第9話 反物質
水のなかに沈んでいる感覚がしている。身体が水を排除し、その代償として水から与えられる圧力、それこそが浮力ではなかったか。俺は今、流体が体を撫でていく感覚だけを知覚し、浮き上がることができないでいる。
水死した遺体は一旦沈み、また浮き上がるという。生きている限り水に浮く性質のあるはずの俺は、とうとう死んだのか、はたまた元から生きていないのか。
思えば人生とは、代償によって成り立つものだった。誰か、あるいは何かとの相互作用のもと、与える代わりに与えられて、傷つけた分傷つけられて、その痛みによって自と他の境界を設定した。
優しさも俺にとっては痛みだった。記憶も感覚も錯綜している今、はっきりとこれだけは真実だと言える。俺は、憐憫を嫌った。同情が苦しかった。確かに俺は惨めだったが、それを認めるわけにはいかなかった。
身体が肉片となり果てて、足首と右上がりに
俺はどうも何か重大なことを忘れているらしい。それは認めざるをえないようだった。
身体が分離と結合を繰り返しながら、一つ分かったことがある。こんなことが起こりうるのはこれが夢である可能性と、
俺が存在していない可能性によって説明される。
出会えば消えてしまう二人目の自分がこの世にはいるらしい。学校で流行る都市伝説の類いで、大人になれば笑って済ましてしまう過去の遺物であるそれに、一抹の真理が含まれていたとしたら……? 子どもは確実に大人になっていくのに、誰から聞いたわけでもなかろうにその手の話題が受け継がれていくのはなぜ?
四番目のトイレには恐ろしい女の霊がいる——そんな噂が、もし真実をヒトツマミ含んでいない確証はない。もし、我々の知っている科学とは違う論理がこの世に存在し、その異なる論理を子どもは偽りなく感じ取っているとしたら、どうだろう。
俺は誰かの対になる存在なのだろうか。
誰かの
だとしたら、俺は何を思い出せばいいんだろうか。
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