王子様も素敵ですけど……わたしの好みではないわ」


「まあ好みではないだなんて、生意気なことを言って、王子様に失礼よ! 王子様があなたなんか選ばないわ! 国中の女性たちが妃に選ばれたがっているんだから」


「それはわかっているけど……私はジョージ様が一番。あら、お姉さま、そろそろ始まるわ! 静かにしましょう!」


 ソニアは、王子が姉のイザベラを選ぶとも到底思えなかった。二人並んで座っていると、姉の体は椅子一つでは収まりきらず横からははみ出して、ソニアの方まで侵入している。ソニアはいつもの事なので我慢しているが、反対側に座っている人はたまらない。自分の守備範囲を否が応でも侵されることになるが、運が悪かったとあきらめるしかない。イザベラの食欲は、以前よりも更に増していた。片やソニアの美貌にはさらに磨きがかかり、あちこちの貴族たちから、ぜひうちの嫁にという申し出が父親の元には何件も来ていた。しかし相変わらず、イザベラは、ソニアに先を越されてはなるものかと何かと妨害してくる。


「わ―――っ、素敵! ジョージ様のお出ましだわ!」


「静かにしろと言ったのは、あんたでしょ、ソニア! シー―――ッ」


 ジョージは黒い衣装に、真っ白のシャツを着て登場した。女性歌手の方は、臙脂(えんじ)のベルベットのドレスを着ている。二人の衣装の色の対比が美しい。始めにジョージが静かに歌いだした。


「……わ、分かってるわよ……だって、素敵なんですもの、あのお声! あの眼差し……」


「うるさいわよ……シー――ッ」


「…あああ……今、私の方を見たわ……」


「気のせいよ、ステージからは客席は暗くて見えないのよ! ……もう、黙ってて!」


 美しい女性歌手も歌に加わり、二人で甘く切ないラブソングを歌いステージを縦横無尽に動き回る。客席の女性たちの視線は、彼の一挙手一投足を見逃すまいと、集中力の全てを使う。その視線を感じてか、彼の表情も恍惚としてくる。まさに客席とステージが一体になっているような高揚感を味わうことができる。


「ああ、素敵だった……私の方を向いてくれたわ」


「全くもう、ばかばかしい。気のせいよ!」


 ブザーが鳴り、幕間の三十分の休憩時間になった。王立歌劇場では、チケットを買い入場した観客には、休憩時間に無料のドリンクが提供されることになっている。姉妹はいつものように、ドリンクの振る舞われるカウンターへ一目散に向かった。するとそこには、ボックス席で観劇していたフレデリック王子が先に到着し、カウンター越しに飲み物を頼んでいた。紅茶やワイン、シャンパンなどがありカウンターの中に控えているウェイターに注文していた。


「ねえ、ねえ! フレデリック王子様がいらっしゃっているわ! 私の邪魔をしないでね、ソニア!」


「するわけないでしょ、私王子様は趣味じゃないもの。私金髪よりは、ジョージのブラウンの髪の方が好きなの」


「まあ、生意気ね。あんたは黙ってて! 私を振り向かせて見せるわ」


 まあ、勝手にしてとソニアは心の中でつぶやく。イザベルは、カウンターの前に陣取り注文した。


「わたくし、紅茶を頂きますわ。お願いします」


「かしこまりました」


 ウェイターは丁寧に会釈し、紅茶の準備を始めた。そこですかさずイザベルは、

 

 フレデリック王子の方へ向き直り、じりじりと距離を詰めるろ。


「あら、王子様でいらっしゃいますか? 今日は観劇にいらしていたのですね。わたくしイザベラと申します」


 フレデリック王子は、イザベラの巨体から出たとは思えないような、猫なで声を聞きながら、微笑んでいる。


「はい、僕は歌が大好きなもので……それに、今日はカレッジ時代の親友が、出演しているのです」


「あらあら、素晴らしい。どなたでいらっしゃいますの?」


「ジョージです。ほらきょう主役を演じている……」


 イザベラは、先ほどの妹の興奮ぶりを思い出した。妹が熱を上げているあの歌手が、フレデリック王子の親友とは、とっておきの情報だ。後で教えてあげるとさぞかし喜ぶだろう。妹は、どこにいるのかと周囲を見回してみるが、姿が消えてしまっていた。まあいい、もう座席に戻っているのかもしれない。


「あの方が、ご学友なのですか。素晴らしいですわ」


「そうでしょう。彼の歌は最高ですね」


「わたくしもそう思いました。才能のある方ですね」


「褒めてもらうと自分の事のようにうれしいですね」


「あら、嫌ですわは、本心を申し上げたまでですのに……」


 イザベラは、王子とこんなに気が合うのかと夢のような気分になっていた。これも自分の魅力によるものかと自尊心が芽生え始めていた矢先、黄色い声が周囲から上がった。


「いや―――っ、何よ。あんな豚みたいな女と!」


「だれよ、あの娘(こ)。なれなれしく王子様とお話しして!」


「ちょっと離れてよ!」


「ねえ、ねえ、貧乏男爵家の娘(こ)じゃない? 生意気ねえ、デブの分際で!」


 全く遠慮のない、黄色い声があちこちから聞こえてきた。声のする方向には、イザベラより後に出てきた女性たちの集団があり、じっと彼女の方を向いて目を剥いている。彼女たちも飲み物を手に入れると、フレデリック王子の方へ向かって集団で歩いてきた。背をすっと伸ばし、どの令嬢もスタイルが良く、プロポーションの良い体を自慢するかのように、ゆさゆさとゆすりながら歩いている。


「王子様、ご一緒してもよろしいでしょうか?」


「どうぞ」


「素晴らしい舞台でした。わたくしもう感激で涙が止まりませんでした」


「そうでしたか。悲しい別れのシーンはこれからなんですが……」


「……そ、そうでしたね。こんな方と言ったら失礼かしら、ぽっちゃりした方と一緒にお話しされて、恥ずかしいですわね」


「そうですか。僕は別に気になりませんでしたが」


「はっ、さようですか」


 イザベラはその言葉を聞き、我が意を得たりとばかり得意顔になった。その場を離れなければならないのかと思っていた矢先の王子の言葉に、今度は彼女たちに対して強気に出た。


「王子様は顔ではないとおっしゃっているのよ。私のようなぽっちゃりとした女性がお好きなんですわ」


「べ、別にそういうわけではありませんが……」


「へっ、何ですって……」


 王子も女性たちに取り囲まれた形になり、次第に迷惑顔になった。これ以上騒ぐのも悪いと思ったのか、取り巻きの女性たちは声を潜めた。しかし、視線だけは王子の方に向いている。そうこうしているうちに、グラスの中の飲み物が終わり軽く女性たちに会釈して劇場内へ立ち去ってしまった。


―――あら、ソニアがいないわ。いつの間に戻ってしまったのかしら。まあいいわ。


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