第11話 微熱

 身体が重い。全身の皮膚を引きずって歩いているようだ。そして発熱でもしたのか、身体の芯から病的な気怠さが湧き上がってくる。


 炊飯器が鳴ってるような機械音が聞こえる。今の俺は五体満足だ。沈んだどこかから、浮き上がろうとするように光へ向かって歩く。


 父親とか、妹とか、そんなことはどうでもよくなってきた。俺はうっすらと、記憶を取り戻しつつあった。


 父親は、いた。そして、俺を追い詰めた。いつまで夢に囚われているのだと、部屋にこもって漫画ばかり書いている俺を日陰者と罵った。


 つらいことがあって、学校に行かなくなり、俺はずっと漫画を描くようになった。プロを目指すとか、夢を追いかけるとか、そんなものは考えてなかった。ただ、そこが居場所だったから。


 息は吐かねば吸えない仕組みになっている。身体の裡に溜まりに溜まった毒を、吐き出さなければ生きていくことさえ俺には難しかった。


 問題は、俺が不登校になった経緯が思い出せないこと。俺は、親友への虐めに加担してそのくせ首謀者に見捨てられて、父親が食を失い夜逃げしたのではなかったのか?


 なぜかはわからない。俺の中の記憶には、身体が大きくなっていく俺と、昼も夜も原稿に向かう姿が定点観測で蘇っていく。俺は、自分が思っているよりも年寄りなのかもしれない。


 俺が傷つけたと思っていた相手は、俺のことを海斗と呼んだ。——違う。海斗は、海斗は俺の描いた漫画の主人公。


 痛めつけられても立ち上がる、正義のヒーロー。


「都合のいいことだけ忘れていやがる——」


 殺意とでもいうものが、俺の浮上・・をまた妨げた。


 絹の糸がピンと張り、その細さと鋭さゆえに俺の胴体を綺麗に別っていく。その冷たさに、心地よさすら感じるほどに。


「本当に、思い出さないんだな?」


 カステラを持ってきた「親友」と同じ気配のする青年が、今度はアップルパイを持ってきた。


 カタリ、と音をたてて皿を置く。その皿は、俺の手の届くところに置かれた。


 見上げれば、彼の顔があった。


 あまりにも見飽きた、俺自身の顔だった。

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